FC2ブログ

女の証明


  
女の証明





日付: Fri, 14 Aug 2009 20:03:40 +0900 (JST)
(バンクーバー時間8月14日 金曜日 午前4時3分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "デンマン さん" green@infoseek.jp



件名:明日から 軽井沢に行きます


昨夜の迎え盆は わりと静かでした。
いつも 大人数の集まりが、 たった8人、
でも、楽しかったですよ、お寺にちょうちんを持って
仏様を迎えに行って、一緒にお盆の夜を過ごす。
落ち着いて、過ごした感じです。

お客さんが全部かえるまで、酒や氷、
うどんの汁をよそったり、果物むいたり
いつも あれこれ 動いて。
夜つかれて 仏様になって 死んでる状態なのに、
昨夜は 皆と座って食べて、 早く終わり
その後 長男坊と飲んで、次男坊と話して、 
改めて お盆もいいなー と。

ごめんね、 三男坊がウルサイ。
明日から 軽井沢いくので 間あきます。

さゆりより






Subj:軽井沢で迎え盆の疲れを癒してきてね。

室生犀星の文学碑に

愚痴を言ってきてもいいよう!。。。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。




Date: 14/08/2009 11:40:09 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月15日 土曜日 午前3時40分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com





昨夜の迎え盆は わりと静かでした。
いつも 大人数の集まりが、たった8人、


うん、うん、うん。。。
8人も集まればぎやかですよう。
今時、お盆に8人も集まる家は無いでしょうね。
僕にも子供の頃のお盆の思い出がうっすらとあるけれど、8人も家に人が集まった事は無かったですよう。

やっぱり、栃木の田舎では昔からの風習をしっかりと守っているのかねぇ~?

“盆と正月が一緒に来たようだ!”

昔からこういう表現があるほどだから、
“お盆”には、昔、人がたくさん集まったんだろうね。

でも、今時、親族の集まりなんて、よほど田舎へ行って、それも本家で旧家じゃないと大人が8人も集まることなんてないよう!
小百合さんの現在の家は、たぶん本家で旧家なんでしょうね。

僕のお袋の実家のその本家は旧・南河原村でも大きな家で、家の周りに堀がめぐらされていたというからすごい!
しかし、お袋の子供の頃には落ちぶれてしまった。
お袋の実家も右向け右で、貧しくなって、お袋は東京にある遠縁の寿司屋に女中奉公しなければならなかった。
お袋の働きがあったので、実家は持ったようなものです。
亡くなった子供も含めれば、13人居た兄弟姉妹の一番年上の長女でした。
学校にも行かされず、子供の頃から働かされて、ずいぶん苦労したようだけれど、本人はそれほど苦労したとは思っていないのですよね。

時代が違うと言えばそれまでです。
戦時中に青春を過ごした女性は、強いですね。

小百合さんも同時代の女と比べれば、しぶとく、たくましく生き抜いていると思いますよう。

\(^_^)/ キャハハハ。。。

もちろん、苦労を知らない現代女性が増えた中で、小百合さんだって、“苦労”が無いわけではないでしょうけれど。。。




でも、楽しかったですよ、お寺にちょうちんを 持って
仏様を迎えに行って、一緒にお盆の夜を過ごす。
落ち着いて、過ごした感じです。


そうでしょう!。。。そうでしょう!

“忙しき中にも楽あり!”

そんな格言があったかな?

小百合さんが、文句も言わずに、こまごまと動き回っている姿が、一抹(いちまつ)の清涼(せいりょう)を思わせるように僕の瞼(まぶた)に浮かんでくるのですよう。
それでこそ「軽井沢タリアセン夫人」ですよう。

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。




お客さんが全部かえるまで、
酒や氷、うどんの汁をよそったり、果物むいたり
いつも あれこれ 動いて。
夜つかれて 仏様になって
死んでる状態なのに、



昨夜は 皆と座って食べて、 早く終わり
その後 長男坊と飲んで、次男坊と話して、 
改めて お盆もいいなー と。


うん、うん、うん。。。
たまには人が集まって、ワイワイ、ガヤガヤするのもいいものですよう。
でも、女性はいろいろと立ち働かねばならないから、人が集まれば集まるほど大変でしょうね。
でも、そういう時の女の立ち働きで、その「女の値打ち」が決まるのですよう。
見ている人はしっかりと見ていますからね。

僕のお袋も苦労の多い人だったけれど、
お袋の実家に嫁いだ良子さん(お袋の義理の妹)は、僕の親戚中で最も苦労した人です。
僕は、この叔母さんを“女の鏡”だと子供ながらに思ったことがありました。
とにかく、舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)、小姑(こじゅうと)がたくさん居た中で、文句も言わず、動き回っていましたからね。。。
僕が親戚中で、もっとも親しくしている6歳年上の叔母は、その小姑の内の最年少でした。

良子叔母さんは自分の時間など持っている暇が無いほど動き回っていたイメージしか僕には思い出せません。
小学生だったのに、僕はこの叔母さんを尊敬していましたよう。
あれだけ忙しそうに動き回っていたのに、小学生の僕に対しても、いつも心からの笑顔を見せていました。

この良子叔母さんは、今でもお袋のために畑でできたトマトや、きゅうり、ニガウリなどをお土産に持って年に何度か、お袋のところにやって来ます。
今から思えば、良子叔母さんも、僕のお袋が苦労したことを十分に知っていたので、気が合ったのでしょうね。
お袋の実家の「お盆」の時に、あれだけ疲れていたのに、僕に対して心からの笑顔を見せたのは、僕が、苦労したお袋の長男だったからでしょうね。




ごめんね、 三男坊がウルサイ。
明日から 軽井沢いくので 間あきます。


はい、はい、はい。。。
軽井沢で迎え盆の疲れを癒してきてね。
室生犀星の文学碑に愚痴を言ってきてもいいよう!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。

小百合さんの「麦わら帽子」のメールを使って8月19日の記事を書きましたよう。
題して『人間の証明』。
小百合さんに読んでもらおうと思って一生懸命に書きましたからね。
写真をたくさん貼り付けたから、楽しみながら読めますよう。

次のリンクをクリックして読んでね。

『人間の証明 (2009年8月19日)』

は~♪~い。
そう言う訳で、小百合さんも文学碑を僕の分まで眺めてきてね。
癒されて、身も心も充電して、元気にたくましく生き抜いてね。

(\__/)
(+'.'+)
(")_(")


じゃあねぇ~






デンマンさん。。。今日は『人間の証明』ではなくて『女の証明』でござ~♪~ますか?


 
たまたま小百合さんのメールを読んだら、迎え盆で忙しく、あわただしかった小百合さんの様子が目に見えてきて、急に良子叔母さんのことが思い出されてきたのですよう。

「女の鏡」のような女性なのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。一昔前の“良妻賢母”ですよう。ナウい女性ならばとっくの昔に離婚して実家に帰っていましたよう。

そう言えばデンマンさんも、お母様のことを“良妻賢母”と言って記事に書いていましたわよね?

卑弥子さんはよ~く覚えていますねぇ~? そうですよう。4年前に書いたのですよう。

『日本から失われつつある良妻・賢母』

 (2005年7月6日)


。。。んで、中村さんという方がデンマンさんを批判したのですわ。。。うふふふふ。。。

それで。。。、それで。。。、卑弥子さんは覚えていたのですか?

そうでござ~♪~ますわ。デンマンさんの記事に批判する方って、めったにござ~♪~ませんわ。

そうなのですよう。日本人は一般的に批判したり批判されることを人格攻撃とか、人格攻撃されると解釈する人が多いですからね。何事も“事なかれ主義”!みんな仲良くやろうね。。。そう考える人が圧倒的に多いのですよう。。。でも、心の中では反発している人が多いのだけれど。。。

デンマンさんも、かなりムキになって反論しましたわね?

別に僕はムキになったわけじゃないけれど、批判されたら、当然反論しますよう。その時の記事を読んでみてください。

『日本には良妻賢母は居なくなったのでしょうか?』

 (2005年8月9日)


。。。んで、今日は「良妻賢母」についてお話になるのでござ~♪~ますか?

もう、「良妻賢母」については上の記事の中で語りつくしました。少し飽きましたよう。

でも、今日のタイトル『女の証明』は「良妻賢母」と関係あるのでしょう?

あのねぇ~、僕は原作「人間の証明」をざっと読みました。映画を見た人の中で次のような感想を語っていた人がいたのですよう。


6) 角川映画中後期映画群によって映画の愉しさに目覚めた自分は、当時角川印のいわゆる超大作が公開されるたんび、世論で大バッシングが起きるのを不思議な気持ちで見守ってました。
今回初めて「犬神家」に続くこの鳴り物入り大作を観るに及んで・・・こりゃ春樹プロデューサー、もっと叩かれなくちゃいかんかったわw。
いや監督も脚本家も原作もひどいな、これは。ありえない偶然の連続。
この内容のどこが「人間の証明」なんでしょう?
「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」「キス・ミー」→「霧積温泉」って超強引な発想の転換がいともたやすくなされた時点で、ああこれはサスペンスでもミステリー映画でもないんだって思いっきり興醒め。
もしかしたら「タモリ倶楽部」の担当者はこの映画によって「空ミミアワー」の企画を思いついたんじゃないのか?
いや絶対そうに違いない!!




『人間の証明 (2009年8月19日)』より


この感想を書いた人の思いが僕にも分かった。

どのようにでござ~♪~ますか?

僕の読後感は「人間の証明」と言うよりも、むしろ「女の証明」、あるいはもっと的確に「母の証明」とした方が話の筋に、よりふさわしいのではないか?僕は、そう思ったのですよう。

確かに、「人間の証明」と言うと大げさに聞こえるかもしれませんよね?

あのねぇ~。。。「人間の条件」が映画でも小説でもヒットしたので、それにあやかってタイトルを「人間の証明」にしたのではないか?

そうかもしれませんわね?

実は、僕はこれまで森村さんの本を一冊も読んだことがない。

そう言えば、デンマンさんは推理小説があまり好きではなかったのですよね?

そうなのですよう。上の感想文の中でも次のように書いてある。

監督も脚本家も原作もひどいな、これは。

ありえない偶然の連続。

「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」

「キス・ミー」→「霧積温泉」って

超強引な発想の転換が

いともたやすくなされた時点で、

ああこれはサスペンスでも

ミステリー映画でもないんだって

思いっきり興醒め。


僕はこれほど酷評しないけれど、推理小説の中の「ありえない偶然の連続」だとか、「超強引な発想の転換」には、同様に興醒めした事がたびたびあった。それで推理小説を読む気がしなくなってしまったのですよう。

。。。んで、現在でも推理小説は読まないのですか?

まず読まないですよう。江戸川乱歩先生の推理小説も、僕は読む気がしないほどですよう。

でも、デンマンさんは乱歩先生のことでは、ずいぶんと記事を書いていますよね。

乱歩先生の書評だとか、エッセーは素晴らしいのですよう。ずいぶんと勉強になりました。しかし、推理小説は読むのが億劫(おくう)ですよう。

。。。んで、「人間の証明」はどうでした?

あのねぇ、上の感想を書いた人は、「監督も脚本家も原作もひどいな」、と書いているけれど、僕は、それほど酷いとは思わなかった。やはり、ベストセラーになるだけの価値ある小説だと思いましたよう。

どういう所が素晴らしいのでござ~♪~ますか?

あのねぇ、それを説明するには原作者の経歴を知る必要があるのですよう。ちょっと読んでみてください。


森村誠一



1933年1月2日生まれ。現在も活躍中。
推理小説、時代小説、ノンフィクションなどを手がける。
埼玉県熊谷市出身
埼玉県立熊谷商業高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒。

ホテル勤め(ホテルニューオータニなど)の経験があるため、ホテルを舞台にしたミステリが多い。
また、若い時代に登山に熱中したことから、山岳を舞台とした作品も多い。
また、作品の題名のネーミング・センスも抜群で、ベストセラー作家となった一因と思われる。

12歳にして、日本で最後(8月15日未明)の熊谷空襲を体験。のちの「反戦平和」の原体験となる。
大学卒業時点は、就職不況時代であったため、本人の希望しない大阪のホテルに就職。
重役の娘と結婚するが、「コネで出世するのは本意ではない」と、ホテルニューオータニに転職。
だが、ホテルマン時代の、「自分の個性を徹底的に消す」職場環境を、「鉄筋の畜舎」と感じ、耐え切れずに、ビジネススクールの講師へ転職。
「鉄筋の畜舎」時代への怒りは、初期エッセイで繰り返し、書かれている。

その後、ビジネス書の作家として出発し、1969年、『高層の死角』により第15回江戸川乱歩賞を受賞し、推理作家に転向。
1973年、『腐食の構造』により第26回日本推理作家協会賞を受賞。

推理小説のシリーズキャラクターとして、棟居弘一郎(棟居刑事シリーズ)、牛尾正直(終着駅シリーズ)を生み出している。

1977年に松田優作主演で映画化された『人間の証明』を中心とした、角川書店の角川春樹社長のブロックバスター戦略の中心的存在となり、作品は大半が文庫化され、一躍、ベストセラー作家に。
なお、『人間の証明』は、映画化を前提に、角川春樹から依頼されて執筆した。
続く『野性の証明』も、やはり映画化を前提で、角川春樹から依頼されて執筆。
作品の累計発行部数は1億部を超える。
ノンフィクションの悪魔の飽食シリーズでは、旧日本軍第731部隊の実情を明らかにして話題を呼んだ。

護憲派として、九条の会の講演会などで発言を行っている。
同年代の作家として大藪春彦と交遊があり、森村は大藪の葬式で弔辞を読み上げた。
また「思想の違い」を乗り越えて、角川春樹とは同志的連帯感があり、角川春樹が麻薬事件で逮捕された時は、「角川書店の将来を考える会」を自ら主導して結成。
その記録を『イカロスは甦るか―角川事件の死角』として出版した。

最近では写真俳句に関心を持ち、旅行時や散歩時もカメラを持ち歩いている。
写真俳句についての著作は『森村誠一の写真俳句のすすめ』(スパイス刊)がある。
このことは2006年3月1日付けの朝日新聞「aspara NAXT-AGE」コーナーに掲載された。
また、「アスパラ写真俳句塾」審査員もつとめる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
僕は、森村さんの本をこれまでに読んだこともなければ、どういう人なのかも全く知らなかった。

名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう?

名前は聞いたことがあった。。。その程度でしたよう。

。。。んで、なぜ経歴を調べたのでござ~♪~ますか?

作品を理解するには、作者の経歴を知ると、さらに深く理解できるものですよう。

。。。んで、経歴から何か分かったのでござ~♪~ますか?

ビックリする程のことが分かりましたよう。

どのような。。。?

あのねぇ~、森村さんは僕の隣町で生まれたのですよう。

行田市は熊谷の隣町なのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕は熊谷高校で3年間を過ごしました。

その事がビックリすることなのですか?

違いますよう。「12歳にして、日本で最後(8月15日未明)の熊谷空襲を体験」と書いてあるでしょう。これに僕はハッとした。

デンマンさんも熊谷空襲を体験したのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕は戦後生まれですよう。も~~。。。戦争を知らない世代です。

それなのにデンマンさんは、どうして熊谷空襲にこだわるのでござ~♪~ますか?

ちょっと次の説明を読んでくださいよう。


熊谷空襲



熊谷空襲とは、1945年8月14日23時頃 マリアナ諸島テニアン島の基地より発進したアメリカ陸軍戦略航空軍所属のB-29爆撃機約80機により熊谷市が受けた空襲である。
太平洋戦争最後の空襲となった。
この空襲は埼玉県においては、最大規模の空襲であり、埼玉県内唯一の戦災指定都市となった。

熊谷が空襲被害を受けた理由はよくわかっておらず、埼玉県の県庁所在地として間違えられたという説がある。
当時の県庁所在地は浦和市(現・さいたま市)。
ただし、明治時代初期に3年間という短命ながら存在していた熊谷県時代は県庁所在地であった。
また、大規模軍需工場があると思い込まれた(そのような事実は無い)説がある。
地元では、熊谷陸軍飛行学校で多数の特攻部隊搭乗員が養成され、米軍に多大な被害をもたらしたのでその報復と考える人が多い。

焼夷集束弾や普通爆弾などによりまず市周辺部より、ついで中心部の順で無差別爆撃を受けた。
この逃げ道を火の海にして退路を塞ぐ攻撃法は日本本土空襲でのアメリカ軍の常套手段であった。
(確実に市民を殺傷するため)

損害: 市街地の74%が焼失、266人が死亡。 (死傷者687人)

この空襲を元にアニメ映画「最後の空襲…くまがや」(28分)制作されている。
(埼玉県平和資料館で上映されている)
毎年8月16日に特に被害の大きかった市内中心部星川通りで灯籠流しが行われる。





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


この熊谷空襲がデンマンさんと関係あるのでござ~♪~ますか?

もちろん直接の関係があるわけじゃない。僕はまだ生まれていなかったのだから。。。

それなのに、どうして取り上げたのですか?

僕はお袋からこの熊谷空襲の話を何度か聞かされたのですよう。

お母様は空襲に巻き込まれたのでござ~♪~ますか?

もちろん空襲の中で逃げ惑うことなどなかった。ただ、お袋が当時住んでいた旧・南河原村は熊谷に隣接していた。つまり、隣村ですよう。東京の池袋にある遠縁の寿司屋に女中奉公していたお袋も戦争が激しくなって物資が少なくなって、寿司屋も商売にならなくなると生まれ故郷に帰ってきていたのですよう。戦車が店の前を地響きを立てて通た時の凄さを何度も話してくれました。

。。。んで、お母様は空襲の当日どうなさっていたのでござ~♪~ますか?

幸い、熊谷市には居なかった。上の説明に書いてあるとおり、空襲は8月14日の午後11時頃から始まった。

お母様は見たのでござ~♪~ますか?

空が真っ赤になったと言うのですよう。身震いが止まらないほど凄い爆弾の雨だったそうです。


焼夷集束弾や普通爆弾などによりまず市周辺部より、
ついで中心部の順で無差別爆撃を受けた。
この逃げ道を火の海にして退路を塞ぐ攻撃法は
日本本土空襲でのアメリカ軍の常套手段であった。
確実に市民を殺傷するため.


アメリカ軍の爆撃機は、このように卑劣な方法で焼夷弾を降らせて行くから、逃げ道を失った人は、どうしても市の中心へと向かわざるを得ない。

そこに星川が流れているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕も高校の3年間、星川通りを何度も通りました。

それでお母様は。。。?

もちろん、遠くから見ていたわけだから危険な目にあったわけではなかった。ところが、知り合いの安否が気になったので翌日、熊谷へ出かけて行ったと言うのですよう。

それで。。。?

星川に差し掛かった時に、その悲惨な光景を見て度肝を抜かれたと言うのです。

どのような悲惨な光景だったのでござ~♪~ますか?

実は、森村さんの生家が星川の近くにあった。森村さんは、その痛ましい情景を『熊谷戦災の記録』で次のように書いていますよう。


当時の星川は、今のようにまっすぐの河ではなく、市内を流れる自然のままの曲がりくねった流れであった。
火を避けて、この星川へ逃げ込んだ人達は、ほとんど全員が、翌朝死体となって発見された。
星川の流れが、死体で埋まっていた凄惨な光景は今でも忘れられない。

(中略)

熊谷市は太平洋戦争における最後の犠牲であり、まったく無意味な葬り去られた犠牲の羊(スケープゴート)であったのである。


僕のお袋も森村さんが見た光景を偶然にも見ていたのですよう。

それで、お母様のお知り合いはどうなったのでござ~♪~ますか?

その人は星川の近くに住んでいたので、その光景を見た時には、もうだめだと思って諦めてお袋は引き返したと言うのですよう。でも、病人の看病で親戚の家に居たと言うことで無事だったそうです。

。。。んで、その事が「人間の証明」とどのように関係しているのでござ~♪~ますか?

森村さんの経歴に“熊谷空襲を体験したことが、のちの「反戦平和」の原体験となる”と書いてある。この原体験が読者に伝わらない限り、映画を見ても、原作を読んでも次のような感想を漏らすことになると思うのですよう。

監督も脚本家も原作もひどいな、これは。

ありえない偶然の連続。

「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」

「キス・ミー」→「霧積温泉」って

超強引な発想の転換が

いともたやすくなされた時点で、

ああこれはサスペンスでも

ミステリー映画でもないんだって

思いっきり興醒め。


どうしてでござ~♪~ますか?

だから、司馬遼太郎先生も言ってましたよう。




“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”





『恋に身を焼く (2009年7月19日)』より


つまり、直接的にも間接的にも、何らかの方法で森村さんが体験したような戦争体験を持たないと、「人間の証明」の核心が理解できないとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。読者が理解すべき50%の部分が、その戦争体験と関わっているのですよう。

どのようにでござ~♪~ますか?

いつものように記事が長くなったので、また、あさってこの続きを語りますよう。楽しみにしていてくださいね。
   

【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
また、いい所で尻切れトンボになってしまったのでござ~♪~ますわ。
それにしても、デンマンさんのお母様が森村さんと同じ光景を目にしていたとは。。。?
世の中ってぇ、広いようで狭いものでござ~♪~ますわ。

とにかく、デンマンさんが、さらに興味深いお話をなさるそうですわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またねぇ。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



『デンマン批判 (2009年5月8日)』

『好ましい批判 (2009年5月12日)』

『欺瞞の罠 (2009年5月16日)』

『馬鹿の一つ覚え (2009年5月22日)』

『立派な反面教師 (2009年5月29日)』

『社会的自我の欠如 (2009年5月30日)』

『原人ブームと漢字馬鹿 (2009年6月5日)』

『また、オマエか! (2009年7月3日)』

『成りすまし馬鹿 (2009年7月5日)』

『スカンクと宮本武蔵 (2009年7月6日)』

『絶望的な愚か者 (2009年7月7日)』



 
こんにちは。ジューンです。

日本本土がアメリカ軍の爆撃機によって

空襲を受けた事実は

よく知られていますけれど、

アメリカ本土が日本軍の飛行機によって

爆弾を落とされた事実は

あまり知られていません。

実は、わたしも知りませんでした。

デンマンさんがYouTubeの

動画を探し当てたのです。

「世界超偉人伝説

史上ただひとり米国本土を

爆撃した男伝説」

SF物語でも空想物語でもありません。

史実に基づいて製作された

動画です。次のURLをクリックすると

観ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=s15_hdCEO7I

カリフォルニア州の沿岸に

浮上した潜水艦の甲板で組み立てられた

小型水上飛行機によって

2個の焼夷弾がオレゴン州のブルッキングス市の

近くにある山の中に落とされたのです。

目的は山火事を起こすことでした。

アメリカ本土を爆撃したのは

これが史上初めてで最後でした。

日本軍にとっては不幸にも

オレゴン州民にとっては幸いにも

この焼夷弾は白い煙を立ち上げただけで

山火事は起こりませんでした。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




スポンサーサイト



テーマ : 日記
ジャンル : 日記

プロフィール

次郎

  • Author:次郎
  • 次郎の徒然ブログへようこそ!
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2009/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
Hit Graph

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Follow Me
Twitter
ブログ内検索
RSSフィード
リンク