伎楽は呉から


 

伎楽は呉から…?

 


(gagaku51.jpg)




(himiko90.gif)

 




(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。どうして急に伎楽を取り上げるのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、伎楽にハマッているネット市民が居るのですよ。。。

どこに。。。?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(liv70124a.png)


『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の 1月24日の日本時間で午前1時14分から午前3時8分までの「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



あらっ。。。 1月24日の真夜中。。。 午前1時31分から35分にかけてGOOGLEで検索して 3度もデンマンさんが投稿した『伎楽は呉の音楽?』を開いたのでござ~ますわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんは伎楽にハマッているのです。。。

新宿に住んでいる喜楽 美弥子さんがアクセスしたと、どうして判るのですか?

IPアドレスを調べたのですよ。。。


(ip25046b.png)

『拡大する』



でも。。。、でも。。。、アクセスした人の名前までは判らないはずですわ。。。



卑弥子さんの言うこはもっともです。。。 でもねぇ~、僕には判るのです。。。

だから、どのようにしてアクセス者の名前をゲットしたのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、伎楽に興味を持つ人の間には、不思議な以心伝心が働くのですよ。。。

以心伝心で喜楽 美弥子さんのお名前をゲットしたのでござ~ますか?

卑弥子さんは僕の言うことが信じられないのですかァ~?

要するに、テレパシーだと言うのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。 いけませんかァ~?

そのような子供騙しなことを あたくしが信じるとでも思っているのですかァ~?

分かりました。。。 卑弥子さんは僕の言うことを信じないようだから、この際 卑弥子さんが納得のゆくように説明します。

余計な事は言わなくても結構ですから、なるべく手短にお話しくださいませぇ。。。

あのねぇ~、喜楽 美弥子さんは まず次の小文を読んだのです。。。


獅子の芸能


(lion88.jpg)

 

日本で獅子が最初に登場するのは、「伎楽」という芸能のなかである。(注2)
飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えたとされ、一時はさかんにおこなわれたが、鎌倉時代にはすたれてしまった仮面劇である。

(注2) 呉の国のものなので「呉楽(くれがく)」ともいう。
古代には寺院芸能として栄えた。
大宝令には雅楽寮に専門家がいた記録があり、天平勝宝4(752)年の東大寺大仏開眼会では60名で伎楽を演じている。




103、106ページ 『おもしろ日本音楽』
著者: 釣谷真弓
2005年4月30日初版発行
発行所: 株式会社東京堂出版




この部分を読んで、美弥子さんは「伎楽」を飛鳥時代(612年)に百済の味摩之(みまし)という人が伝えた、ということを知ったのですよ。。。



。。。で、美弥子さんは大学で「伎楽」を勉強しているのですか?

いや。。。 今、大学で勉強しようかどうか考えているのだと思います。。。 とにかく、僕は伎楽はペルシャの流れを汲む音楽だと思っていたのですよ。

どうして、ペルシャの影響を受けているのでござ~ますかァ~?

なぜならば、以前、卑弥子さんが僕を次のように紹介してくれたのですよ。。。 覚えているでしょう?


ペルシャ人が飛鳥にやってきた


(himiko11.jpg)

 


卑弥子でーす。こんにちは。

今回は「卑弥呼」にあやかって

巫女さんの格好で出てまいりましたわ。

似合っているでござ~♪~ましょうか?

うふふふふ。。。

どうして巫女さんになって出てきたのかって。。。?

あたくしの背景になっている

神社のことをちょっとお話しようと思ったからです。

あたくしの両側にあるもの、これ何だかお分かりでしょうか?

そうです。「狛犬(こまいぬ)」だとか

「唐獅子(からじし)」だとか言われていますね。

日本の狛犬のルーツは平安時代、

天皇、皇后の御帖台の前に置かれた

獅子、狛犬ではないかと言われています。

獅子は口を開いていて、たてがみは巻き毛です。

狛犬は口を閉じていて、たてがみは直毛で角があります。

それが神社などの社殿の中や縁に厄除けとして

木製の獅子、狛犬が置かれるようになりました。

社殿中や縁から参道に出されて置かれるようになるのは

1600年代からと言われています。

このときに石造りになったようです。

この神社のように参道をはさんで対になって

配置されているものが多いのですが、

地域、時代によってその姿や形には、

かなりの変化があります。

でも、この「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」、

一体どこから来たのでしょう?

では、デンマンさんにバトンタッチいたします。



(foolw.gif)

うしししし。。。
こんにちは。デンマンです。
そう言う訳で今日は「狛犬(こまいぬ)」と「唐獅子(からじし)」のルーツをたどってゆきたいと思います。

狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)は

ペルシャからやって来た



(winglass.gif)



実はカットグラスが飛鳥時代に日本に伝えられています。
長い時間をかけて、シルクロードを伝わって日本にたどり着いたのですよ。
この事については次のページで詳しく説明していますので興味のある人はクリックして読んでみてくださいね。

『飛鳥とシルクロード』

ペルシャから伝わったのは、何もカットグラスだけではありません。
実は狛犬(こまいぬ)と唐獅子(からじし)もペルシャから伝わったようです。
もちろん、これもシルクロードを西から東へと伝わってきたのです。


(silkrd5.jpg)

ペルシャから日本へ伝わるまでに、どのような変化を見せたのか、
次に示す写真で見てください。


(lion02b.jpg)

ペルセポリスの獅子

Lion stone carving at Persepolis


これがペルセポリスの宮殿に飾られていた獅子です。
獅子と言うよりもライオンですよね。
写実的です。
幼稚園児に見せてもライオンを見たことがあるならば、ライオンと答えるでしょう。

このペルセポリスと言う都市は、古代ペルシャの首都です。


(persepo2.jpg)

ペルセポリス遺跡

Persepolis Ruins


紀元前3000年頃よりイランの地にはエラム人が文明を築いていました。
2000年紀に入るとロシア南部で遊牧生活を送っていたアーリア人が南下を開始します。
彼らはエラム人を追放し、さらにはメソポタミアを統治支配していた最強のアッシリアを滅亡させて、メディア王国を築きます。
狭義のペルシア人たちは、そのメディア王国に従属しながらザグロス山脈の南にあるパールサの地に住んでいました。

紀元前550年ごろ、メディア王の臣下でペルシアを統治していたキュロス2世はメディア王家の内紛に乗じてこれに叛旗をひるがえします。
その結果、メディアとペルシアを併合してアケメネス朝ペルシアを建国しました。

キュロス2世(在位BC559~530)はパサルガダエを首都にしました。
しかし、第3代のダレイオス一世が紀元前522年ごろ即位すると、
パサルガダエから西南四十キロの荒涼とした丘陵地に新都建設を命じました。
建設事業はクセルクセス一世(在位BC486~465)、アルタクセルクセス二世(在位BC465~424)へと引き継がれ、完成までに結局60年かかったのです。
これがペルセポリスです。
このペルセポリスの宮殿に飾られていたのが上のライオン像でした。


(lion05.jpg)

トルファン(吐魯蕃)の獅子

これは清朝時代に作られたといわれています。
清の時代ですからだいぶ時代が下ります。
しかもトルファンで作られています。

上の地図で見て分かるとおり、
トルファンはペルシャと日本のちょうど中間地点に位置しています。
ライオンを見たことのある幼稚園児でも、これをすぐ見てライオンだと答える子は10人に3人ぐらいでしょうか?
多分、犬と答えるでしょうね。
怖い顔をした犬のように見えませんか?
明らかに作者はライオンを見たことが無いですよね。


(lion06.jpg)

北京・紫禁城の獅子

これはライオンと言うよりも“獅子”ですよね。
つまり、様式化されて現実のライオンではなくなってしまっています。
完全に中国様式に基づいて作成された“獅子”になっています。


(lion07.jpg)

慶州(キョンジュ)掛陵(クエヌン)の狛犬

掛陵は8世紀末の元聖王の御陵で、
新羅統一時代の陵墓制度が、
完備した時代の代表的な陵とされています。

中国の獅子を真似て作られているのが良く分かります。
しかも、ライオンよりも犬のようになっています。
名前も“狛犬(こまいぬ)”です。
作者はライオンを彫っているとは思っていなかったでしょう。


(lion08.jpg)

八坂神社の獅子

これが日本で製作された獅子です。
上の写真を見てすぐ分かることは、ペルセポリスのライオンがもっとも写実的で、製作者は明らかに、本物のライオンを見たことがあるということが分かります。
しかし、トルファンも含めて、それよりも以東のライオンは、全く想像上の生き物としか思われません。
作者は、明らかに、本物のライオンを見たことがないのです。

獅子が古代韓国に伝わる頃には、獅子は獰猛(どうもう)な犬というイメージで受け入れられたようです。
おそらく、ペルシャ人がライオンをまだ一度も見たことのない中国人や韓国人に説明する時、獰猛な犬のようだ、と言ったのでしょう。
それが日本へ伝わると狛犬(こまいぬ)、つまり「高麗(こま)犬」になったのです。
高麗とは日本書紀では高句麗のことです。

半島では663年に百済が滅び、668年に高句麗が滅んで新羅が朝鮮半島を統一します。
その新羅も918年に滅んで、高麗(こうらい)に取って代わられます。
この王朝が1392年まで続きます。

高麗の武将である李成桂が王位を譲り受けた形で、翌年に新しい王朝を立てます。
これが李氏朝鮮です。
1896年に大韓帝国になり、1910年、日本に併合され、1945年に独立します。

日本人の間では、ライオンは「唐獅子」と共に「狛犬」という言葉になって、語り継がれたわけです。
ペルシャから飛鳥へやって来た石工が獅子像をたくさん作ったはずです。
しかし、写実的なライオン像は日本人の目には、むしろ想像上の生き物に見えたことでしょう。
時代が下るに従って、写実的なライオン像よりも「伝統的な」唐獅子や狛犬の方が主流になってゆき、それが、現在私たちが目にする唐獅子や狛犬となって残っています。

写実的なライオン像は、人気がなくて、作り変えられたか、壊されたのでしょう。
亀石のように大きなものを作っていれば、壊されずに残っていたでしょうが、残念ながら巨大なものは作らなかったようです。

ペルシャの石工がやって来た

証拠でもあるの?


蘇我氏が飛鳥寺を建立するために、百済から招いた寺工、鑪盤(ろばん)博士、瓦博士、画工らはペルシア系の人々であったと言われています。
また、仏師の司馬達等(しばのたつと)親子はペルシャ人であったらしいのです。 
ちなみに、司馬達等は鞍作止利(くらつくりのとり)のおじいさんです。


(himiko12.jpg)

天平八年(736年)、遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)もペルシャ人でした。
天平勝宝六年(754年)、鑑真和上に随行して来日した安如宝もペルシア人であったと伝えられています。
このように古代日本には、ペルシア人は案外多く来訪して、その文化を伝えていたようです。

「日本書紀」には、トカラ人饗応の記述がみられます。
トカラについては、ペルシア、またタイ、ビルマ、メコン川流域など、いろいろな説があります。
まだ定説というものがありません。

斉明紀六年七月条に「覩貨羅人乾豆波斯達阿(とくわらのひとげんづはしだちあ)」とあって、「乾豆波斯達阿」という名前らしい表記があります。
「日本古典文学大系本」の頭注にしたがうと、固有名詞かどうかは疑問として、乾豆は賢豆などと同じくインド、波斯はペルシャをさし、達阿はインドの人名の語尾らしいとあります。
この表記からおおよそ推定するならば、日本よりはるか西方の南アジアの一地域かと思われます。
しかし、断定できる資料がありません。

もっともオーソドックスな解釈では西域の吐火羅(とから 覩貨邏)、つまり中央アジアのトハラ(現在のブハラ、Bukhara)であるとされています。


(worldmp3.gif)

トハラ族(Tokhara、覩貨邏)は、古代中央アジアの遊牧民で「トカラ」族とも言われます。 
サカ(インド=スキタイ)系と言われ、バクトリアへ移動後、大月氏に征服され、クシャーナ朝の中核となりました。
なお、現在のアフガニスタンの北部にある彼らが住んでいた土地は現在「トハラ」または「トゥハーリスターン」と呼ばれています。
その中心は古代にはバクトラ(現バルフ)、中世はクンドゥズに置かれ、東西交通の要地としてバクトリア王国、大月氏国、クシャーナ朝などの政治・文化の中心でした。

シルクロードの彼方から文物のみか、ペルシア人も渡来したという事については根強い支持があります。

しかし、日本書紀に従うと、ペルシア人だけが船に乗って漂着したり、男だけが本国に一時帰るというのは、ちょっと不自然です。

さらに書紀には『百済』と『都貨羅(トカラ)』の皇子を人質にしたとあります。
この場合、都貨羅を中央アジアのトハラと考えるには無理があります。

結論を先に言えば、僕は「トカラ」が二つの地名をさしていると思います。
一つは中央アジアのトハラ、もう一つは耽羅(トムラ又はタムラ)、つまり継体紀に一度名前の出てくる済州島です。
地理的位置と、百済との服従関係を考慮すると、初期の記述も十分に理解することができます。
従って、飛鳥にはペルシャからも済州島からも石工がやって来ていたと思います。

ただし、個々の石造物を見てゆくと、ペルシャの作風が見て取れるものがあり、ペルシャ人の石工の存在を無視することができません。
では、さらにいくつかの石造物を見てゆきたい思います。
まずは、猿石をジックリと見てください。


(stones3.jpg)

『猿石の謎』

実は、ここまでの事は僕が2003年8月2日に『新しい古代日本史』サイトで書いたことです。
オリジナルは次のリンクをクリックすると読めます。

『ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た』




『ペルシャ人が飛鳥にやってきた』より
(2007年4月6日)




あらっ。。。 懐かしいですわァ~。。。 確かに上のような事をしゃべったことがありましたわァ~。。。



そうでしょう!? それで獅子が出てくるから伎楽はペルシャの流れを汲んでいると僕は思ったわけですよ。

でも、伎楽の中にはペルシャの影響が実際にあるのでござ~ますか?

ありますよ。 伎楽の中で使われているお面、つまり、伎楽面を見てください。


(gagaku02.jpg)
 酔胡従【胡国(ペルシャ)の人】


(gagaku03.jpg)
  力士


(gagaku04.jpg)
  呉公


(gagaku05.jpg)
  呉女



あらっ。。。一番上のお面はペルシャ人なのですわねぇ~。。。



そうなのですよ。 しかも「呉公」「呉女」とは呉の国に住んでいる男と女ということですよ。 つまり、お面の名前を見ても、伎楽がもともと呉の国の音楽だということが判るのですよ。

でも。。。、でも。。。、喜楽 美弥子さんが『徒然ブログ』にアクセスして『伎楽は呉の音楽?』を読んだという証拠がないではありませんか! テレパシーなどという とってつけたようなお話では納得がゆきませんわァ~。。。

もちろん、テレパシーと言ったのは半分冗談ですよ。。。 実は、美弥子さんがコメントを書いてくれたのです。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

信用できないのなら、ここに貼り出すから、卑弥子さんもじっくりと読んでみてください。


(liv21120e.png)


『拡大する』

『伎楽は呉の音楽?』




上のページの下の方で赤枠で囲んであるところですよ。。。 見えにくいので、ここに書き出します。



 



 

「伎楽」という芸能は 飛鳥時代(612年)に

百済の味摩之(みまし)という人が

伝えたとしたら

ずいぶん古い芸能なのですね。

ペルシャ人が飛鳥にやって来たというのは、

ちょっと意外でした。

でも、伎楽面を見ると、

ペルシャの影響が実際にあると

分かるような気がいたします。

ついつい引き込まれて

最後まで読んでしまいました。

ありがとうございました。

では…

 

Posted by 喜楽 美弥子

at 2017年01月24日 11:50




『伎楽は呉の音楽?』のコメント欄より
(2012年11月20日)

(ran103b.png)



あらっ。。。喜楽 美弥子さんは、おきれいな方なのですわねぇ~。。。 でも、どこかで見かけたような気がいたしますわァ~。。。



それは卑弥子さんの気のせいですよ。。。

そうかしら。。。?

とにかく、これでテレパシーでないことがよ~♪~く分かったでしょう!?



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あなたは 伎楽に関心がありますか?

お暇があったら、天皇陛下御在位二十年東京都慶祝の会の雅楽を見てくださいまし。。。


(gagaku09.jpg)



ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


(genjiero4.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


(tora019.jpg)



ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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