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熊校の思い出


  
熊校の思い出




イモフライが運んできた思い出。

行田のデンマンです





From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Thu, 1 Nov 2007 12:06





行田の名物で おいなりさん ってありますか?
佐野は ふみきりずし っていう 駅の近くの
昔からのおいなり 専門の店 おいしいとこあります。
そして イモフライ、 ソースがきめて
是非 一度ご賞味あれ。持って行きます。


10月30日、6時間パックでミルミルでメールや記事を書きました。
6時間で1500円です。
昼食がついて、飲み物は飲み放題ですよ。
ウィンナコーヒー(Vienna coffee)が僕のお気に入りです。



ここは挽(ひ)き立てですよ。
注文を聞いてから挽き立てでコーヒーをドリップします。
生クリームの冷たさが自転車をこいで温まった体にはメチャすがすがしいのですよ。
昼食は“具沢山の中華丼”を注文しました。
単独で注文すると税込みで525円です。
もちろん、1500円の中に含まれています。
そのあとで、クリームソーダを飲んで、
一休みして。。。

当然ですが、記事を書きながらアメリカンを飲みます。
それから、ホットミスク。。。
その後でダージリン。。。
ネットやり放題で、昼食がついて飲み放題で。。。
これで1500円ですからね。
チョー得をした気分で帰宅できます。
いま、ウィンナーコーヒーを飲みながら書いています。
\(⌒∀⌒)ノキャハハハ。。。

ところで、30日に帰宅してからテレビを見たら、
6時のNHKの“首都圏ネット”で佐野の“イモフライ”を取り上げていましたよ。
佐野の高校生がオリジナルなソースを開発するというレポートをやっていました。
佐野市にある醤油屋を訪ねて“ピリカラ”のソースを開発したという話です。
実は、子供の頃の神社のお祭りで、よく“イモフライ”を食べました。
多分、佐野市あたりで作っていた人がやって来て屋台を出していたのかもしれませんね。
多分、食べれば、その頃の思い出がよみがえってくるはずですよ。




日光の らっきょ や
こっぺパンの店(すごく噛みごたえのあるパン)
行田にも昔からの老舗 があると思うけど。


行田には“十万石の饅頭”がありますよ。






人間 におい や 食べ物で 覚えてるところが あります。
目より、鮮明にはっきりその時を思い出させてくれて。


そうですよ。
確かに、思い出を食べるのでしょうね。






とろけるように甘~いエッグタルト

あの あま~い タルト。ジンジャーのクッキー。
Vancouverに着くと、すぐ思い出の甘い物の店にいきます。
私が年老いて、行ける時までVancouver に行きたいな。


そうですよね。
バンクーバーは良い所ですよゥ。
僕にとってはパラダイスです。

\(^Д^)/ ギャハハハハ。。。。




たいして高いものでもなく、贅沢な食べ物でもなく。
ただ の思い出の 食べ物。これを食べたくて。 
私はいつも思い出を食べている。


なるほど。。。なるほど・・・
よ~♪~く分かりますよ。

♪┌(・。・)┘♪




高校の時、館女(館林女子高校)にかよって、
今もある 山屋のうどん家
ここのを 食べると 時間もタイムスリップする。
あの時、あの味 そのまま。
館女のすぐ近くの川魚のすりみ、ごぼうあげ
今もやっていて たまに食べます。

おいしいとかでなく
思い出を口に入れるのです。
父もよく食べました家族の共通の味。

デンマンさんもある?
行田に帰ると かならず食べるもの。


ありますよ。ありますよ。
“行田のフライ”をいつも食べますよ。
夕べも食べました。



ところで、佐野市の“イモフライ”のルポルタージュを見終わったら、
なんと!行田中学校の3年5組の時のクラスメート(女性)から電話がかかってきたのですよ。
名前を聞いた時には全くイメージが思い浮かばなかったのですよね。
彼女が去年、僕の家に電話したときに、“毎年10月か11月に帰省する”という事を僕のお袋から聞いたので、帰っているだろうか?と思って電話したと言うのです。
1時間半ぐらい話し込んだのですが、30分ぐらい話した頃に急にイメージが思い浮かんだんですよ。
“悦子さんの親しい友達です。南小学校時代からの友達です”、と言われて初めて絹子さんの顔を思い出したのです。

この悦子さんが極めてユニークな女性で僕の思い出の中では忘れる事ができない女性です。
その友達だと言ったものだから、絹子さんの顔を思い出すことができた。
この二人はいつも一緒に居たものです。二人とも実に仲が良かった。



悦子さんも絹子さんも美人ですよ。
悦子さんは現在でも都庁に勤めています。
僕は初恋の人が他のクラスに居たので二人に必要以上に接近しなかったのですが、
当時、初恋の人が居なかったら、どちらかを恋人にしていたかもしれません。

そうですよ。
中学校3年の時に僕の家に二人がやって来て白久(秩父市荒川白久)のスケートリンクに行く計画を立てたことを思い出しました。
絹子さんの話を聞いて30年以上忘れていた思い出がよみがえってきました。
30年以上も封印されていた思い出です。

“思い出を食べる”
“イモフライ”がもたらした奇妙な思い出でした。
では、お目にかかることを楽しみに。。。




『懐かしい思い出 (2007年11月5日)』より




デンマンさん。。。今日のタイトルは熊谷高校時代の思い出でござ~♪~ますわ。。。それなのに、どうして中学時代の同級生の悦子さんと絹子さんが登場するのでござ~♪~ますか?



あのねぇ~、絹子さんが突然電話してきたことから意外な方向に話が進んで行ったのですよう。

つまり、高校時代の思い出と関係あるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

“縁は異なもの味なもの”

卑弥子さんも、この諺を聞いたことがあるでしょう? 

もちろん、ござ~♪~ますわ。人と人との縁はどこでどう結ばれるか分からないので、不思議で面白いものだ、と言う事でござ~♪~ますわ。

さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子准教授ですねぇ~。。。卑弥子さんが博識なので感心しましたよう。

その程度のことならば中学3年生でも知っていますわよう。。。んで、デンマンさんと絹子さんの縁が不思議で面白いのでござ~♪~ますか?



改めて考えてみると、絹子さんとの縁はとっても不思議なのですよう。

どう言う訳でござ~♪~ますか?

あのねぇ~、「ピアノの縁」かもしれないのですよう。

「ピアノの縁」と言えば恵美子さんですわね?

卑弥子さんは良く覚えていますねぇ~?

だってぇ~、デンマンさんのお話を聴いていたら、あまり強引でガムシャラで、その強烈な印象があたくしのオツムに突き刺さって、未だに鮮明に覚えているのでござ~♪~ますわ。

恵美子さんの思い出をここに書き出したいけれど、何度も何度も引用するのは芸が無いので、初めて読む人は次のリンクをクリックして読んでください。

『クラシックで片思い (2006年6月19日)』

。。。んで、デンマンさんは絹子さんともピアノの縁があるのでござ~♪~ますか?

実はあったのですよう。

どのような。。。?

あのねぇ~、僕はすっかり忘れていたのですよう。

。。。んで、どうして思い出したのでござ~♪~ますか?

電話で絹子さんと話しているうちに、ハッと記憶が甦(よみがえ)ったのですよう。


絹子さんとの電話の会話



ん。。。?クラスの歌のコンクール。。。?



そうですわ。各クラスでクラスの歌を作ったのですわ。

3年5組のクラスの歌を作ったということですか?

そうですわ。デンマンさんが作詞して、わたしが作曲したのです。覚えていませんか?

僕が作詞した。。。?マジで。。。?

そうですわ。

それで学内でコンクールをやったのですか?

そうですわ。

僕は中学の時に英語の弁論大会に出たことは覚えているのですよう。でもねぇ~、弁論大会と言っても、何のことはない、英語の教科書の気に入った章を丸読みするだけだった。今から思い出すと馬鹿馬鹿しい弁論大会だったのですうよう。もちろん、やる気がないから、僕は3位にも入らなかった。でも、ソプラノ歌手になった風見亮子さん(仮名:実名が思い出せない)だけが全文を暗記して、ペラペラと英語でしゃばったのですよう。当然、優勝したけれど、全文を暗唱する生徒が居たと知って僕は度肝を抜かれましたよう。

その風見さんのリサイタルが行田商工センターであるのですわ。わたし、券を買わされたので行きますけれど、デンマンさんも行きませんか?

僕はダメですよう。あのソプラノを聞くとガラスの表面を爪で引っかく音を思い出して、とてもじっとして椅子に座っていられないのですよう。気が可笑しくなるからイヤですよう。

でも、デンマンさんだって風見さんと一緒に合唱部に居たではありませんか!

絹子さんは。。。、絹子さんは、そんな事まで覚えているのですか!?。。。たまげたなァ~。。。そうですよう。3年生になって、卒業した男子生徒の埋め合わせに、僕は音楽の町田先生から、合唱部に入るように言われて、仕方がなくて入ったのですよう。前の年にNHK音楽コンクール関東甲信越・合唱の部で3位に入賞したらしいのだけれど、僕のような者が合唱部に入らなければならないのだから、僕が歌った年には一度も入賞しませんでしたよう。うしししし。。。でもねぇ、風見さんは、たいした女生徒だったですよう。3位に入賞した時にもメンバーでしたからね。指揮者の先生の目の前で体全体で歌うような生徒でしたよう。僕は合唱部の足を引っ張っていたようなものですからね。。。声を出さずに口をパクパクして居ればよかったのだけれど、声を出さないと不思議なことに指揮者の先生に分かるのですよう。仕方ないから声を出す。だから、入賞しなかったのですよう。うしししし。。。今、思い出しても馬鹿馬鹿しい限りですよう。

それで、デンマンさんはクラスの歌の発表会の事を全く覚えてないのですか?

クラスの歌の発表会ねぇ~。。。?

デンマンさんが当日、指揮をしたのですわ。

ん。。。?僕が指揮をしたァ~?。。。マジで。。。?僕がクラスの皆の前に出て指揮者になったと言うのですか?

そうですわ。ピアノを弾く人が他に居ないので、わたしがピアノの伴奏をしたのです。1年生に妹がいて聞いていたのですけれど、わたしのピアノの音が小さくて良く聞こえなかったと言うのですわ。うふふふふふ。。。

絹子さんがピアノの伴奏をして、僕が指揮をしたァ~。。。?

そうですわ。。。思い出しませんか?

うん、うん、うん。。。そう言われてみると、そのような事がありましたよう。。。確かに、2,3度音楽室で練習したことを覚えていますよう。。。うん、うん、うん。。。思い出しましたよう。確かに絹子さんが伴奏したのですよう。あなたが音楽室でピアノを弾いている姿が想い浮かんできましたよう。。。僕も仕方なく指揮者になって皆の前で手を動かしたのを思いだしましたよう。。。。


このような会話だったのですよう。

。。。んで、デンマンさんは、どうして覚えていなかったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕にとってピアノの思い出は恵美子さんと強く結びついていたのですよう。上の記事の中で書いたとおりです。恵美子さんがピアノで「乙女の祈り」を独奏したイメージがあまりにも強烈だったので、絹子さんがピアノを弾く姿は記憶の片隅に追いやられていたのですよう。

マジで。。。?

それに、もう一つ理由があった。

僕が1年生の時のクラスメートに矢田哲史という生徒が居たのだけれど、彼のガールフレンドが絹子さんだったのですよう。絹子さんからラブレターをもらったと言って喜んでいたのですよう。

デンマンさんは絹子さんをナンパしようとは思っていなかったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕には他のクラスに初恋の人が居たのですよう。でも、中学時代には、その初恋の人をも押しのけるほど恵美子さんのイメージがロマンチックに僕のオツムを占めるようになっていたのです。

でも、オナペットは悦子さんだったのでござ~♪~ますか?

卑弥子さん!。。。あなたは、そうゆう、どうでもよい事はしっかりと覚えているのですねぇ~!

だってぇ、あたくし、次の記事を楽しく読ませていただきましたわ。うふふふふ。。。

『エロい文学少女 (2007年4月11日)』

。。。んで、その悦子さんという女生徒は、どのようなイメージの女の子だったのでござ~♪~ますか?



このような感じでしたよう。

あらっ。。。20代のアグネス・ラムちゃんに似ていますわねぇ~?。。。う~♪~ん。。。こういう女の子をデンマンさんはオナペットにしていたのでござ~♪~ますか?うふふふふ。。。

卑弥子さん!。。。オナペットにこだわらないでくださいよう。んも~~。。。

。。。んで、もう一つの理由とは何でござ~♪~ますか?

だから、矢田君のガールフレンドが絹子さんだと僕は思っていたわけですよう。しかも絹子さんが矢田君にラブレターを書いたという。

それで、デンマンさんは絹子さんをナンパするのを止めたのでござ~♪~ますか?

もともとナンパしようなんて思わなかったけれど、矢田君と絹子さんがお互いに好き合っている。そういう二人の中に割り込んでゆくつもりもなかった。。。

つまり、デンマンさんがガールフレンドにしたいと思っている女生徒の中では、絹子さんは対象外だったのでござ~♪~ますわね?

まあ。。。そういう訳ですよう。。。ところが、たまたま、その話が出て、絹子さんに矢田君の事を話したら、ラブレターを書いたことなど無いと言うのですよう。

。。。んで、その事と高校時代の思い出がどのように関係するのでござ~♪~ますか?

これまでの話は絹子さんと僕が電話することによって分かったことなのですよう。高校時代の思い出とは直接関係ありません。

余計な事はよろしいですから、直接関係あることだけを話してくださいなァ~。んも~♪~。

だったら、引き続いて次のメールをまず読んでください。


ゼリーフライを小百合さんと

行田で食べる機会があると楽しいですね。





From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Mon, 5 Nov 2007 10:59 am





昨日は あっさり 用事をすませて
帰ってしまってすいません。
ウルサイ子供がいると、お茶も食事もできません。
あれから、長男坊がイタリアン レストランで食べたい
と言うのいで さっそく寄りました。魚介類のスパゲィー
を頼んで、ドリンクを 3杯おかわりして 満腹でした。
うるさい三男坊も いろいろドリンクだけは
おかわりしてました。



その後、大長寺にいって大仏を見て、2時30分ぐらいに
行田を出ました。
思い出の行田旅行です。
何年かたって、子供が思い出すよう。
今日の1日を、記憶させた日曜でした。


うん、うん、うん。。。
思い出の楽しい家族旅行になったことでしょう。
大仏を見せましたか。。。



僕が大仏の事でホムペに記事を書いていますから、
大きくなってから長男、三男が僕が書いた記事を目にすることがあれば、
懐かしく思い出すことになるかもしれません。

これから僕は大仏の事、行田郷土史の事でもっと記事を書くつもりでいます。
そもそも、あの大仏の記事を書いたのは、小百合さんが僕の実家を訪れるために地図を書こうと思い立ったのがきっかけでした。
出会いというものは不思議なものですよ。

小百合さんとの出会いが行田郷土史を書くきっかけになったのです。

ところで、夕べは中学の時の3年5組のクラス会に出席しました。
僕の実家から歩いて5分の“とんでん”で開かれたのです。
大長寺とは忍川をはさんで反対側です。
6時半から11時までチョー楽しい時間をすごしました。

11月1日に小百合さんに出したメールを覚えていますか?

そのメールの中の絹子さんが懐かしいクラスメートを集めてくれたのです。
僕を含めて女4人、男4人、計8人のクラス会でした。
メチャ楽しかったですよ。
このことで、今日のブログの記事を書くつもりです。
時間があったら読んでくださいね。

『懐かしい思い出 (2007年11月5日)』

クラス会から帰ってきたら小百合さんから電話があったというメモが僕の机の上にありました。
それで遅いとは思ったのですが、
重要なことに違いないと信じて僕は折り返しの電話をした次第です。
眠りばなを起こしてしまって申し訳ありませんでした。
あしからず。

“思い出のゼリーフライ”を小百合さんと行田で食べる機会があると楽しいですね。
では。。。




こう言う訳で絹子さんが骨折ってくれて僕のために、わざわざクラス会を開いてくれたのですよう。

。。。んで、悦子さんはやって来たのでござ~♪~ますか?

残念ながら都合がつかなかったらしい。でもねぇ、その4人の女性の中に塚本玲子さんが居たのですよう。

どういう女性なのでござ~♪~ますか?

文学少女だったのですよう。

どのような。。。?

あのねぇ~、その前に忘れる事ができない思い出があるのですよう。いかにも文学少女らしい事を玲子さんが僕に言ったのですよう。3年5組では学級日誌を当番が毎日書くのです。男女一組が当番になって、その日の出来事や感想などを日誌に書くのですよう。ある日、僕と玲子さんが当番になった。それで放課後残って何を書こうか?という話になった。

それで。。。?

僕と玲子さんは机を挟んで向かい合ったのですよう。

。。。んで、デンマンさんは玲子さんをナンパしようとしたのでござ~♪~ますか? うふふふふふ。。。

卑弥子さん!。。。あなたは、すぐに話をエロい方向に持ってゆくのですねぇ~?

だってぇ、その方が面白いではござ~♪~ませんか!うふふふふ。。。

あのねぇ~。。。卑弥子さんが思うほどエロい事って、しばしば起こらないのですよう。

分かりましたわ。。。。んで、玲子さんはデンマンさんに何と言ったのでござ~♪~ますか?

玲子さんはしみじみと僕を見つめて、それで言ったのですよう。

だから。。。なんてぇ~。。。?



“デンマンさんってぇ。。。目がきれいねぇ~”



マジで。。。?



僕の聞き間違いではないのですよう。。。。玲子さんはマジで、そのようにはっきりと言ったのですよう。

つまり、“逆ナンパ”されたという事をデンマンさんは自慢したいのでござ~♪~ますか?

やだなあああァ~。。。違いますよう!。。。あのねぇ、僕は、それまでに目がきれいだなんて言われた事は一度も無い。だから、オヤっと思った。自分の目を見て、きれいだなんて思ったことも無い。むしろ、良く見ると血走った目をしているのですよう。

マジで。。。?

マジで血走っているのですよう。

どうして。。。?

あのねぇ~、小学校1年生から3年生まで僕は川で泳いだ。でも、4年生になると川で泳ぐことは禁止された。

なぜ。。。?

農薬が流れてきて川の魚が死んで浮き上がることが度重(たびかさ)なるようになった。でも、それ以前にも農薬が川に流れてきていた。子供だから、そんな事は知らない。だから、時には川の中で潜(もぐ)って目を開くのですよう。そういう時に農薬がわずかに目に入ったらしい。それで眼球にわずかに血がにじんだような網目(あみめ)が浮くようなことがあった。

今でもデンマンさんの目は血走っているのでござ~♪~ますか?

いや。。。もう、目で見て分かる程血走っていることは無いですよう。でもねぇ、中学生の頃は、良く見ればうっすらと血がにじんでいるような網目が浮いていた。

つまり、玲子さんは冗談でデンマンさんの目がきれいだと言ったのでござ~♪~ますか?

いや。。。決して冗談で言ったわけではないのですよう。

でも、デンマンさんが自分で見ても、きれいな目だとは思えないのでしょう?

そうですよう。

それなのに玲子さんは、目のどこがきれいだと言ったのでござ~♪~ますか?

だから、そこが文学少女なのですよう。

つまり、文学少女的にデンマンさんの目がきれいだと言ったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

それで、文学的に目がきれいだと言うのは、一体どのような目でござ~♪~ますか?

あのねぇ~、3年5組の担任の先生は数学を教えている新井先生だった。この新井先生がよく言ったものですよう。

なんてぇ~。。。?

「授業中、分かっている生徒と理解していない生徒は目を見れば分かる。理解している生徒の目は生き生きと輝いている。分かってない生徒の目は、どんよりとして死んでいる」 新井先生は、しばしばそう言ったものですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの目が生き生きと意欲に満ちていることを玲子さんは、“目がきれいねぇ~”と、言ったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

どうして、そのように確信を持って言えるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、その新井先生が別の日、僕が違う女生徒と当番になって日誌を書いている時に、たまたま教室にやってきて雑談した事があったのですよう。その時、玲子さんのことが話題になって、すばらしい小説を書くと言って感心していたことがあったのですよう。つまり、玲子さんは文学的に表現したのですよう。

。。。んで、デンマンさんも文学少年だったのでござ~♪~ますか?

いや。。。文学なんて全く興味がなかった。当時の僕は本などを読む少年ではなかったのですよう。次の記事の中で書いたように、僕が初めて読んだ小説は悦子さんから借りた三島由紀夫の『潮騒(しおさい)』だった。

『エロい文学少女 (2007年4月11日)』


 
悦子さんはエロい文学少女だったのでござ~♪~ますか?

上の記事は悦子さんを取り上げて書いたものではないのだけれど、悦子さんもエロい話題が好きな女生徒でしたよう。でも、いやらしさは無かった。陽気で明るく面白い人だったから。。。

玲子さんは。。。?

当時は目立たないおとなしい女生徒だった。だから、次のように言われた時には、僕は、かなり驚いた。実に意外な言葉だった。

“デンマンさんってぇ。。。目がきれいねぇ~”

。。。んで、その言葉がデンマンさんの高校時代の思い出と関係あるのでござ~♪~ますか?

いや。。。直接関係ないのですよう。

も~~。。。直接関係ある事を話してくださいな。

あのねぇ~。。。モノには順序があるのですよう。。。直接関係無くとも、この事を話さないと先へ進めないのですよう。

分かりましたわ。それで、どうしたのでござ~♪~ますか?

僕は、その小説が気になっていた。

それで久しぶりに会ったので玲子さんに尋ねたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。そうしたら、隣のクラスの矢島達子さんと交換日誌のようなものを書いていたと言うのです。小説と言うよりも、随筆のようなものがほとんどだったと言うのですよう。

それで、隣のクラスの矢島達子さんと言う方は。。。?

40代の若さで癌で亡くなったと言うのです。美人で頭が良かった。恵美子さんと一緒に熊谷女子高に進学しましたよう。

。。。んで、玲子さんは小説家になったのでござ~♪~ますか?

新井先生が感心するほどの作品を書いたと言うので、ひょっとしたら直木賞か芥川賞でももらっているのではないか?。。。僕はマジで、そう思ったほどですよう。

でも、直木賞作家、芥川賞作家であれば名前が新聞や週刊誌に載るでしょう?

塚本玲子と言うのは結婚前の名前ですよう。結婚してからは当然苗字が変わるし、ペンネームを使っていれば、僕には分からない。

。。。んで、玲子さんは何と答えたのでござ~♪~ますか?

思うところがあって中学卒業してからは全く書いてないと言ったのですよう。。。ああァ~。。。惜しいなあァ~、と思ったものですよう。新井先生が、あれほど感心していたし、僕自身、玲子さんに早熟な才能を感じていた。

それで、玲子さんの結婚してからのお名前は。。。?

僕も玲子さんに尋ねました。そうしたら大官寺玲子と言ったのですよう。

珍しいお名前ですわね?

そうでしょう?これまで僕の生涯でも大官寺なんて名前は一度だけしか聞いたことが無い。その大官寺君が僕が熊谷高校に通っていた時の2年と3年のクラスに居たのですよう。

その大官寺君は行田市出身なのですか?

そうなのですよう。クラスは違ったけれど同じ中央小学校でした。

もしかして玲子さんは大官寺君の奥さんに。。。?

そうなのですよう。玲子さんの結婚後の苗字を聞いて、僕もすぐ、そうに違いないと思いましたよう。

「うちの人から同窓会の時の事を聞いていますわ」

玲子さんがそう言ったのですよう。

。。。んで、熊谷高校の同窓会の事って、デンマンさんは何が印象的だったのですか?

その事で2年以上前に記事に書いたことがあるのですよう。ちょっと読んでみてください。


縦型社会の日本は、本当に自由で平等な

横型社会になれるだろうか?




僕も実は教育の現場に立った事があるんですよ。
教育実習で仙台商業高校の1年生に数学を教えた事があります。
カナダでは大学でコンピューターと社会人クラスでは国際貿易(インターナショナルマーケティング)を教えた事があります。
(もちろん英語で教えたわけですよ。うへへへへ。。。。)

でも、歴史に関しては素人です。
しかし、もう20年近くヨーロッパ史、古代オリエント史、古代ギリシャ史、古代ローマ史、古代日本史、古代中国史、古代インド史、。。。を自習しています。
つまり、僕は20年近く“歴史馬鹿”であり続け、歴史の本や映画を暇があれば片っ端から観たり読んだりしてきました。
もちろん、日本史や世界史を高校の時に勉強しました。古文・漢文も勉強させられました。

そういうわけで、僕も上の持統天皇の歌を学校で勉強した事があります。
僕の高校時代の恩師は京都大学の哲学科を卒業した先生で、僕のクラス担任でもあったし、歴史の先生でもあった人です。
この青木先生の教育のスタンスは、ちょうどこの章子さんと同じようでした。
つまり、人道的な立場に立って、人間性を重要視するというスタンスです。

そういうわけで、章子さんの文章を読んだ時に、懐かしく青木先生のことが思い出されてきたのです。
この恩師に高校の同窓会でお会いしたのですが、“加藤君”ではなく、“加藤さん”と呼ばれたときには面食らいましたね。



僕は現在カナダに居るのですが、200人程度のコンサルティング会社で働いた事もあります。
課長であろうが、部長であろうが、社長であろうが、Mr.Bushなんて呼んだ事は一度もありません。
Georgeと呼びすてですよ。

IBM のような伝統的で歴史のある大会社ならともかく、中小企業なら、間違いなくファースト・ネーム・ベースで付き合うものです。
つまり、名前(ファーストネーム)を呼び合う事が当たり前です。
役職だとか年齢には全く関係しません。
Mr.Bush と呼ぶと。。。
Call me George, will ya? 。。。という返事が返ってくるほどです。



青木先生は飾らない先生で、権威に対しても、おもねるような所がない人でしたから、“加藤さん”と呼ばれた時、僕は唖然とするというか、かなり面食らったのですが、
内心では。。。というか、直感的に、
“なるほどなあああ。。。教職の現場から離れるという事は、社会人として付き合うということなのか。。。?”
。。。こう思ったものですゥ。

しかし、社会に出て、一体幾人の人が青木先生のような態度が取れるか?
日本には歴然として、先輩・後輩の付き合いがありますよね。
先輩に対して“。。。君”とは言えないし、
先輩だって、後輩に向かって“。。。さん”とは言わない。
これは卒業してからも終生日本では続きます。
こういうところに、僕は日本の縦型社会を感じるんですよ。

そういう体育会系の付き合いを僕は良く知っているだけに、青木先生から“加藤さん”と呼ばれた時の僕の内心の驚きを察してください。
つまり、僕は、青木先生のスタンスに横型社会を感じたんですよね。
要するに、どちらかと言えば欧米の社会です。
つまり、自由平等。
市民社会です。

(ところで、欧米では教室でも先生の僕をファーストネームで呼ぶ人も居たほどです。
半分ほどの生徒は僕をファーストネームで呼びましたよ。
もちろん、慣れてしまえば、全く抵抗がないものです。日本では絶対に考えられない事でしょうね。)




『いにしえの愛とコミュニケーション (2007年1月8日)』より


デンマンさんはバンクーバーで教えた時に、マジで生徒からファーストネームで呼ばれたのですか?

もちろんですよう。半分ほどの生徒が僕をファーストネームで呼びましたよう。決して珍しいことではありません。自由平等の考え方と言うよりも習慣でしょうね。半年も顔をつき合わせていると、自然にファーストネームで呼ぶようになりますよう。だから、僕はこれまで20年近く会社で Mr.、 Miss、 Mrs.をつけて呼んだことは一度もありませんよう。

マジで。。。?

もちろんですよう。あのねぇ~、僕はカナダのノースウェスト・テリトリー(準州)の財務省に務めていたことがあるのですよう。州公務員です。20年前ですよう。




これは僕がイエローナイフ(州都)で働いていた頃の地図です。



この上の地図にはNunavutという準州がありますが、この準州(Territory)は1999年にできた州です。
ノースウェスト準州から分離してできたのです。

やっぱりカナダという国は若いのでしょうね。
州が分離する事がある。
日本も明治維新の頃には、県が分離したり合併した事はありますが、
明治20年頃から県は固定しましたよね。
それ以来、県が分離したり合併した事はない。

カナダにニューファウンドランド・ラブラドル州(Province of Newfoundland and Labrador)という州がありますが、
この州はそれまで独立国だったものが1949年にカナダの州の仲間に加わったのです。



僕が働いていた当時、上の写真の州都、イエローナイフの人口は約1万人でした。
2年ほど居ましたが、日本人は居ませんでした。
だから僕は日本語を2年間一度も使っていません。

でも、中国人は居ましたよ。
日本食レストランはなかったのですが、中国レストランはありました。
人口がわずか1万人の町にも中国レストランがありました。
中国米ですが、ご飯が食べられるのはありがたかった。

ご飯が無くてもいいという人も居るかもしれませんが、僕はやっぱりご飯が食べたいですね。
3食のうち夕食だけはご飯じゃないとダメです。
ご飯が無ければパンで済ませますが、
米が手に入るならば、僕はご飯を炊いて食べます。

イエローナイフの町はグレートスレーブ湖(Great Slave Lake)の北岸にあります。
金鉱があって栄えた町ですが、最近ではほとんどすべての金鉱が閉鎖しているようです。
金鉱と官公庁の町といった感じでした。

最近ではオーロラ観光で日本人の観光客がやって来るそうです。
町の人口も約2万人に達して僕がいた頃の2倍に膨れ上がっています。
オーロラ観光だとかグレートスレーブ湖の釣り観光で日本人客を集めているようです。




『日系カナダ人と中国人 (2007年8月22日)』より




デンマンさんはイエローナイフで何をしていたのでござ~♪~ますか?



財務・経理関係の業務のコンピューター化推進チームの一員だったのですよう。州都・イエローナイフで2年ほど働きました。そこでも、局長、部長、課長をファーストネームで呼んだものですよう。

局長に対しても Mr. Bush じゃなくて George と呼び捨てですか?

日本的な感覚では呼び捨てになるけれど、北米では、それは親愛感だとか、友愛の情の表れなんですよう。マジで。。。初対面では Mr.と呼ばれても、付き合い始めて1週間も Mr. が続くことはまずありません。Mr. で呼ばれるとイヤミに聞こえるものですよう。

そう言うものでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、日本では、もっと信じがたいことだけれど、昨日、僕は仕事でオタワの国際税務署に電話したのですよう。後で問題がこじれた時に責任の所在をはっきりさせるために僕は担当者の名前を必ず尋ねるのだけれど、相手はファーストネームを答えますよう。つまり、初対面から電話でお互いにファーストネームを呼び合って、仕事の話をするのですよう。これは日本では絶対に考えられないですよう。

税務署のお役人と話をするのに初対面からファーストネームで仕事の話をするのですか?

そうですよう。これまでに20回以上、オタワの国際税務署に電話したけれど、名前を聞くと例外なくファーストネームを答えましたよう。

お話は違いますけれど、青木先生は欧米で生活したことがあるのでござ~♪~ますか?

僕の知る限り青木先生は海外へ行った事は無いはずです。

それなのに同窓会の席でデンマンさんを“加藤さん”と呼んだのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。本当に意外だった。僕は中学の頃は柔道部、高校の時には体操部。だから体育会系の習慣も体に馴染んでいますよう。青木先生は京都帝大の頃には馬術部に入っていたそうです。東大に馬術部がなかったので京大に行ったと話していました。だからバリバリの体育会系ですよう。

でも、青木先生は先輩・後輩というか、先生・教え子という縦型の関係にこだわらないのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、熊谷高校・旧制熊谷中学には3つの伝統があるのですよう。


熊谷高校



1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」

「文武両道」

「自由自治」


部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。




『熊校の先生 (2009年9月10日)』より


「坊っちゃん」のモデルになった弘中先生が松山中学では1年に満たないで辞めているのに、旧制熊谷中学では19年間も教えたということが、何よりも自由な校風を物語っていると思うのですよう。

そうでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ~、僕が在校していた時に、数学を教えていた三木先生という人が居たのです。その先生は青木先生の2年後輩でした。授業の合間に次のようなことを言ったことがあったのですよう。


私が熊中時代に青木先生は生徒会長のような役についていましたよう。
軍事教練があった頃で、確か、軍隊行進をした時に、軍刀を持って先頭に立っていたのが青木先生でした。
今でも、声がよく通るけれど、号令をかける時の青木先生は勇ましかったものですよう。


青木先生は京都帝大では馬術部、しかも軍隊に居た事もある。体育会系の精神にどっぷりと浸(つか)かっていたように思うのだけれど、多分、反動なんでしょうね。精神の自由を希求していたのかも知れません。京都帝大では哲学科でしたから。。。

怖い先生だったのでござ~♪~ますか?

いや。。。教室で怒ったことはなかったですよう。他の先生にも尊敬されるような先生でした。「坊っちゃん」のモデルの弘中先生が19年間教えたように、青木先生も20年以上教えましたよう。やっぱり、自由な校風が先生方にとっても居心地がよかったのでしょうね。

つまり、熊谷高校の伝統の中には横型社会にも通用する自由な校風があったとデンマンさんはおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

僕自身は、熊谷高校でそういう教育を受けてきたと信じきっていますよう。良い先生方に巡り合いました。それも“縁は奇なもの味なもの”でしょうね。

ところで、玲子さんはどのようにして大官寺君と知り合ったのでござ~♪~ますか?

それが面白いのですよう。僕が尋ねたら「しゃない結婚です」と言うのですよう。

「社内結婚」でござ~♪~ますか?

僕もそう思ったのですよう。大官寺君は一級建築士事務所を行田市に構えているのです。熊谷高校のプールは彼が設計して施工したというのですよう。だから、「玲子さんも建築関係の仕事をしていたの?」と、僕は、そう尋ねたのですよう。

そうしたら。。。?

「車内結婚なのよ」と言うのですよう。つまり、通学電車の中で知り合って結婚にゴールインしたのだそうです。「車内結婚」と言うところなど、やっぱり文学少女だった面影を感じますよう。うしししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
あたくしも、できれば車内結婚したいのですわ。
でも、現在、車で大学まで通勤しているのですわ。
それで、あたくしは、結婚できないのかしら?

ところで、あたくしも横型社会が望ましいと思うのですけれど、
名前の呼び方までが北米風な横型社会になることは好ましいとは思わないのでござ~♪~ますわ。

ええっ。。。どうしてかってぇ~。。。?
だってぇ、教室で女学生から“卑弥子”なんて呼び捨てにされるのはヤ~でござ~♪~ますわ。
どうせ呼ばれるのならば、“卑弥子准教授”と呼ばれたいのですわ。

とにかく、デンマンさんのお話は、まだ面白くなるようでござ~♪~ますう。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“縁は異なもの味なもの”

良く耳にする諺ですよね。

さて、英語でなんと言うのでしょうか?

考えてみたことがありますか?

そのものズバリの言い方はなさそうです。

わたしが最もそれに近いと思ったのは

次の言い方です。

Inscrutable and interesting are the ways

people are brought together.


Inscrutable は mysterious とか

cryptic と同じ意味です。

つまり、「よく分からない奇妙な」という意味です。

文字通りに訳せば

“人との出会いは言葉では説明しがたく、

また(それだけに)面白い”



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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