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熊校の先生


  
熊校の先生







Subj:グルメの小百合さんが

ウハウハ喜んで読めるような

グルメな記事を書きましたよう。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 25/08/2009 9:34:01 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月26日 水曜日 午後1時34分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com




“デンマンさんも秋ですね。”



そうです。。。そうです。。。
バンクーバーは小百合さんが言うようにめっきり秋の気配に包まれていますよう。
もう夏は終わりました!

今日、8月25日の最高気温は21度です。
ラーメンが食べたくなるような涼しさです。



ところで、小百合さんの「麦わら帽子」から『人間の証明』のことでたくさん記事を書きました。
小百合さんからインスピレーションをたくさんもらいました。
ありがとね。



『人間の証明 (2009年8月19日)』

『女の証明 (2009年8月21日)』

『母の証明 (2009年8月25日)』


森村誠一さんの経歴から熊谷生まれだと知り、
さらに、12歳のときに熊谷空襲を体験したということから。。。
僕の母校・熊谷高校をウィキペディアで調べることになったのでした。

旧制熊谷中学時代に19年間も教えた弘中又一先生が、なんと、『坊っちゃん』のモデルだったと知り、僕の興味も『人間の証明』から『坊っちゃん』に移って行ったのでした。

松山中学の生徒の間で歌われていたものに「教師数え歌」があるのです。
「一つ弘中シッポクさん」で始まっており、7番目に「七つ夏目の鬼がわら」とあるのですよう。
このシッポクとは、シッポクうどんのこと。



グルメの小百合さんのために、調べましたよう。
9月2日の記事の中で書きました、
題して『坊っちゃん再訪』

『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』

熊谷時代の弘中先生の好物がどじょう。
それで「柳川鍋」も調べました。

小百合さんは、多分、泥鰌(どじょう)が嫌いでしょうね?





でもねぇ~、「柳川鍋」はうまそうだよう。
うまそうな写真を載せてあるから、ぜひ読んでみてね。

子供の頃、お袋が「柳川鍋」風どじょうドンブリを作って食べさせてくれたけれど、
“うまい!”と思って食べたことはついに一度もありませんでした!

\(^▽^;)/ きゃはははは。。。
 
じゃあ、ゆっくりと読んでみてね。
小百合さんも、きっと、よだれが出てくると思うよう。

(\__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ~






『弘中先生と熊谷 (2009年9月6日)』に掲載




9月6日の記事では、行田地区の生徒が理科の実験室に集まって、新入生歓迎の談話会を催(もよお)したとデンマンさんは、お話してくださいましたけれど、高校三年生の春田少年は、大人も顔負けなお話をしたのでござ~♪~ますわね。



そうなのですよう。なんだか講談を聴いているような気がしたほどですよう。僕も含めて新入生は春田さんの話にすっかり感心したものですよう。

それで、20年以上経っているのにデンマンさんはお話の内容をほとんどすべて覚えていたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕はねぇ~、大学に入ってから集まりがあって、何か話せと言われたら春田さんがしたような話を内容を少し変えて話そうと、そう考えて記憶にとどめていたのですよう。

。。。んで、お話しする機会があったのでござ~♪~ますか?

松下産業の新入社員研修で、その機会があったのですよう。でも、どう言う訳か、その時はすっかり忘れていたのですよう。

それで、お話しする機会が無いままに、20年以上経って思い出した時に次の記事を書いたのでござ~♪~ますか?

『はなし (2005年4月7日)』

そうなのですよう。。。結局、今まで人前で話したことは一度も無かった。

それで今日は、デンマンさんが在学中に感銘を受けたユニークな先生のお話をしてくださるのでしたよね?

うん、うん、うん。。。そうですよう。

弘中先生は松山中学では滞在期間が1年にも満たなかったのに旧制熊谷中学では19年間も教えたのでござ~♪~ますわ。デンマンさんが在学していた頃も、20年近く教えていた先生は多かったのでござ~♪~ますか?

居ましたよう。名物先生として話題になっていた先生はたいてい勤続年数が長かったものですよう。

旧制熊谷中学・新制熊谷高校には、先生が長く留(とど)まるよう、そんな自由な雰囲気があったのでござ~♪~ますか?

僕は“坊っちゃん”があこがれるような自由な雰囲気を在学中に感じましたよう。

その自由な雰囲気とは。。。?

『坊っちゃん』の次の「あらすじ」を読めば見当がつきますよう。


あらすじ



旧制松山中学に赴任した

21才頃の弘中先生

(坊っちゃんのモデル)


人を小馬鹿にしたような赤シャツを着ている教頭「赤シャツ」、たくましい面構えの同僚教師「山嵐」、調子のいい芸人のような画学教師「野だいこ」など、個性豊かな教師たちと生意気な生徒たちに囲まれて始まった坊っちゃんの教師生活。
でも、わずか1ヵ月あまりで終わりを迎えます。
教頭の赤シャツと同僚の山嵐との争いに巻き込まれたのです。
出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそする。そんな赤シャツの振る舞いに怒った山嵐と坊っちゃんは、ついに、赤シャツと赤シャツに従う教師たちに立ち向かう決意をします。

赤シャツたちを待ち伏せした坊っちゃんと山嵐。
坊っちゃんは袂(たもと)から取り出した生玉子を野だいこの顔をめがけてたたきつけ、山嵐は赤シャツをさんざんになぐりつけました。
その夜、二人は学校を辞め、松山を離れます。
松山を離れていく船上で、晴れ晴れとした気分に浸る坊っちゃん。
生まれ育った東京に戻り、「漸(ようや)く娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と、やっと煩わしさから解放された自由な気分に浸ったのです




『坊っちゃん再訪 (2009年9月2日)』より


つまり、弘中先生も自由な気分に浸りたかったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。「坊っちゃん」にとっても、弘中先生にとっても、町の雰囲気や学校の雰囲気に、窮屈で煩わしく、息苦しいものを感じて松山の教師生活を終わらせたのですよう。

つうことわあああァ~、熊谷での生活は自由な雰囲気にあふれていたと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。モデルになった弘中先生は、事実、19年間も熊谷中学で教えたのですからね。弘中先生の愛した自由な雰囲気があったのに間違いないのですよう。

デンマンさんには、どうして分かるのでござ~♪~ますか?

だから、僕の経験した自由な雰囲気を書き出してみますよう。まず手始めに英文法の先生と漢文の先生の話をしますよう。

あたくしは何度か聴いておりますけれど。。。

初めて聞く人も居るだろうから、ここに書き出しますよう。


自由で開放的な

授業の雰囲気




英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。



その寺田先生は女性でござ~♪~ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ~♪~ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ~♪~ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。

“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ~” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ~♪~ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”と、感嘆したことがあったのでござ~♪~ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ~♪~ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。



うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ~♪~ませんわ。

そうですかぁ~。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う~♪~ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ~。。。そういうものですかぁ~。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ~”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ~♪~ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ~♪~ますか?



そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。

その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ~♪~ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ~♪~ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ~♪~ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ~♪~ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ~♪~ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ~♪~ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ~♪~ますから、中国文学はイマイチでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。


長恨歌(ちょうごんか)



華清池は秦の時代(前221~前207年)から続く温泉地で、唐代(618~907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 



■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?

デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ~♪~ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。





つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご~♪~く惹かれたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。




『あっちかち (2008年3月25日)』より


どうですか、卑弥子さん。。。?僕の言おうとしている事が分かりますか?

いいえ。。。よく分かりませんわ。

あのねぇ~。。。、自由で開放的な授業の雰囲気があったのですよう。そういう中で寺田先生や大島先生のようなユニークで、秘めた情熱を持っている先生方が居たのですよう。

他にもたくさん印象深い先生方が居たのでござ~♪~ますか?

思い返してみたら高校時代の先生方にユニークな人が最も多かったですよう。もう一人思い出に残るというか、僕に“こだわる”ことの大切さを教えてくれた美術の先生が居ましたよう。

なんと言う先生だったのでござ~♪~ますか?

名前を忘れてしまいましたよう。東京芸大の前身・東京美術学校を出た先生でした。

デンマンさんは、名前を忘れやすいのですわね?

そうなのですよう。当時の校長先生の顔も名前も僕は覚えてないのですよう。うしししし。。。高校時代の先生で名前を覚えているのは2年間クラス担任を勤めた青木先生だけですよう。“青丹”と呼ばれていた先生で、お父さんの名前が丹左衛門で、やはり旧制熊谷中学の先生だった。

。。。んで、その美術の先生はどのような事をお話になったのですか?

仮に藤田先生としましょう。この先生はいつも蝶ネクタイをしていましたよう。美術の先生と言うよりも漢文の先生というイメージを与える先生でした。メガネをかけて古武士のような厳(いかめ)しい表情をしていました。

それで、藤田先生は、どのような印象深いお話をしたのでござ~♪~ますか?

内庭に面したリビングルームに縁側を作ったと言うのですよう。

。。。んで、そのこだわりと言うのは。。。?

縁側と言うよりも話を聞いているとサンデッキ(sun deck)のようなものらしかった。当然、4隅を脚で支える必要があるのだけれど藤田先生は大工さんに前の2脚を作らずにリビングルームに近い方に2脚を作り、外から見ると縁側が地面から浮いて見えるように作って欲しいと言ったそうですよう。

そのような事ができるのですか?

大工さんは、そのようなものはできませんよ、と答えたらしい。確かに、サンデッキを作るのはテーブルを作るのと同じようなもので、藤田先生の言うのは2脚でテープルを支えろ!と言うようなものですよう。

。。。んで、どうしたのでござ~♪~ますか?

藤田先生は、何とかしてサンデッキが地面から浮いて見えるように作って欲しいと、こだわったそうですよう。

なぜ。。。?

サンデッキが地面から浮いているように見える方がすっきりして気分がいいと言うのですよう。

そのために、大工さんに無理を言って作らせたのですか?

そうなのですよう。大工さんも困ってしまったらしい。

それで。。。?

とにかく、藤田先生は2倍ぐらい費用がかさんでもいいから、どうしても作って欲しいと頼んだらしい。

それで、作ったのでざ~♪~ますか?

大工さんも藤田先生の“こだわり”を知っていたから、それ以上逆(さか)らわずに頭を絞って作ったらしいのですよう。

。。。んで、満足の行くようなサンデッキができたのでござ~♪~ますか?

できたらしいのですよう。その日の帰り道、いつも行田に一緒に帰る坪田君が言ったものですよう。「藤田先生の話は、いつも自慢話だよなぁ~」

デンマンさんも、そう思ったのでござ~♪~ますか?

いや、僕は藤田先生の“こだわり”の方が印象的で、先生が自慢話をしているとは一度も思いませんでしたよう。

でも、どうしてデンマンさんは、そのようなつまらないお話を覚えていたのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんには、つまらない話ですかぁ~?

20年も経って思い出すようなユニークなお話ではないと思うのでござ~♪~ますわ。

この話を覚えていたのには訳がある。

どのような。。。?

まず、ウィキペディアの「熊谷高校」の項を読んでみてください。


熊谷高校



1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。

このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。

このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。

 (中略)

主な出身者・関係者

政治・行政 (略)

経済 (略)

 (中略)

芸術・雑

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル
須田剋太: 日本画家

(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『坊っちゃんと熊谷 (2009年8月29日)』に掲載






須田剋太さんの名前が赤字になっていますわね?



僕は司馬さんの本を読んでいて須田剋太さんが旧制熊谷中学を卒業したことを知ったのですよう。

上の説明では須田さんは日本画家として紹介されていますわ。

“日本の画家”という意味でしょう。。。うしししし。。。須田さんの項目で調べたら次のように、ちゃんと洋画家になっていましたよう。


須田剋太 (すだ こくた)

(1906年5月1日 - 1990年7月14日)



洋画家。埼玉県生。
当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。
力強い奔放なタッチが特徴。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。
道元禅の世界を愛した。

略歴

1906年 埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)で、須田代五郎の三男として生まれる。本名 勝三郎。
1927年 埼玉県立熊谷中学校(旧制、現・埼玉県立熊谷高等学校)卒業。その後浦和市(現:さいたま市)に住み、ゴッホと写楽に傾倒する。東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失敗。独学で絵を学ぶ。
1936年 文展で初入選。
1939年 文展で「読書する男」が特選。
1949年 抽象絵画の旗手長谷川三郎と出会い、国画会に入り抽象画の道へ進む。
1950年 森田子龍編集の「書の美」に論文を発表する。以後「墨美」や墨人会同人との交流を通して書に深く傾倒。
1955年 第3回日本抽象美術展に出品。
1957年 第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品。
1960年 第1回個展(大阪フォルム画廊)。
1961年 現代日本絵画展に出品。カーネギー国際現代絵画彫刻展(アメリカ)に出品。
1962年 西宮市民文化賞を受賞
1971年 司馬遼太郎に同行しながら、「街道をゆく」の挿絵を描き始める。



1983年 「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞。
1990年 7月14日午後5時28分、兵庫県神戸市北区の社会保険中央病院にて84歳で死去。
1990年 油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の計2223点の作品を大阪府に寄贈。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


。。。んで、須田さんが、どうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

美術にハマル人は、“こだわり”を持ってないと大成できないのかもしれませんよう。須田さんは東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失敗したのですよう。それで独学で絵を勉強した。それで、1936年に文展で初入選したのですからね。やはり、“こだわり”が無いと、できないでしょうね。

須田さんが芸大受験に4度失敗していたので、デンマンさんは美術の藤田先生の“こだわり”の話を印象的に覚えていたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。ウィキペディアで須田さんの略歴を読んで、そう言えば美術の藤田先生も、ずいぶんと“こだわり”の激しい人だったと思い出したのですよう。うしししし。。。

それで、高校時代に先生方の影響を受けたデンマンさんも“こだわり”が激しいのでござ~♪~ますわね?

。。。ん?この僕が“こだわり”が激しいのですか?

そうですわよう。。。「成りすまし馬鹿」さんにデンマンさんは、こだわっているではござ~♪~ませんかア!


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5) デンマンの書きたい放題 : 宮本武蔵と成りすまし馬鹿 (PART 2 OF 4)デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。
http://denman705.exblog.jp/10766149

(中略)

30) 「2ちゃんねる」が含まれるエキサイトブログのエントリ | エキサイト ...2ちゃんねると成りすまし馬鹿 (PART 1 of 5) (デンマンの書きたい放題 - 08月04日 04時04分) ... 2ちゃんねると成りすまし馬鹿(PART 2 of 5)雨の朝 雨の朝きみの背中を追いかけて言葉かけたく急ぐ傘の中 by めれんげ2009.07.10 Friday 14:39『即興の詩 ...
http://befriends.biglobe.ne.jp/News/magazine/exblog_%82Q%82%BF%82%E1%82%F1%82%CB%82%E9/

31) 「ID」が含まれるエキサイトブログのエントリ | エキサイトニュース 2ちゃんねると成りすまし馬鹿 (PART 2 of 5) (デンマンの書きたい放題 - 08月04日 04時02分) …朝 雨の朝きみの背中を追いかけて言葉かけたく急ぐ傘の中 by めれんげ2009.07.10 Friday 14:39『即興の詩 雨の朝』より『夏便り (2009年7月29日)』に掲載上の ...
http://befriends.biglobe.ne.jp/News/magazine/exblog_%82h%82c/6/

32) 「2ちゃんねる」の検索結果 - エキサイト ブログ2009年8月6日 ... …59033718.html2009年7月29日 現在『成りすまし馬鹿 のGOOGLE検索結果』より『2ちゃんねると成りすまし馬鹿 (2009年8月4 ... めれんげさんのサイトは2ちゃんねるじゃねぇ~んだよう!オマエは、何を勘違いしているんだよう。オマエは、馬鹿だから2ちゃんね… ...
http://www.excite.co.jp/exblog/search/?q=2ちゃんねる

33) 次郎のブログ 2ちゃんねると成りすまし馬鹿 めれんげさんのサイトでめれんげさんに対してでなく、僕に対してコメントを書くのは愚かな成りすまし馬鹿のオマエしか居ない!僕は5年間、オマエをじっくりと見てきたから、オマエの文章の書き方で、すぐに愚かなオマエだと分かるようになった。 ...
http://jirodesu.blog12.fc2.com/blog-entry-1021.html




2009年8月11日午前10時現在

『成りすまし馬鹿 のGOOGLE検索結果』より

『軽井沢タリアセン夫人と馬鹿犬 (2009年8月17日)』に掲載


「成りすまし馬鹿」で検索すると約 1,660,000 件も引っかかるのでござ~♪~ますわ。そのうちのトップから33番目までの記事に成りすまし馬鹿さんが顔を覗かせるのですわ。つまり、成りすまし馬鹿さんが33番目までの記事を独占してしまっているのでござ~♪~ますわ。

それが僕の“こだわり”と関係あるのですか?

もちろんでござ~♪~ますわ。デンマンさんが成りすまし馬鹿さんにこだわって記事を書きまくるから、このような事になるのでござ~♪~ますわ。

あのねぇ~。。。、僕は成りすまし馬鹿にこだわっているわけではないのですよう。成りすまし馬鹿のように、他人に成りすまして嫌がらせのコメントを書き回る愚民が一人でも少なくなるようにと期待しながら記事を書いているのですよう。

だから、それがデンマンさんの“こだわり”なのでござ~♪~ますわ。

そうかなあああァ~。。。?


そうですわ。。。。そればかりではござ~♪~ませんわ。

他にも僕がこだわっていると卑弥子さんは言うのですか?

そうですわ。。。デンマンさんはヌードにもこだわっていますわ。これも、寺田先生と大島先生と藤田先生の影響だと、あたくしは思うのでござ~♪~ますわ。

その証拠でもありますか?

ありますわよう。奈緒子さんが次のように書いていましたわ。


杜の都に桜咲く



ご苦労様、ありがとうございます。
デンマンさんに描いていただいた
わたしのヌードは
のびのびした表情をしていますね。

それまで「鳩胸でっちリ」と言われて
イジメられてばかりいました。
劣等感の塊のようになっていた
みすぼらしいわたしを、
デンマンさんは素敵だと言ってくれました。



あのホットパンツは
叔母がニューヨークへ行った時に
5番街のサックスで買ってきてくれた
おみやげです。

大切な人のために穿こうと決めていました。
恥ずかしかったけれど、
デンマンさんの目の前で
一糸まとわぬ姿になって、
本当に良かったと思っています。

わたしは初めて
自分の体に自信がもてました。
デンマンさんにヌードを描いてもらって
褒められて、
なんだか大人になったようで
冗談ぬきで、
舞い上がるようないい気持ちです。

デンマンさんの目の前で
思い切って
裸になってよかった・・・

でも、デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。

わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、
心配になっています。

それにしても、わたしは幸せ者です。
桜の咲く杜の都の四畳半で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございました。

新年も宜しくお願いします。

奈緒子より




『杜の都に桜咲く』より
(2009年3月20日)


奈緒子さんが劣等感を克服したいと言うから僕はお手伝いしたのですよう。ヌードにこだわっているからではありませんよう。

いいえ、こだわっていますわ。

まだ証拠があるのですか?

ありますわよう。デンマンさんが次の記事の中でレンゲさんとジューンさんと一緒にバンクーバーのヌードビーチへ行った時のことが書いてござ~♪~ますわ。





『バンクーバーで愛とロマンを!』

 (2006年8月25日)


卑弥子さんは良く覚えていますねぇ~?でもねぇ~、それはヌードにこだわっていると言うよりもナチュラリズム(naturalism)を実践していると言う事なのですよう。つまり、心も体も、もっと自然に親しもうという考え方なんですよう。

しかし。。。、しかし。。。、おヌードになってビーチで過ごすのでござ~♪~ますわ。

だから、それがナチュラリズム的な生き方なのですよう。つまり、ロハス(LOHAS)的な生き方に近いわけなのですよう。

でも。。。、でも。。。、おヌードになってぇ。。。

奈緒子さんと、レンゲさんと、ジューンさんがたまたまヌードになったという事ですよう。。。

たまたまではござ~♪~ませんわ。。。ニューヨークでもデンマンさんはおヌードにこだわったのでござ~♪~ますわ。

。。。ん、ニューヨークで。。。?

そうでござ~♪~ますわ。次の記事の中でアンナさんと混浴露天風呂に入ったことが書いてござ~♪~ますわ。



『ニューヨークの混浴露天風呂』

 (2008年5月22日)


卑弥子さん。。。、卑弥子さんは。。。、どうして、そういう記事だけを良~く覚えているのですか?

だってぇ~、とっても衝撃的なんですものォ~。。。うふふふふふ。。。

あのねぇ~。。。、卑弥子さんは僕がヌードにこだわっていると言って非難しているけれど、卑弥子さんだって、ヌードにこだわっていますよう。

あたくしが。。。、あたくしがでざ~♪~ますか?

そうですよう。つい最近のことですよう。ちょっと読んでみてくださいよう。


暑くっておヌードになりたいので

ござ~♪~ますわ。






あのねぇ~、僕はわざわざ小百合さんの悩殺的なビキニ姿を貼り付けたわけではないのですよう。



だってぇ~、きわどいビキニ姿が貼り付けてあるではござ~♪~ませんかア!成りすまし馬鹿さんが鼻血をブ~、ブ~出しますわよう!

あのねぇ~、上の小百合さんのビキニ姿は去年の11月14日の記事の中に出てくるのですよう。

だから、上の写真を出す必要はなかったのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さん!。。。あなたは。。。、あなたは。。。、いったい。。。、一体、何をしようとしているのですか?

小百合さんのビキニ姿を見ていたら、あたくしまで暑くなってきたのですわよう。も~~、こんなダサい十二単など着てられませんわよう。
 
 
タラぁ~♪~
 
 




卑弥子さん!。。。

いい加減にしてくださいよう!

成りすまし馬鹿が鼻血を出しすぎて

このサイトを血だらけにしてしまいますよう!




あたくしが十二単を脱いではいけないのでござ~♪~ますか?

十二単が卑弥子さんのトレードマークでしょう!

仕方ありませんわア。ムシムシしてキモいのですけれど、成りすまし馬鹿さんが出血多量でオツムの血の巡りが悪くなって、さらに馬鹿になると困りますから、ダサい十二単をまた身に着けますわ。。。これでよろしいでござ~♪~ましょうか?おほほほほほ。。。



あのねぇ~、今日は真面目な話をしようと思っているのですよう。

あたくしだって、そのつもりでござ~♪~ましたわ。




『田舎教師と熊谷(2009年8月31日)』より


卑弥子さんは人のことを言えませんよう。

あたくしが、何かいけないことをしたのでござ~♪~ますわ

僕がヌードにこだわっていると非難しておきながら、上の対話が終わるやいなや、卑弥子さんは何もかも脱ぎ捨てて素っ裸になってしまったのですよう。

だって暑かったのですものォ~。

ウェブカムを切ってから裸になればいいではありませんか?

それでは詰まりませんわ。デンマンさんがどんな反応を示すかと思って。。。うふふふふ。。。


【デンマンの独り言】



分かるでしょう!?
卑弥子さんは、時々常識では考えられない事をするのですよう。
わざと人がビックリするのを見て楽しむという、イヤ~な趣味があるのですよう。

京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授なんですよう。
そういう人がウェブカムも切らないで、わざと素っ裸になってしまうのですよう。
いくら暑いからと言っても、やっぱりエチケットがありますよね。

ええっ。。。?タダでストリップが見られるのだから、喜べ!

あなたは、僕にそのようなうれしいような、悲しいような。。。恥ずかしいような事を言うのですか?
でもねぇ、卑弥子さんは僕を喜ばすために裸になるのではなく、
僕がどのような反応を示すのか、
それを観察しながら楽しむというか?
優越感に浸るというか?
とっても、ひねくれたイヤ~な趣味を持っているのですよう。

だから、おバカタレントのように、ヨダレをたらして喜んだら、卑弥子さんに、それこそ一生バカにされるのですよう。
そう言う訳で、一瞬、張り詰めたような緊張が僕の体を震わせるのです。
とても、ストリップを見るような気分にはなれません。

とにかく、まだ面白い話があります。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
じゃあね。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“郷に入れば郷に従え” 

良く耳にする諺ですよね。

さて、英語でなんと言うのでしょうか?

考えてみたことがありますか?

次のように言います。

“When in Rome,

do as the Romans do”


多分、あなたも知っていたと思います。

このことで、デンマンさんとレンゲさんが

とっても面白い対話をしています。

『不倫とヌードはいけませんか?』

(2006年9月13日)


なんだか、面白そうでしょう?

せひ、上のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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