忘れられた歴史ロマン


 

忘れられた歴史ロマン

 


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デンマンさん。。。 “忘れられた歴史ロマン”というのは、マジで忘れられてはならないような素晴らしい歴史ロマンなのでござ~ますかァ~。。。?


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そうです。。。 僕は、そう信じてます。

デンマンさん以外にも、そう信じているネット市民がいるのですかァ~?

居るのですよ。。。 仙台に住んでいる宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんという女性です。。。

あらっ。。。 デンマンさんが学生時代にナンパした女性でござ~ますかァ?

卑弥子さんは すぐにそういう淫らな発想をするのですねぇ~。。。 

あらっ。。。 いけませんでしたかしらァ~。。。 おほほほほほほ。。。

あのねぇ~、僕が青春時代を過ごした仙台では、当時 ナンパは流行(はや)らなかったのですよ。。。 そういうわけで、僕は極めて真面目で品行方正な青年だったのです。。。

ちょっと信じられませんわァ~。。。

昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だから、卑弥子さんも僕の言う事を信じて救われてくださいねぇ~。。。

分かりましたわァ~。。。 これ以上、このお話を続けると、せっかくデンマンさんの記事を読もうとなされたネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまいそうですから、本題に入ってくださいませぇ~。。。

じゃあ、さっそくIPアドレスを調べた結果を見てください。


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『拡大する』



あらっ。。。 宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんという女性は、夢見心地を絵に描いたような おきれいな方ですわねぇ~。。。 



宮城学院女子大学に通っている日本文学科の4年生なのです。


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デンマンさんのブログを訪れる女性は、どうしていつも決まって おきれいな方なのでござ~ますかァ~?



あのねぇ~、そういう事を詮索すると、長い記事が、さらに長くなるので、素直に見たままを信じてくださいねぇ~。。。

分かりましたわ。。。 デンマンさんが そのようにおっしゃるのであれば、しつこいツッコミは入れないようにいたしますわァ~。。。 で、宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんは、どのような歴史ロマンを見つけたのでござ~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

『枕詞とロマン』(PART 1)




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の6月25日の午後10時29分から翌日の午前3時20分までの約5時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。



あらっ。。。 6月25日の午後10時40分にGOOGLEで検索して『枕詞とロマン』をお読みになったのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんは どのようなキーワードを入れて検索したのでござ~ますかァ?

次のように「枕詞 ロマン」を入れて検索したのです。。。


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『拡大する』

『枕詞とロマン』(PART 1)

『現時点での検索結果』




82,800件ヒットするのですわねぇ~。。。 宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんは 赤枠で囲んだタイトルをクリックしたのですかァ?



そうです。。。

でも。。。、でも。。。、歴史ロマンと言うよりも なんだか“万葉ロマン”のようですわねぇ~。。。

卑弥子さんは、どうして歴史ロマンと言うよりも“万葉ロマン”だと思うのですか?

だってぇ~、宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんは“枕詞”をいれて検索しているではござ~ませんかァ!


枕詞 (まくらことば)


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おもに和歌でその言葉の前に添えて・修飾する(語調を整える)一定の言葉。

五音節のものが多い。

【例】 「あまざかる」が「ひな」にかかるなど。

三省堂 『新明解国語辞典 (第二版)』より




あのねぇ~、枕詞の中には“歴史ロマン”とマジで関係のあるものがあるのですよ。。。



例えば。。。?

「つぼのいしぶみ(壷の碑)」という耳慣れない枕詞があるのですよ。。。 次の記事で取り上げたことがある。。。

『日本の真ん中の町』

 (2009年5月13日)


“壷のいしぶみ”というのは枕詞なのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授なのですよう。 古典文学の研究者として“壷のいしぶみ”が枕詞の一つだと言う事ぐらい知っていて欲しいなあああぁ~。。。

 


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サルも木から落ちる

弘法も筆の誤り

上手の手からも水が漏る


 



デンマンさんがいつもおっしゃっているように完璧な人など居ないのでござ~♪~ますわよう。 あたくしは、うっかり忘れていたのですわア。



つまり、ど忘れしていたのですか?

そうでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。

なんだか、卑弥子さんは全く知らなかったように見えますよう。

そのような事は詮索しないでくださいなァ~。。。 でも、「つぼのいしぶみ(壷の碑)」は5音節ではござ~♪~ませんわ。 7音節ですわよう。 それで、あたくしのオツムから抜け落ちていたのですわ。 ォほほほほ。。。

うん、うん、うん。。。確かに言われてみれば、7音節で例外的ですよね。僕が高校の古典で勉強した次の歌などはあまりにも有名だけれど、5音節です。



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あおによし奈良の都の八重桜

けふ九重ににほひぬるかも


あおによし奈良の都は咲く花の

にほふがごとく今盛りなり


両歌とも 小野老 (おののおゆ) による

出生不詳
737年没
奈良時代の歌人。
姓(かばね)は朝臣(あそみ)。

719年(養老3)正月従(じゅ)五位下、720年10月右少弁となり、729年(天平1)3月従五位上(『続日本紀』)。
このころ大宰少弐(だざいのしょうに)となって九州に赴任(『万葉集』)。

以後731年正月正五位下、733年3月正五位上、734年正月従四位下に昇進、737年6月大宰大弐在任中に没した。
777年(宝亀8)の遣唐副使小野朝臣石根(いわね)の父(『続日本紀』)。
天平(てんぴょう)初年大宰少弐時代の短歌3首が『万葉集』にみえる。

あおに‐よし 【青丹よし】 (あをにーよし)

〔枕〕(ヨもシもともに間投助詞)「奈良」「国内(くぬち)」にかかる。
奈良に顔料の青丹を産出したことが秘府本万葉集抄にみえるが、事実か伝説の記録か不明。
一説に、「なら」に続けたのは顔料にするために青丹を馴熟(なら)すによるという。




『広辞苑』より




デンマンさんの思い違いではござ~♪~ませんか?



間違いではありませんよう。 ウィキペディアにも次のように書いてあるのですよう。


つぼのいしぶみ (壷の碑)

 

「つぼのいしぶみ」とは、坂上田村麻呂が大きな石の表面に、矢の矢尻で文字を書いたとされる石碑で、歌枕でもある。

比叡山で修学した僧・顕昭(けんしょう)が鎌倉時代の初期に書いた歌学書・『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』の19巻では「みちのくの奥につものいしぶみあり、日本のはてといへり。但、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしをかきつけたれば、石文といふといへり。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付けたり。其所をつぼと云也」とある。

つぼの碑のことは多くの歌人が和歌に詠った。
藤原清輔,寂蓮法師,西行法師,慈円,源頼朝,藤原仲実,和泉式部,南部重信,高山彦九郎,岩倉具視,大町桂月らがこの碑のことを詠っている。

内容はいずれも「遠くにあること」や「どこにあるか分からない」ということをテーマにしている。
数多くの人がこの碑のことを詠ったため、有名な石であったが、どこにあるか不明であった。

 

多賀城碑壺碑説

江戸時代の初め頃、多賀城跡付近のある市川村で石碑(多賀城碑)が発見された。
この碑は発見当初から壺の碑であるとされ、当時の記録に残っており(『国史舘日録』など)多くの拓本もとられた。
松尾芭蕉はこの碑を「壺の碑」とし、奥の細道の旅中にここを訪れている。


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「多賀城碑」の傍らに建つ芭蕉句碑

 

一方、菅江真澄らは文面や距離的な問題から壺の碑ではないと主張し、明治時代にも論争を呼んだ(多賀城碑偽作説)。
田村麻呂が到達している地点であることは事実と一致するが、袖中抄にあるような、日本の中央のよしを書いたということ、「つぼ」という地名や四、五丈(12~15メートル)の石に書いたという記述と一致しない。

多賀城碑が壺の碑と結びつけられたのは江戸時代のことであり、当時は古来からの歌枕を自領に置こうという動きがあった。
多賀城碑が壺の碑となったのも仙台藩の強い意図があったと言われている。

 

南部壺碑説

青森県東北町の坪(つぼ)という集落の近くに、千曳神社(ちびきじんじゃ)があり、この神社の伝説に千人の人間で石碑を引っぱり、神社の地下に埋めたとするものがあった。
このため、明治天皇が東北地方を巡幸する際に(1876年)、この神社の地下を発掘するように命令が政府から下った。
神社の周囲はすっかり地面が掘られてしまったが、石を発掘することはできなかった。

1949年6月、東北町の千曳神社の近くにある千曳集落の川村種吉は、千曳集落と石文(いしぶみ)集落の間の谷底に落ちていた巨石を、伝説を確かめてみようと大人数でひっくり返してみると、石の地面に埋まっていたところの面には「日本中央」という文面が彫られていたという。
この地区には田村麻呂は到着していないし、実際に都母(つも)に行ったとされる武将は文屋綿麻呂である。

しかし、多くの古い事柄を有名な英雄である坂上田村麻呂に関係づける傾向がこの地方に多い。
実際に綿麻呂が書いたとすれば811年頃の出来事になる。

日本中央の碑発見後、新聞社や学者が調査を行うが、本物のつぼのいしぶみであるとする鑑定がはっきりと出されていないのが現状である。
これは、袖中抄の記述とは一致するが常識とは違う「日本中央」という文面や、多賀城碑の存在、田村麻呂が現地に到達していないという問題、一見して達筆であるとは言えない字の形も鑑定に影響を及ぼしている。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




でも、ウィキペディアは素人が書いているものでござ~♪~ますわ。



素人が書いているから間違いだとは言えませんよう。僕は他でも「壷のいしぶみ」を歌枕として詠んだ歌を見たことがある。

たとえば。。。?

上の説明にも出てくる顕昭というお坊さんが詠んだ歌には次のよなものがありますよう。

おもいこそ千嶋のおくを隔てねど

えぞかよわさぬ壷のいしぶみ


これだけでござ~♪~ますか?

もっとありますよう。 誰でも知っている鎌倉幕府を立ち上げた源頼朝が詠んだ歌には、次のようなものがありますよう。

みちのくのいはで忍ぶはえぞ知らぬ

かき尽してよ壷のいしぶみ


分かりましたわ。 「壷のいしぶみ」が枕詞だという事を認めますわァ。。。 んで、その事が“歴史ロマン”と関係があるのでござ~♪~ますか?

そうですよ。。。 枕詞である「壷のいしぶみ」に隠された壮大な歴史ロマンがあるのです。 

そのような事がどこかに書かれているのでござ~♪~ますか?

いや。。。 どこにも書かれていませんよう。 これから僕が言うことは僕の歴史ロマンです。

つまり、夢のようなお話でござ~♪~ますわねぇ~。。。

いや。。。 決して夢のような話ではありません。 ある程度、根拠に基づいているのです。

分かりましたわァ。 では、その“歴史ロマン”とやらをお話くださいなァ~。。。

あのねぇ~、「壷のいしぶみ」とは、どちらの石碑なのか? まだ、論争の余地があるようなのですよう。 でもねぇ~、その論争の結果がどうであれ、多賀城で見つかった石碑に僕は壮大な歴史ロマンを見るのですよう。

その石碑には、一体どのような事が書かれているのでござ~♪~ますか?

現代語に訳すと次のように書かれているのです。



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多賀城から京(奈良の平城京)に至るには、武蔵までは南西方向に歩いてゆき、さらに西に向かって歩いてゆく。その距離は1500里。
蝦夷国(えみしのくに、かいのくに)の西の国界(くにざかい)までは、南西方向に120里。
常陸国(ひたちのくに)の西の国界までは、「蝦夷国の西の国界」から南に向かって歩き、さらに西に向かって歩き、その距離は412里。合計で532里である。
下野国(しもつけのくに)の西の国界までは、「蝦夷国の西の国界」から南西方向に274里。合計して394里である。
靺鞨国(まっかつのくに)の西の国界までは、西に歩いてゆき日本海に至る。海を渡り、さらに西へ歩いてゆく。その距離は3000里である。

多賀城は神亀元年(724年)に築城された。按察使(あぜち)兼鎮守将軍の大野東人(おおのあずまひと)が管理した。
そして現在に至る。
東海東山節度使であり、仁部省卿(じんぶしょうきょう)兼按察使・鎮守将軍である藤原朝狩(あさかり)が大改修工事を施した。

天平宝字6年(764年)12月1日




。。。んで、この石碑は何のための石碑なのでござ~♪~ますか?



あのねぇ~、藤原朝狩が多賀城を大改修した記念碑なのですよう。

つまり、藤原朝狩が自分で記念碑を建てたのでござ~♪~ますか?

そうなのです。

。。。んで、デンマンさんがおっしゃる歴史ロマンと言うのも、この人物が関係しているのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

藤原朝狩という人は、それ程有名な人なのでござ~♪~ますか?

いや、この人は中学や高校の歴史の教科書には、まず書かれない事が多いのだけれど、この人の父親は必ず歴史の教科書に書かれます。

誰ですの?

藤原仲麻呂ですよう。 別名、恵美押勝(えみのおしかつ)。


藤原仲麻呂 (ふじわら の なかまろ)


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慶雲3年(706年)に生まれる。
天平宝字8年9月18日(764年10月21日))に殺される。
奈良時代の公卿。
父は藤原武智麻呂。恵美押勝(えみのおしかつ、藤原恵美朝臣押勝)とも呼ばれる。

「続日本紀」は仲麻呂を「率性聡敏にして、略書記にわたる」と評している。
年少にして大納言・安倍宿奈麻呂に算術を学び、すぐれた学才を示した。
大学少允に最初に任官し、天平6年(734年)、従五位下に進む。

天平9年(737年)、天然痘の流行により父の武智麻呂を含む藤原四兄弟が相次いで死去し、藤原氏の勢力は大きく後退した。
代わって橘諸兄が台頭して国政を担うようになった。

天平13年(741年)、民部卿。天平15年(743年)、参議となる。
天平18年(746年)、式部卿に転じる。仲麻呂は叔母にあたる光明皇后の信任が厚く、また皇太子阿倍内親王ともこの時は良好な関係にあったとされる。

天平16年閏1月13日(744年3月1日)の安積親王の恭仁京での急死は、仲麻呂による毒殺説があるが疑問も出されている。

 

孝謙天皇の時代


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天平勝宝元年(749年)、聖武天皇が譲位して阿倍内親王が即位(孝謙天皇)すると、仲麻呂は大納言に昇進。
次いで、光明皇后のために設けられた紫微中台の令(長官)を兼ねた。
仲麻呂は更に中務卿と中衛大将も兼ねた。
光明皇后と孝謙天皇の信任を背景に政権と軍権の両方を掌握した仲麻呂は、左大臣橘諸兄と権勢を競うようになった。

天平勝宝7歳(755年)、諸兄が朝廷を誹謗したとの密告があり、諸兄は恥じて官を辞職し、2年後に失意のうちに死去した。

天平勝宝8歳(756年)、聖武太上天皇が崩御し、遺言により道祖王が立太子された。
だが天平宝字元年(757年)3月、道祖王は喪中の不徳な行動が問題視されて廃太子された。

代わって、仲麻呂の早世した長男真従の未亡人(粟田諸姉)を妃とする大炊王が立太子される。
5月、祖父の不比等が着手した養老律令を施行。
同月、仲麻呂は紫微内相(大臣に准じる)に進む。

仲麻呂の台頭に不満を持ったのが橘諸兄の子の奈良麻呂であった。
奈良麻呂は、大伴古麻呂らとともに仲麻呂を殺害し、黄文王らを擁立するなどの反乱を企てるが、同年6月、上道斐太都らの密告により露見。
奈良麻呂の一味は捕らえられ、443人が処罰される大事件となった。

奈良麻呂、道祖王、大伴古麻呂らは拷問で獄死、
事件に関与したとして仲麻呂の兄の右大臣豊成も左遷された。

 

淳仁天皇の時代

天平宝字2年(758年)、孝謙天皇が譲位して大炊王が即位(淳仁天皇)した。
淳仁天皇を擁立した仲麻呂は独自な政治を行うようになり、中男・正丁の年齢繰上げや雑徭の半減、問民苦使・平準署の創設など徳治政策を進めるとともに、官名を唐風に改称させるなど唐風政策を推進した(太政官→乾政官、太政大臣→大師など。官職の唐風改称を参照)。
仲麻呂は太保(右大臣)に任ぜられ、同年8月25日(10月5日)、恵美押勝の名を与えられる。

同年、唐で安禄山の乱が起きたとの報が日本にもたらされ、仲麻呂は大宰府をはじめ諸国の防備を厳にすることを命じる。
天平宝字3年(759年)、新羅が日本の使節に無礼をはたらいたとして、仲麻呂は新羅征伐の準備をはじめさせた。

軍船394隻、兵士4万700人を動員する本格的な遠征計画が立てられた。
この遠征は後の孝謙上皇と仲麻呂との不和により実行されずに終わる。

天平宝字4年(760年)、仲麻呂は皇族以外で初めて太師(太政大臣)に任ぜられる。
同年、光明皇太后が逝去した。
皇太后の信任厚かった仲麻呂にとっては大きな打撃となる。

天平宝字5年(761年)、淳仁天皇と孝謙上皇を近江国の保良宮に行幸させる。唐の制度にならって保良宮を「北宮」、難波宮を「西宮」とする。

天平宝字6年(762年)、仲麻呂は3人の息子の真先、訓儒麻呂、朝狩を参議につけた。

この頃、病になった孝謙上皇を看病した弓削道鏡が上皇に寵愛されはじめた。
仲麻呂は淳仁天皇を通じて、孝謙上皇に道鏡との関係を諌めさせた。

これが孝謙上皇を激怒させ、上皇は出家して尼になるとともに天皇から大事・賞罰の大権を奪うことを宣言するが、この実現については研究者のあいだでも理解が分かれる。
孝謙上皇の道鏡への寵愛は更に深まり、天平宝字7年(763年)、少僧都とした。

 

藤原仲麻呂の乱

孝謙上皇・道鏡と淳仁天皇・仲麻呂との対立は深まり、危機感を抱いた仲麻呂は天平宝字8年(764年)、都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使に任じ、さらなる軍事力の掌握を企てるが、謀反との密告もあり、淳仁天皇の保持する御璽・駅鈴を奪われるなど孝謙上皇に先手を打たれて、仲麻呂は平城京を脱出する。
子の辛加知が国司の越前国に入り再起を図るが官軍に阻まれて失敗。

仲麻呂は近江国高島郡の三尾で最後の抵抗をするが官軍に攻められて敗北する。
敗れた仲麻呂は妻子と琵琶湖に舟をだして逃れようとするが官兵石村石楯に捕らえられて斬首された。

仲麻呂の一族はことごとく殺されたが、六男・刷雄は死刑を免れて隠岐国に流されて、桓武天皇の時代に大学頭・陰陽頭を歴任している。
また、十一男と伝わる徳一も処刑されず東大寺に預けられて出家し、筑波山知足院中禅寺の開山者となる。

また、仲麻呂の推進してきた政策のうち官名の唐風改称こそは廃されて元に戻されたものの、養老律令をはじめ多くの政策が一部修正を加えられながらも、その後の政権によって継続されている。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




仲麻呂は、あの有名な藤原不比等の孫なのですよう。



その事が歴史ロマンと関係するのでござ~♪~ますか?

大いに関係するのですよう。 実は、藤原氏には藤原家を起こした中臣鎌足から伝わっている家宝の“バイプル”があるのですよう。

どのようなものでござ~♪~ますか?まさか、藤原氏がキリスト教徒だと言うのではないでしょうね?

かつて、僕は記事に書いたので詳しい事は、すぐ下のリンクをクリックして読んでみてください。

 


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■ 『マキアベリもビックリ!

藤原氏のバイブルとは?』




。。。んで、そのバイブルがどうしたのでござ~♪~ますか?



仲麻呂は非常に頭の良い人だったのですよう。当然のことだけれど、仲麻呂は藤原家に伝わる“バイブル”に従って権謀術策を使い正一位になり太政大臣になった。

でも、「藤原仲麻呂の乱」で殺されてしまいましたわ。

その通りですよう。

サルも木から落ちる

弘法も筆の誤り

上手の手からも水が漏る


まさに、完璧な人は居ないと言う事ですよう。仲麻呂は自分の術策に溺れてしまったのですよう。

それで、その事と歴史ロマンがどのように関係しているのでござ~♪~ますか?

実は、父親よりも四男の藤原朝狩の方が頭が良かったのではないか?僕は、そう思っているのですよう。

なぜ。。。?

ちょっと朝狩の略歴を読んでみてください。


藤原朝狩 (あさかり)


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別名: 恵美朝狩。
出生不詳。
天平宝字8年9月18日(764年10月21日))殺される。
藤原仲麻呂の四男。母は陽候女王(新田部親王の娘)。

天平宝字元年(757年)従五位下陸奥守となる。

天平宝字3年(759年)朝狩は正五位下へ進む。この頃陸奥鎮守将軍に任ぜられる。

天平宝字4年(760年)仲麻呂は太師(太政大臣)となり、陸奥守兼鎮守将軍であった朝狩も陸奥国での功績(荒蝦夷を導いて天皇に順化させ、無血で雄勝城〔おかちのき〕を完成させた)が認められ、従四位下に叙される。
仁部卿、東海道節度使となる。

天平宝字6年(762年)、仲麻呂は正一位となり位人臣を極め、同年、朝狩は兄の真先、訓儒麻呂とともに参議に任じられ、親子4人が公卿に列する異例の事態になる。

しかし、孝謙上皇が弓削道鏡を寵愛し、仲麻呂が淳仁天皇を通じてこれを諌めたところ、上皇が激怒して天皇から政権を奪い、孝謙上皇・道鏡派と淳仁天皇・仲麻呂派の対立が起きる。

天平宝字8年(764年)9月、仲麻呂は反乱を計画するが、密告により発覚。
孝謙上皇側に先手を打たれて仲麻呂一族は平城京を脱出。
朝狩もこれに従う。

仲麻呂が長年国司を務めた勢力地盤である近江国の国衙に入って再起を図ろうとするが、官軍に先回りされ阻まれた。
仲麻呂一族は八男の辛加知が国司の越前国を目指すが、官軍が越前国衙へ急行して、まだ事変を知らぬ辛加知を斬り、国境の関を固めてしまう。
仲麻呂一族は近江国高島郡に退き、三尾の古城に拠って官軍に抵抗するが敗れ、朝狩を含む仲麻呂一族はことごとく殺された。(藤原仲麻呂の乱)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




陸奥国での功績に注目してください。



藤原朝狩は荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)を導いて天皇に順化させ、無血で雄勝城〔おかちのき〕を完成させたのですわねぇ~。

そうなのです。 つまり、僕が言おうとしているのは、朝狩の方が父親の仲麻呂よりも“バイブル”に忠実に術策を使い、戦わずにして荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)を導いて天皇に順化させ、無血で雄勝城〔おかちのき〕を完成させたのですよう。その手腕はすごいと思いますよう。

それ程、荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)と仲良くする事は大変な事だったのでござ~♪~ますか?

実は、蝦夷(えみし)は、もともと平和を愛する人たちだったのですよう。この人たちの平和愛好精神について、僕は記事を書きました。 読んでみてください。


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『なぜ、蝦夷という名前なの?』

『平和を愛したアイヌ人』




でも、どうして征伐しなければならなかったのでござ~♪~ますか?



一部の渡来人の身勝手から、そうしたのです。

その渡来人って。。。?

その渡来人の血筋を引き継いでいるのが藤原鎌足や藤原不比等ですよう。

でも、藤原朝狩は荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)と仲良く出来たのですわね。 どうしてでござ~♪~ますか?

もともと、争いが嫌いな性格だったのでしょうね。 父親と違い、威圧的、攻撃的な性格ではなかったのですよう。 とにかく、その功績によって正五位下の藤原朝狩は従四位下に叙せられたのですよう。 つまり、2階級特進したのですよう。

でも、藤原朝狩のした事は、それ程特筆するような事だったのでござ~♪~ましょうか?

そうなのです。 藤原朝狩が造営した雄勝城〔おかちのき〕の略歴を見ると良く分かりますよ。


雄勝城〔おかちのき〕


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現在の雄勝郡域内に、雄勝城と同時代の遺構は見つかっておらず、その造営地は現在も不明である。
記紀から推定されている雄勝城の造営地は、「雄物川流域沿岸地で、出羽柵と多賀城の経路上にあり、かつ出羽柵より2驛手前の距離の土地」である。
現時点で発見されている城柵遺跡でこの条件に一致するものは払田柵跡のみである。

現在、横手市雄物川町での発掘調査が進められており、払田柵から出土したものと同等のものが出土している。
今後、これらの雄勝村周辺遺跡の発掘調査が進むにつれ、古代雄勝城造営地が徐々に明らかにされていくものと期待されている。

 

略歴

天平宝字3年(759年)
雄勝城の造営が行われた。

所轄郡司、軍毅、鎮所の兵士、馬子ら8,180人が春から秋にかけて作業にあたったので、これらの者は淳仁天皇より税の免除が認められた。
また、雄勝に驛が置かれた(雄勝驛のほか、玉野、避翼、平矛、横河、助河、嶺基にも驛が新設された)。

天平宝字3年(759年)9月27日
坂東八国(下野国、常陸国、上野国、武蔵国、相模国、下総国、上総国、安房国)と越前国、能登国、越中国、越後国の4国の浮浪人2,000人が雄勝柵戸とされた。
また、相模、上総、下総、常陸、上野、武蔵、下野の7国が送った軍士器を雄勝桃生の2城に貯蔵した。

天平宝字4年(760年)1月4日
孝謙天皇により雄勝城造営を指揮した按察使鎮守将軍正五位下の藤原朝狩が従四位下に叙せられた。
このほか、陸奥介鎮守副将軍従五位上の百済足人、出羽守従五位下小野竹良、出羽介正六位上百済王三忠が1階級進級となった。

天平宝字4年(760年)3月10日
没落した官人の奴233人と婢277人の計510人を雄勝城に配して解放し良民とした。

天平神護元年(767年)11月8日
雄勝城下の俘囚400人余が、防衛にあたることを約束し内属を願ったためこれを許した。

宝亀7年(776年)2月6日
陸奥国から20,000の軍を発して山道・海道の賊を討伐するよう言上があったため、出羽国に4,000の軍を発して雄勝道から陸奥の西辺を討伐するよう命じた。

宝亀11年(780年)
賊に襲われ、雄勝・平鹿の2郡の百姓は業を失った。
散り散りになった民衆を集め、郡府を再建し口分田を支給する。

延暦20年(801年)
雄勝城の鎮守府兵士の兵糧として、毎年越後国と佐渡国から大量の米と塩が輸送される。

元慶2年(878年)
雄勝城は10道が交差する要衝の地であり、出羽国の要害となっている。

元慶5年(881年)2月26日
雄勝郡、平鹿郡、山本郡の百姓の調庸が再開されることとなる。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




藤原朝狩が雄勝城〔おかちのき〕を造営してから、父親が原因で起こった「藤原仲麻呂の乱」で朝狩が殺されるまで、雄勝城周辺の情勢は平穏だった。しかし、後任者が圧制をやり始めたのが分かる。



どうして分かるのでござ~♪~ますか?

776年と780年に「賊に襲われた」と書いてあるけれど、周辺の荒蝦夷が圧政に耐えかねて、また暴れだしたのですよう。

分かりましたわ。でも、その事と歴史ロマンがどのように関係しているのでござ~♪~ますか?

朝狩は多賀城の大改修も任されたのだけれど、その時建てた石碑の次の文章をもう一度読んでみてください。



(ishibumi2.jpg)

 

多賀城から京(奈良の平城京)に至るには、武蔵までは南西方向に歩いてゆき、さらに西に向かって歩いてゆく。その距離は1500里。

蝦夷国(えみしのくに、かいのくに)の西の国界(くにざかい)までは、南西方向に120里。

常陸国(ひたちのくに)の西の国界までは、「蝦夷国の西の国界」から南に向かって歩き、さらに西に向かって歩き、その距離は412里。合計で532里である。

下野国(しもつけのくに)の西の国界までは、「蝦夷国の西の国界」から南西方向に274里。合計して394里である。

靺鞨国(まっかつのくに)の西の国界までは、西に歩いてゆき日本海に至る。海を渡り、さらに西へ歩いてゆく。その距離は3000里である。




これは藤原朝狩が書かせたものですよう。



上の靺鞨国(まっかつのくに)とは、一体どこにある国なのでござ~♪~ますか?

ウィキペディアの説明を読んでみてください。


靺鞨(まっかつ)


(japan13.jpg)

靺鞨とは、中国の隋、唐時代、勿吉(もつきつ)の表記が変化したものと考えられる。
以下に記すように単一民族集団ではない。

靺鞨の中では、次の7部が特に強大であった。
現在の地理との同定は諸説あり、下記の例はあくまで一説である。

1) 粟末部 - 現在の吉林市
2) 白山部 - 粟末部の東南、現在の吉林省敦化、延辺
3) 伯咄部 - 粟末部の北、現在の拉林河流域
4) 安車骨部 - 伯咄部の東、現在の依蘭県以東
5) 拂捏部 - 安車骨部の東
6) 号室部 - 拂捏部の東、現在の綏芬河流域
7) 黒水部 - 安車骨部の東北、現在の同江から伯力までの黒竜江両岸

上記7部の外、思慕、郡利、窟説、莫曳皆、虞婁、越喜、鉄利のような小部族が、外満州(現在の黒龍江以北とロシア沿海地方)に居住していた。

総じて言えば、靺鞨は、高句麗に服属し、後に渤海を建国した南の粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)と、後に遼国、金国、清国を建国した女真族の黒水靺鞨(こくすいまっかつ)に二分される




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、靺鞨(まっかつ)部族たちの国という意味ですよう。この場合、粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)が立ち上げた渤海という国と、その北の黒水靺鞨(こくすいまっかつ)部族たちが立ち上げた国ですよう。この国は「黒水靺鞨」と呼ばれていたようです。



藤原朝狩は、この国の人たちと交易するつもりだったのでござ~♪~ますか?

まず間違いなく、そのつもりだったろうと思います。荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)を導いて天皇に順化させ、無血で雄勝城〔おかちのき〕を完成させたやり方を見ると、容易に彼のビジョンが見えてきますよう。

そうでしょうか?

渤海(ぼっかい)【698年建国ー926年滅亡】は、当時、日本と交流するようになっていた。

どうしてでござ~♪~ますか?

7世紀前半になると日本と新羅の関係が悪化した。それで日本は渤海が興(おこ)る前の高句麗と外交関係を強化したのですよう。

同盟を結んで新羅を牽制しようとしたのでござ~♪~ますか?

そうです。その当時、高句麗の東に粛慎(しゅくしん)国がありました。日本ではこれを「みしはせ」と呼んでいた。阿倍比羅夫(ひらふ)の遠征記録を見ると粛慎(みしはせ)が出てきます。当時の大和朝廷が、粛慎と高句麗へ接近を図ろうとしたのですよう。そう言う訳で、高句麗は日本へ使節を18回も送り込んでいます。

日本は高句麗とお友達になった訳でござ~♪~ますわね。

そうです。おそらく卑弥子さんもそうだと思うけれど、学校の日本史では、その当時の東北より北の地域の活動は勉強しなかったと思うのですよう。

そうですわ。アイヌ人を日本人が征伐に行ったぐらいの事しか知りませんわ。

そうでしょう!でも、実は、上の地図を見ても分かるように、東北以北でも活発に活動している人々は居たのですよう。例えば、そのころサハリンには流鬼(りゅうき)と呼ばれる人たちが住んでいた。この人たちは大和朝廷と同じように唐の貞観14年(舒明12年、640年)に長安に朝貢使節を派遣しているのですよう。19年後の斉明5年(659年)には、蝦夷国(えみしのくに、かいのくに)の使節が大和朝廷(倭国)の遣唐使に随行して長安を訪れています。

そのような事は日本史で勉強しませんでしたわ。

当然の事だけれど、渤海は「蝦夷国(かいのくに)」とも交流を持っていた。

日本海をいろいろな国の船が行き来したのでござ~♪~ますわね。

そうですよう。だから、藤原朝狩が生きていたら、「蝦夷国(かいのくに)」、「流鬼(りゅうき)国」、「渤海」、「黒水靺鞨」と活発に交流したと思うのですよう。 そのために朝狩は父親の命令で東北地方に送り込まれたのだと僕は思っているのですよう。

つまり、東日本連合王国の構想を朝狩が抱いていたとデンマンさんは思っているのですか?

そうですよう。 それが僕の言いたかった歴史ロマンですよう。 うししししし。。。

宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんも この歴史ロマンに興味を持ったのでござ~ますか?

もちろんですよ。。。




 

デンマンさんの

“歴史ロマン”は

とっても面白いと

思いましたわ。。。

 


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宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんも こうして「面白い」と言ってくれたのですよ。。。 だから、卑弥子さんも 信じてねぇ~。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

藤原朝狩が生きていたら 壮大な東日本連合王国を創りあげていたと思いますかァ?

確かに、その可能性はあったかもしれませんわねぇ~。。。

でも、宮田 由佳里(みやた ゆかり)さんは マジで面白いと思ったのでしょうかァ?

とにかく、古代にはあなたの知らない雄大な、あるいはミステリアスな面白いお話があるのですわよう。。。

あなたのために平安史、古代史の興味深い記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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百人一首ミステリー


 

百人一首ミステリー

 


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デンマンさん。。。 百人一首にどのようなミステリーがあるのでござ~ますかァ?



卑弥子さんは これまでに百人一首のミステリーについて質問を受けたことがないのですかァ~。。。

あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しておりますので、質問といえば当然、源氏物語に集中しておりますわァ~。。。

あれっ。。。 「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授とは思えないような軽率なことを言うのですねぇ~。。。

あらっ。。。 あたくしが、何か可笑しなことでも のたまいましたかしらァ~。。。 おほほほほ。。。

卑弥子さん。。。 うっかりだとしても、忘れてもらっては困りますよう。。。 「百人一首」に『源氏物語』の作者の紫式部の次の歌が57番の歌として入っているではありませんかァ!


57. 紫式部

 


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めぐり逢(あ)ひて

見(み)しやそれとも

わかぬ間(ま)に

雲(くも)がくれにし

夜半(よは)の月かな

 





あらっ。。。 うっかりしていましたわァ~。。。 平成の紫式部と言われる あたくしとしたことが、マジでぇど忘れしていましたわァ。。。 そうです。。。 そうですとも、平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎えるのでござ~ますわァ~。。。 文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いたのでしたァ。。。 それゆえに『百人一首』にも、和泉式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔といった宮廷の才女の歌が載っているのですわァ~。。。



そうですよ。。。 だからこそ、わざわざ百人一首ミステリーというタイトルを掲げて卑弥子さんに登場してもらったのですよゥ。。。 卑弥子さんも、これまでに百人一首ミステリーという言葉を聞いたことがあるでしょう!?

いいえ。。。 初耳ですわァ~。。。

マジで。。。?

だってぇ~、あたくしが教えている腐女子たちは『源氏物語』はもとより、『百人一首』についても、まず質問するということがないのですわよう。。。

まさかァ~。。。?

本当でござ~♪~ますわァ~。。。

それは、きっと卑弥子さんの講義が面白くないからですよ!。。。 だから、質問する腐女子学生がいないのですよう! 講義ノートに書いてあることを、卑弥子さんは毎年、毎年、読み上げているだけなんでしょう!? 僕が学生時代にも、そういう無気力な教授がいたものですよ。。。

デンマンさん! んもおおおォ~。。。! 失礼な事を言わないでくださいましなァ~。。。! あたくしの『源氏物語』の講義は“平成の紫式部が送る白熱のラブラブ源氏物語”として学内でもチョー人気がある講義になっておりますわァ~。。。

だったら、質問の一つや二つは出てくるでしょう!?

もちろん、出てきますわよう。。。 でも、その質問は“百人一首”とは全く関係ない質問なのですわァ。。。

例えば、どういう質問がでるのですかァ?

そうですわねぇ~。。。 あたくしの印象に残っているのは、「紫式部が生きていた頃はディ~プキスがあったのか?」とか、「避妊は、どのようにしていたのか?」とか、「もし、避妊がうまくゆかなくて、おろす場合には、産婆さんがおろしてくれたのか?」とか。。。 たいてい、そういう質問でござ~ますわァ~。。。

それは、ちっとも文学とは関係ない質問じゃありませんかァ~!

だから、『百人一首』のことで質問する腐女子など、これまでに一人もいませんでしたわァ。。。

そういうわけで、卑弥子さんも『百人一首』に紫式部の歌が出てくるのを忘れていたのですかァ~?

そうでござ~ますわァ。。。 おほほほほほほ。。。

あのねぇ~、それでは、未来のお母さんになる腐女子から生まれる子供のことが心配ですよう! 卑弥子さんは、日本の未来のことを考えて、もう少し腐女子たちを教養のある、品のある女性に育て上げてくださいよう!

分かりましたわ。。。 現代の腐女子のことで議論していると日が暮れてしまいますので、本題に入ってくださいなァ~。。。 そもそも、百人一首ミステリーってぇ、どういうことでござ~ますかァ?

ちょっと次の画像を見てください。。。


(ogura01.jpg)



あらっ。。。 これは、もしかして平安時代の田園風景を描いたものでござ~ますかァ?



さすがですねぇ~。。。 さすが京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているだけのことはありますよう! あのねぇ~、実は 上の絵は「百人一首」そのものなのですよ。。。

上の絵は「百人一首」そのものォ~。。。?

そうですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どこにも歌が書いてありませんわァ~。。。

だから、それが百人一首ミステリーなのですよう!

どういうことですか? デンマンさんが言おうとしていることが全く理解できませんわァ~。。。

あのねぇ~、上の絵は次のように『百人一首』の歌を縦10枚、横10枚にきれいに並べると浮き上がってくる絵なのです。。。


(ogura02.jpg)

『拡大する』



マジで。。。? 『百人一首』の歌を 上のように縦10枚、横10枚 きれいに並べると浮き上がってくる絵があるのでござ~ますかァ?



あるのです。。。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義してい橘卑弥子・准教授を わざわざ呼び出してまで僕がウソをつくと思いますかァ~?

でも。。。、でも。。。、そのようなお話を あたくしはこれまでに聞いたことがござ~ませんわァ~。

それは、“平成の紫式部”と言われている卑弥子さんの勉強不足ですよ。。。 『ウィキペディア』にも ちゃんと書かれている。。。


歌織物説


(ogura01.jpg)

 

歌織物説とは、百人一首の歌が 隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語をふくみ合う形で結び合わされ、タテ10首、ヨコ10首の枠内に並べることが出来るという、百人一首研究家・林直道の説

並べられた100首の歌と歌をつなぐ合せ言葉を絵におきかえると、美しい景色が浮きあがることから「歌織物」説という。

■百人一首には歌の名人・定家が何万何千という歌の中からよりすぐった百の歌だというわりには平凡な歌が多いことや、同じような言葉を用いたの歌が多いことなどから、ある意図された並びが存在するのではないかと言われていた。

■「歌織物説」とは、和歌の世界でさかんに行なわれていた言葉遊びを、百人一首の中に技術的なシステムとして組み込もうという考えのもとに歌を撰び出し、隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語をふくみ合う形で結び合わされ、タテ10首、ヨコ10首の枠内に並べることが出来るというものである。

■そして、並べられた100首の歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、掛軸のような山紫水明の美しい景色が浮きあがることから「歌織物」と名付けられた。

 

歌織物の構図

■上記のようにタテ10首、ヨコ10首に並べたところ、四隅の角に位置する4つの歌が、右下に定家の歌、左下には後鳥羽院、右上には順徳院、左上には式子内親王となっており、その配置は「曼荼羅の四天王」を連想させる。

■この、謎をはらんだ歌集の意味をときほぐす重要な鍵は、定家の自撰歌にあると筆者は考えており、それは「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」である。

■ここで「松」は待つの掛け詞であり、「凪」は泣きに通ずる。この歌は、誰か帰り来ぬ人に向って、定家が悶々たる思慕の情を述べるのが百人一首の基本点だったという推測を成り立たせる。

■つまり、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、帰り来ることを許されぬ二人の帝と、薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王という、三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いだ」と訴える構図なのではないかと考える。




出典: 「歌織物説」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。 このような事をマジで言い出した人が居るのでござ~ますかァ?



そうなのです。。。 実は、僕はバンクーバー図書館で本棚の前で どれを読もうかと探していたら、たまたま百人一首研究家・林直道さんの本を見つけたのですよ。。。

あらっ。。。 偶然ですわねぇ~。。。 それで、デンマンさんは、「そのようなことはないだろう!? ウソだろう?」と思いながら読んでみたのですかァ?

その通りですよ。。。 すると、次のようなことが書いてあった。


定家の懊悩とその解決


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百人一首が後鳥羽院・順徳院・式子内親王らにたいする焦がれる思いを表わしたものだ、という主張にたいしては、式子・順徳についてはともかく後鳥羽院にかんするかぎり、とても賛成できないという意見が寄せられている。
その反対意見によれば、定家と後鳥羽院とはたがいに反目しあい憎みあっていた仲であって、その定家が後鳥羽院追慕、後鳥羽院讃歌の歌集をつくったなどというのは、あまりにも無理な解釈だというのである。

たしかに、表面的には後鳥羽院と定家とは仲たがいしたまま生を終えた形となっている。
後鳥羽院が承久の乱に敗れ隠岐に島流しになったあと、定家のとった態度は、じつに冷淡そのものであった。
家隆をはじめ多くの公卿たちが、隠岐へ見舞いの手紙を出し、慰めの品物を贈ったのに、定家は一通の手紙も一片の品物も贈らなかった。

後鳥羽院のほうでも定家の冷酷さに我慢ならず、隠岐で書いた歌論書『後鳥羽院御口伝』のなかで、定家の歌には「心がない」とこきおろしている。


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定家がこうした冷酷な態度をとったのには公私両面での理由がある。

第一に、定家は、承久の乱のおこる直前に歌会で発表した歌が後鳥羽院の怒りにふれ、「勅勘(ちょくかん)」をうけ、以後、自宅で謹慎せよ、公の席へ出ること罷(まか)りならぬという処罰をうけた。
ところがその処罰令を出した後鳥羽院自身が鎌倉幕府によって島流しにされ、隠岐に幽閉されてしまったから、定家は後鳥羽院から勅勘を解除されることなく、形の上ではずっと処分をいけつづけているという関係にあった。

第二に、クソ真面目な定家は、自由奔放な後鳥羽院と性格が合わなかったうえに、わが子の為家が後鳥羽院によって蹴まりの遊び相手として独占され、家業である歌の勉強を妨げられたこと、また後鳥羽院が定家の才能と律儀な仕事ぶりに目をつけ、新古今集の編纂などで存分に利用しておきながら、身分の昇進については配慮せず、いつまでも少将という低い身分に据(す)えおいたこと、などの点で恨みを抱いていた。

こうしたことから、承久の乱ののち、定家が公私両面で後鳥羽院とのつながりを断ち、別世界の人間として疎遠な関係に立とうとしたのは、ある意味で当然の成りゆきであった。

 (中略)

じつのところ、定家としては、後鳥羽院が勢力をもり返して幕府をたおし、ふたたび権力の座につくことをもっとも強く恐れていたのかもしれない。
そのときは彼自身、後鳥羽院がたから、手ひどい報復処罰をうけることが予想されたからである。

このようにみてゆくと、定家が(百人一首を作ることによって)後鳥羽院讃歌の歌織物をつくったなどという主張は、ますますもって不可解なものに思われるであろう。


(shikishi01.jpg)

だが、じつは、晩年にいたって定家はある事件にまきこまれ、そのことによって大きな心理的軌道修正をよぎなくされたのである。
寛喜2年(1230年)、定家は、後堀河天皇から、新しい勅撰集を編纂せよという内意を受けた。

 (中略)

後鳥羽院・順徳院の歌をどう扱えばよいのか。
もしも入れるとすれば、(略) 鎌倉幕府から (略) とがめをうけるだろう。 (略)
「たとえ鎌倉に忌み嫌われている人物」だとはいえ、あえてその歌を勅撰集に撰入したというところに、定家の歌人としての誇りと自負と意地があったわけである。

ところが、定家苦心のこの草稿は、案の定、責任者である政治的実力者、関白・藤原道家からクレームをつけられた。
鎌倉幕府の怒りにふれることをおそれた道家は、草稿中の後鳥羽院・順徳院の歌 (略) をのこらず削除せよと指示したのである。

 (中略)

そこで定家は、鎌倉幕府にたいする反逆の意味を持った作品をつくらねば、気がおさまらなくなり、(百人一首をつくり) こういう報復をすることで、歌人としての失われた誇りをとりもどそうとしたのではなかろうか。 (略)
それよりももっと強烈にかれの心臓を握りつぶしたのは、後鳥羽院の祟(たた)りをうけるのではないかという恐怖感であった。



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承久の乱以後、かれのとりつづけた冷酷な態度が、院の恨みを買ってきたことは自分にも痛いほどわかっている。
そこへさらに、今回、たとえ上層部から命じられたとはいえ、後鳥羽院・順徳院の歌 を勅撰集から切り削る直接の下手人(げしゅにん)となった。
隠岐の怨霊(おんりょう)の祟りをこうむるのはもはや必定(ひつじょう)ではないか。
このままでは自分は未来永劫、地獄に堕(お)ちてしまう。

そこで定家は、院の祟りを免れるために唯一の手段として、院を讃美し、院の生霊(いきりょう)を慰める内容を盛り込んだ、何か奇想天外な巨大作品をつくり上げようと異常なまでの熱意に燃えたのではなかろうか。

このようにして、歌人定家は、勅撰集の独力撰進という、歌人として上りつめた栄光の頂点において、(略)挫折からの活路を求めて、百人一首歌織物という空前の大傑作をつくり上げるにいたったのである。


(ogura03.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




165-172 ページ
『百人一首の世界』 新装版
著者: 林 直道
2003年12月17日 第1刷発行
発行所: 株式会社 青木書店




つまり、デンマンさんは上の御本を読んで 説得されてしまわれたのでござ~ますかァ?



そうです。。。 いけませんかァ~?

デンマンさんが素直に説得されるなんてぇ、珍しいことですわねぇ~。。。

あのねぇ~、もう一度 紫式部の歌を読んでみてください。。。


57. 紫式部

 


(seisho05.gif)

 

めぐり逢(あ)ひて

見(み)しやそれとも

わかぬ間(ま)に

雲(くも)がくれにし

夜半(よは)の月かな

 





この上の歌を読んで、卑弥子さんは何か感動するものがありましたかァ~?



特に感動しませんでしたけれど、『百人一首』の中に選ばれたほどの歌なのですから、良い歌にきまってますわァ~。。。

だから、そういう考え方が間違ってるのですよ。。。 僕は、上の歌を読んで、特に素晴らしい歌だとは思えなかった。。。 紫式部には、もっと感動を呼ぶような歌があるはずですよ。。。

でも。。。、でも。。。、とにかく、『百人一首』の中に選ばれたほどの歌なのですから、良い歌なのでござ~ますわァ。

藤原定家は素晴らしい歌だから上の歌を選んだわけじゃないのですよ。。。 歌織物を作るために藤原定家の都合のよい歌を選んだだけなのです。。。 そうしない限り歌織物を作ることができない!

でも。。。、でも。。。、“歌織物説”というのは、百人一首研究家・林直道さんの言い出した仮説ですわァ~。。。

僕は、それは真実だと信じることができる。。。

その根拠は。。。?

藤原定家は どうしても歌織物を作らねばなかなかった! なぜなら、定家は、院の祟りを免れるために唯一の手段として、院を讃美し、院の生霊(いきりょう)を慰める内容を盛り込んだ、何か奇想天外な巨大作品をつくり上げねばならなかったのですよ。。。

そのような事が、その時代、あるいは、それ以前にもあったのでござ~ますかァ?

あったのです。。。 『百人一首』の2番の歌として入っている 持統天皇が詠んだ次の有名な歌を読んでみてください。



(kaguyama2.jpg)

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山




この歌は、たぶん 『百人一首に』入っているから有名になったのだと思うのだけれど、決して感動を誘うような歌ではないですよ。。。 歌そのものの言葉を解釈すれば、「春が過ぎて夏がやってきた。 香具山に白い衣が干してある」。。。 ただ、これだけのことを言っているに過ぎない! 小学生でも詠めるような他愛無い歌ですよ。。。



そうでしょうか?

卑弥子さんは、マジで素晴らしい歌だと思いますかァ~?

だってぇ~、『百人一首』に選ばれたのだから、素晴らしい歌に違いないと思いますわ。。。

だから、それが先入観なのですよ。。。 藤原定家は確かに歴史的に有名な歌人だけれど、持統天皇の上の歌が素晴らしいから選んだわけじゃない! 歌織物を作るのに都合がいいか定家が選んだだけなのですよ。。。

だから、それは百人一首研究家・林直道さんの言い出した仮説にすぎないのですわァ~。。。

地動説も初めは仮説だったのですよ。。。 ガリレオが生きて居た時代には、99%の人々が天動説を信じていた。。。 でも、現代人の99.9%の人々が地動説を信じている!

つまり、デンマンさんにとっても『歌織物説』は真実だと信じることができるのですか?

そうです。。。

その根拠は。。。?

あのねぇ~、持統天皇の上の歌は、ただ単に四季の移り変わりに感興を催(もよお)して詠んだのではないんですよ。。。 これまでの持統天皇の波乱に満ちた人生を考えるとき、愛する人を奪われ続けてきたこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えるとき、僕は次のようにしか解釈できません。


春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。


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大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって私を憎んで

いるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。




上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。


(fujiwara3.gif)



この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるんですよね。 この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。 現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。 僕もそう考えています。



つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけでござ~ますかァ?

そうです。。。 この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。。。 “怨霊の崇り”ということが現在でいえば“北朝鮮からミサイルの攻撃を受ける”程度に怖いこととして考えられていた。

それで、持統天皇は天からミサイルを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだのでござ~ますかァ?

そうですよ。。。 それが僕の解釈です。 うへへへへ。。。。

でも。。。、でも。。。、そのような事を言っている人は デンマンさん以外におりませんわァ~。。。

あのねぇ~、地動説も初めは一人が勇気を持って世間に広めようとしたのですよ。。。 そのつもりで、僕も記事を書いたので、卑弥子さんも読んでみてくださいねぇ~。。。


では、なぜ持統天皇はここまでする必要があったのか?
そしてなぜ、彼女は怨霊をそれほどまでに恐れねばならないのか?

天武天皇が亡くなれば皇太子が皇位を継承するのが順序であり、
皇后の実子である草壁皇太子が即位する事は約束されていた事です。

この時点で、大津皇子は皇位継承権第2位でした。
それにもかかわらず、皇后はこの甥である大津皇子を排除しようとした。
なぜか?

草壁皇子は病弱だったのです。
大津皇子と比べると歌においても人望においてもすべての面で劣っていたようです。
それが証拠に草壁皇子のことはたった1行『日本書紀』に記載があるのみです。

それに比べ、大津皇子については『万葉集』にも『懐風藻』にも記載があります。
それも、大津皇子の才能をほめたたえ、その人柄を偲んでいるような書き方になっています。
詳しくは次の記事を読んでください。

 


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『性と愛の影に隠れて -

 万葉集の中の政治批判』


 

つまり、当時の誰が見ても大津皇子の方が天皇にふさわしいと見ていた事が実に良く表れているのです。
草壁皇子が即位すれば皇太子として草壁皇子の異母弟である大津皇子を立てなければなりません。
なぜなら、草壁皇子の長男の軽皇子(かるのみこ)は当時4歳で皇太子にするにはふさわしくない。

ところが、病弱な草壁には、いつ不測の事が起こるかも知れず、その時には大津皇子が皇位につくことになってしまう。
そうなると、皇統が大津皇子に移ってしまう。

つまり、讃良皇女の血を受け継いだ後継者が、そこで絶えてしまう。
独占欲の強い讃良皇女には、このことは絶対に容認できない事です。

この事は持統天皇として即位してから、自分の血に固執したこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えれば、容易に察しがつきます。
上の系図を見れば、そのことが良く分かります。
この独占欲と権勢欲は讃良皇女の生い立ちを考えない限り理解できません。

しかも、この女性はその先例を父親の天智天皇と自分の夫である天武天皇との間に見ているのです。
つまり、この場合なら、草壁皇子が天智天皇にあたり、大津皇子が天武天皇にあたります。

天智天皇の皇太子になったのが大海人皇子(後の天武天皇)だったのです。
このような状況を許せば、大海人皇子が天智天皇を暗殺して、その子の大友皇子を亡き者にしたように
大津皇子が草壁皇子を暗殺して皇位につくかもしれない。

その“禍の芽”を摘み、取り除くために大津皇子を亡き者にしなければならなかったのです。

 

なぜ大津皇子の怨霊を恐れたのか?



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現身(うつそみ)の 

人なる吾(われ)や 

明日よりは 

二上山を 

弟背(いろせ)とわが見む 

(巻2-165)


この世に生き残った私は、明日からは、

弟が葬られている二上山を弟と思い見て、

慕い偲ぶことにしよう。



上の歌は大津皇子の死体を飛鳥の墓から掘り出して、
葛城(かつらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移して葬った時に、
大津皇子の実の姉である大伯皇女(おおくのひめみこ)が痛ましい思いに駆られて詠んだ歌です。

死体を掘り起こして他の場所に埋めなおす。
なぜそのような酷(むご)いことをしなければならないのか?
大伯皇女も、そう思って心が痛んだことでしょう。

つまり、大津皇子を偲んで大伯皇女が詠んだ歌を大伴家持が万葉集に取り上げた本音には、
この事実を後世に伝え“謀反”が持統天皇の“でっち上げ”であった事を暗に伝えるためだった。

僕はそう信じることができます。

大伯皇女は、大津皇子が自害した15年後、
大宝元年(701年)に独身のまま41歳で亡くなっています。

彼女は天武2年(673年)に父・天武天皇の指図に従って
伊勢神宮に奉仕する最初の斎王(いつきのみこ)となり、
伊勢の斎宮(いつきのみや)に移ってお勤めをするようになったのです。

しかし、大津皇子が自害した1ヶ月余りの後に、
弟の罪により斎王の任を解かれて飛鳥に戻ったのです。

平安時代の長和4年(1015年)に書かれた『薬師寺縁起』には次のように書かれています。


大津皇子の霊が龍となって崇りを起こしたため、

大津皇子の師であった僧の義淵(ぎえん)が皇子の霊を祈祷によって鎮めた。


つまり、大津皇子は無実の罪を着せられて自害させられたのですね。
その罪を着せたのは誰あろう持統天皇なのです。

そして、大津皇子の死体を二上山に移して、
皇子の霊を飛鳥から15キロ離れた山の中に閉じ込めたのも持統天皇のしたことです。

持統天皇の心にも“後ろめたさ”があったのでしょうね。
だからこそ大津皇子の霊に恐れを感じた。

しかも、“大津皇子の霊が龍となって崇りを起こし”ていると言うもっぱらのうわさが流れている。
持統天皇が大津皇子の死体を掘り起こし
二上山にその怨霊と共に閉じ込める気持ちが分かるような気がします。


怨霊信仰


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非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。

原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。

『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。

しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。

その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」




SOURCE: 国史大辞典


持統天皇は怨霊信仰に基づいて大津皇子の霊を祈祷によって鎮めて、
後でまた崇りをしないようにと二上山に皇子の霊を閉じ込めたわけです。

つまり、これは持統天皇が無実の罪を着せて大津皇子を殺したことの何よりの証拠なんですよね。
大伴家持は大伯皇女を万葉集に取り上げることによって、
この事実を我々に伝えようとしたわけです。
僕はそう信じているんですよ。

では、恒例になりましたが、司馬遼太郎さんの言葉を書きますね。

生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言っていましたよ。

 


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“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”


名言だと思いますねぇ~~。

あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか?
それが問題ですよね!

大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。

あなたも、全身全霊の力を込めて。。。あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。

大伯皇女は、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠(うた)ったのかも知れませんよ。 へへへへ。。。。

大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で万葉集に載せたのだと思いますね。


では。。。




『愛と怨霊』より
(2006年7月5日)




でも。。。、でも。。。、このお話が“地動説”のように、世間に広まるでしょうかァ?



“歌織物説”と一緒に世の中に広まりますよ。。。 考えても見てください。。。 『百人一首』の中に取り上げられた持統天皇の歌は 表面的にはつまらない歌ですよ。。。

でも、やがて 深く理解する人が現れるとデンマンさんは信じているのござ~ますかァ?

そうです。。。 それが百人一首のミステリーです。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんの言うことを信じることができますかァ~?

考えてみると、確かに持統天皇の歌は表面的にはつまらない歌ですよねぇ~。。。

 


(shiba3.gif)


“作品は作者だけのものと

違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが

作品なんやでぇ~”


生前、司馬遼太郎さんは、上のように言ったそうですけれど、

確かに、一理あるようでござ~ますわァ。

ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。

信じられないでしょう?

では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。

だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。

あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。

“寅さん”のような人でもいいのです。。。

ついでだから、寅さんの映画でも見てください。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


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『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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錯視 錯覚

 

錯視 錯覚

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで急に“錯視 錯覚”というタイトルにしたのですか?



あのねぇ~、夕べバンクーバー市立図書館から借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。


M.C. エッシャー


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結晶学者でも会ったオランダ人のマウリッツ・コルネリウス・エッシャー(1898~1972)は、イスラムの表現様式に触発されて自分の絵画にも対象性をふんだんに盛りこんだ。
彼の場合は、抽象的な図形だけでなく、現実世界に存在する対象(そしてときには神話にしか登場しない架空の対象)の像を繰り返し描くことで平面を埋めつくした。

平面的な絵もあったが、階段、立体格子構造、紐の結び目、そしてメビウスの輪など、立体的な絵も多い。
エッシャーはそのなかで、一点透視法、二点透視法、三点透視法、さらには四点透視法を逆手にとったからくりを数多く用いて鑑賞者を挑発した。

上り階段がいつの間にか下り階段に変わる湯名苗はその一例である。


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また、イスラム芸術家のような宗教的な制約もなかったので、エッシャーは動物や人間のモチーフを自由に使ってシンメトリーにあふれる絵を描いた。
たとえば、左向きの白い騎士のあいだに右向きの黒い騎士が埋めこまれている絵がある。

この絵では、乗馬した騎士のパターンを上下および左右に繰り返し並べており、その間には同じパターンを鏡で反転させた像が繰り返し並んでいる。
左右に反転した騎士のパターンは、色も白黒が反転している。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




88ページ 『モナ・リザと数学』
著者: 新渡戸稲造
訳者: 高木隆司 佐柳信男
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: 株式会社 化学同人




エッシャーさんは一点透視法、二点透視法、三点透視法、さらには四点透視法を逆手にとった からくりを数多く用いて鑑賞者を挑発したんですねぇ~。。。



そういうことですよ。。。 エッシャーが描いた次の絵を見てください。


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エッシャーが描いた この上の絵を見れば すぐに奇妙なことが見て取れる。。。 階段を上ったり降りたりしているのに、いつまでも同じところをグルグルと回っているのですよ。。。 現実にはありえない情景です。。。 つまり、エッシャーは絵画的な“からくり”---要するに、人間の目が錯覚を起こすことを うまく利用して絵を描いて見せたのですよ。



つまり、これが錯視 錯覚だと言うことですか?

そういうことです。。。 同じような絵や写真は、たくさんの芸術家によって作り出されているのです。


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真由美ちゃんは上の写真を見て、なんだか判りますか?。。。 じっくりと見てください。



あらっ。。。 まだらな雪の中にワンちゃんが歩いているのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次も 同じような写真です。。。


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つまり、『モナ・リザと数学』という本を読んで、この錯視・錯覚に感動したのですか?



いや。。。 ただそれだけじゃないのですよ。。。 この本を読む前に、たまたま次の2つの映画をバンクーバー市立図書館で借りたDVDで観たのです。


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『実際のカタログページ』


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スパイダー

少年は蜘蛛にキスをする



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原題(Spider)は、2002年制作のフランス・カナダ・イギリス合作の映画。

カンヌ国際映画祭正式出品作品。

統合失調症を抱えたデニスは、社会復帰のため、ウィルキンソン夫人の家に世話になることになり、少年時代の思い出について書いていった。

少年時代、デニスは蜘蛛の話が大好きで、スパイダーとあだ名されていた。


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一方で彼の父はパブに足しげく通い、そこで知り合った娼婦と不倫関係に陥っていった。




出典: 「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






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『実際のカタログページ』


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インセプション


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『インセプション』(原題: Inception)は、クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による2010年のアメリカのSFアクション映画。

あらすじ

ドミニク・コブ(通称ドム)とアーサーは、標的の無意識に侵入する軍の実験段階の技術を用いて、標的の夢から重要情報を引き出す、「引き出し人」と呼ばれる産業諜報員(産業スパイ)だった。
ところが、今回の標的である(渡辺謙が演じる)日本人実業家サイトウは、コブが、標的の無意識にある考えを植え付ける(inception)、遂行困難な仕事をこなせるか試したい、と言う。

病気である競争相手モーリス・フィッシャーが経営するエネルギー複合企業を破滅させるために、サイトウは、コブに、モーリスの息子で後継者であるロバートに父親の会社を解体させるよう納得させる事を依頼する。
サイトウは、見返りとして、コブの殺人容疑を取り消して、コブが子供達の待つ家に戻れるように影響力を行使する事を約束する。

コブは依頼を引き受け、口達者な「なりすまし人」イームス、夢を安定させる強力な鎮静薬を調合するユスフ、亡き妻の父であるステファン・マイルズ教授の助けで勧誘した、夢の中に設置する迷宮を設計する建築学科の学生アリアドネで組織を組む。
アリアドネは、入り込んだコブの夢の中で、亡き妻マルが侵略的に投影されているのを知る。

モーリスがシドニーで亡くなり、コブ達は、鎮静薬を投与し、夢に侵入するために、ロバートをロサンゼルスまでの飛行時間10時間の便に乗せる。
サイトウは、コブが成功するのを確認するために同行する。




出典: 「インセプション」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




デンマンさんは『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』を11月22日、『インセプション』を11月28日に観て、コメントを書き込んだのですわねぇ~。。。



そうです。。。

デンマンさんは、このような映画が好きなのですか?

特に好きじゃないけれど、DVDのケースに書いてある解説を読んで、面白そうだと思って観たのですよ。。。 僕は暇さえあれば、面白そうな映画を手当たり次第に観ているのです。。。


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『実際のリスト』



あらっ。。。 これまでにバンクーバー市立図書館から 1、482本のDVDを借りて ほとんど毎日のように観ているのですわねぇ~。。。



そうです。。。 いけませんか? (モナリザの微笑)

12月2日には デンマンさんは『二十四の瞳』を観たのではありませんかァ!


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そうです。。。 久しぶりに観たのですよ。。。 これまでに 5,6回観てますよ。



本当にいい映画ですわ。。。 私も何度か観て、ずいぶんと涙を流しましたわァ~。。。

マジで。。。?

それよりも、デンマンさんが観た上の2本の映画ですけれど、2つとも“錯視 錯覚”と関係あるのですか?

もちろんです。。。 そうでなければ、こうして取り上げませんよ。。。 『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』という映画は、人間の精神のダークな、黒ずんだ部分を扱った映画です。


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上の2枚のポスターに出てくる子供と大人は、実は同一人物なのですよ。。。 この映画の何が“錯視 錯覚”と関係あるのか? それは、この映画のシーンの中に、主人公の子供の頃と大人になった時の人物が同時に出てくるのですよ。


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この上の3つのシーンには、主人公の子供の頃と大人になった時の人物が同時に出てくる。。。 現実には決して ありえない場面です。。。



つまり、大人になった主人公が子供の頃を回想しているシーンなのですね。

そういうことです。。。 だから、観客には主人公が大人になった姿が見える。。。 でも、画面の中の母親と父親と子供の時の主人公には、大人になって画面に登場している男の姿は見えない。

ただ、それだけのトリックですか?

いや。。。 それだけじゃないのですよ。。。 あまり詳しく話すと、これから映画を観ようとする人の興味を半減させるから、詳細については言わないけれど、僕がコメントに書いたとおりです。



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As a typical Cronenberg-esque film, it is a weird and bizarre movie.

It will send a chill and sensation along your spine at the end of the film.

You'll certainly think twice---if not thrice---what the heck his mother really is.

Although profoundly dark, it is a thought-provoking film.




デヴィッド・クローネンバーグ監督の作品に典型的な“奇妙な、精神的に倒錯した世界”が出現します。

映画の最後に、あなたは恐らく背筋がゾクゾクするような衝撃を受けるかもしれません。

DVDで観ていたら、たぶん、2度か3度か見直すに違いありません。

彼のお母さんはいったい何者なのか?

人間の精神の黒い陰の部分を描いており、考えさせられる映画です。


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つまり、この映画は映像だけじゃなくて 精神的・心理的な“錯視 錯覚”も起こさせるのですよ。。。



私も図書館でDVDを借りて観てみようと思いますわァ~。。。。 で、『インセプション』という映画にはどのようなトリックが出てくるのですか?

あのねぇ~、“錯視 錯覚”の世界では有名な「ペンローズの階段」というのがあるのですよ。


ペンローズの階段

ペンローズの階段(Penrose stairs)は、ライオネル・ペンローズと息子のロジャー・ペンローズが考案した不可能図形である。

ペンローズの三角形の派生形の一つで90度ずつ折れ曲がって、永遠に上り続けても高いところに行けない階段を二次元で描いたものである。

三次元で実現するのは明らかに不可能であり、歪みのパラドックスを利用した二次元でのみ表現できる。

マウリッツ・エッシャーのリトグラフ『上昇と下降(Ascending and Descending)』の中では、僧院の階段を何人かの修道士が上っている図として描かれている。


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この階段は、「不可能図形の父」と呼ばれるスウェーデンの画家オスカー・ロイテルスバルトも発見していたが、ペンローズもエッシャーもそのことを知らなかった。

音響的には、無限音階も同様の仕組みである。




出典: 「ペンローズの階段」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




この「ペンローズの階段」が映画の中に出てくるのですよ。。。


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三次元で実現するのは明らかに不可能であり、歪みのパラドックスを利用した二次元でのみ表現できると書いてあるけれど、映画の中で映像的に可能にしようとしているのですよ。



上のYouTubeのクリップは、その模様を映しているのですか?

そういうことです。。。 映画の中では、「ペンローズの階段」のように見えています。。。 映画自体は、それほど面白くないのだけれど、トリックがたくさん使われていて、“錯視 錯覚”に関心がある人にとっては面白い映画ですよ。


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パリの街が、こうして ひん曲がって盛り上がってくるのです。



他にどんなトリックが使われているのですか?

次の写真を見てください。


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道路に、急に機関車が走ってくるのですよ。。。 もちろん線路があるわけじゃない。。。 夢の中だから、こういう奇妙な事が起こるのだけれど、では、いったい映画ではどのように撮影したのか?。。。 DVDには、この場面をどのように撮影したのか? それを説明する記録映画も入っている。



面白そうですわ。。。 私もDVDを借りて観ようと思います。



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【デンマンの独り言】


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たぶん、あなたも“錯視 錯覚”に興味があるでしょう!?

ここに、いくつか面白いクリップがあるので貼り出します。


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ところで、真由美ちゃんは、現在ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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現在、移住を目指して頑張っているところです。

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:




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“ついに会えました”

“お天道様が見てます”

『真由美ちゃんのカナダ移住』

『真由美ちゃんのカナダ就活』

『ロマンと夢が広がる』

『カナダ就活と英語』

『カナダへの履歴書』

『真由美ちゃんの夢とベーグル』

『真由美ちゃんの命の力』

『迷い、決断、そして行動』

『夢と希望の光』


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『下着女装に負けない真由美ちゃん』

『真由美ちゃんの就活面接』

『真由美ちゃんのリクエスト』

『真由美ちゃん@とんでん』

『バンクーバーで面接』

『海外で面接』

『真由美ちゃん、読まれてるよ』

『真由美ちゃん@面接英会話』

『真由美ちゃん@教会』

『真由美ちゃん@バンクーバー渡航』

『真由美ちゃん@バンクーバー』

『心温まるスープ』

『大切な第一印象』


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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』



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おつまみミステリー


 

おつまみミステリー

 


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デンマンさん。。。 “おつまみ”ってぇ、ビールのおつまみだと思いましたわァ~。。。


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確かに、ムレムレする真夏の日影で おつまみをつまみながら冷えたビールを飲むのってぇ、ルンルン気分になれると思いますよ。。。 でもねぇ~、今日の話はビールのおつまみではないのですよ。。。



どうして、ビールのおつまみではないのですか?

あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の絵に出くわしたのですよ。。。


フォンテーヌブロー派

「ガブリエル・デストレとその妹」


 


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1594年頃の作品

謎のおつまみである。
乳首四つ、指輪一つ、イヤリング二つ、ぜんぶ粒々である。
目玉も唇も鼻の頭も全部粒として描かれている。
指先までも粒になりかけているようだ。

この世界の粒々の強化のために、人体はふわふわの綿みたいに描かれている。
この綿をめくると中にも粒々がぎっしり詰まっていることを、この二人は見る者に教示している。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




65ページ 『ルーヴル美術館の楽しみ方』
著者: 赤瀬川原平 熊瀬川紀
1997年2月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




あらっ。。。 まだ『ルーヴル美術館の楽しみ方』という本を借りているのですか?



そうです。。。 いけませんか?

つまり、本の中に“乳首をつまんでいる絵”が出てきたので、それを話題に取り上げたのですか?

あれっ。。。 ジューンさんは呆れた表情を浮かべましたねぇ~。。。 (微笑)

だってぇ~、そういうのってぇ~、ちょっと気まぐれと言うか? 単純すぎるのではありませんかァ~?

しかし。。。、しかし。。。、 ジューンさんは、一応キリスト教徒でしょう?

そうですわァ。。。 でも、わたしがキリスト教徒である事と“おつまみ”と何か関係あるのですか?

ありますよ。。。 大有りですよ。。。 だから、僕はジューンさんを呼び出したのですよ。。。

分かりましたわ。。。 デンマンさんが、そのように言うのであれば、さっそく、その理由を聞こうではありませんか。。。 細木数子さんのように余計な事を言わずにズバリ!とその理由を言ってくださいなァ。。。

あのねぇ~、順序良くしゃべらないで、ズバリ!ズバリ!と細木数子のように見境もなく突っ込むと誤解を招いて視聴者から苦情が出るのですよ。。。それで、テレビのお偉方から睨まれ、細木数子は番組を降ろされてしまったのです。。。 物事には順序というものがある!。。。 だから、順序良く、誤解を与えないように、十分に納得のゆくように話さないと駄目なのですよ。。。

とにかく、デンマンさんの記事は長くなるのですわ。。。 できるだけ余計な事を言わずに、手短に話してくださいなァ。。。 これでも、わたしは忙しい身なのですわァ。。。 この後 やらねばならない予定が詰まっているのですから。。。

分かりました。。。 じゃあ、まず次の小文を読んでください。


ヴォルフラム・フライシュハウアー

Wolfram Fleischhauer



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(1961年6月9日~ 現在)

ドイツの小説家、推理作家、ファンタジー作家。
男性。
ドイツ南西部の都市カールスルーエ生まれ。

地元のギムナジウムを卒業したのち、ドイツ、スペイン、フランス、アメリカ合衆国の大学で文学を専攻した。

16世紀末に描かれたとされる「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」(ルーヴル美術館所蔵)に関する謎をテーマにした歴史ミステリ小説『緋色の線』(未訳 Die Purpurlinie)で1996年にデビュー。

1999年発表の第二作『雨の手の女』(未訳 Die Frau mit den Regenhänden)は2000年のドイツ・ミステリ大賞でドイツ語作品部門の第3位となった。

2001年発表の第三作『殺戮のタンゴ』はタンゴをテーマにしたミステリ作品で、ドイツとアルゼンチンが舞台になっている。
フライシュハウアーはアルゼンチンの作曲家アストル・ピアソラのファンで、この作品は1998年にアルゼンチンを旅したのをきっかけに構想された。
原題の『現実との三分間』(Drei Minuten mit der Wirklichkeit)はピアソラの同題のタンゴ曲からとっている。

2004年にはミヒャエル・エンデの小説『はてしない物語』の世界観に基づく小説を複数の作家が執筆する《ファンタージエン》の企画に参加し、『ファンタージエン 反逆の天使』を発表している。

小説の執筆のほか、欧州連合(EU)の会議の通訳などの活動もしている。




出典: 「ヴォルフラム・フライシュハウアー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




このドイツ人のフライシュハウアーさんは、上の絵、つまり16世紀末に描かれたとされる「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」(ルーヴル美術館所蔵)に関する謎をテーマにした歴史ミステリ小説『緋色の線』(未訳 Die Purpurlinie)で1996年にデビューしたのですよ。。。



つまり、ミステリー作家を惹きつけるほどの謎が上の絵には隠されているのですか?

そうですよ。。。 要するに、この絵は普通の絵じゃないのです。。。 だから、『ルーヴル美術館の楽しみ方』の著者の赤瀬川原平さんの目にも、ちょっと変わった絵として映ったのですよ。。。 僕の目にも不思議な絵という印象を与えた。。。

どこがそれほど不思議なのですか?

あのねぇ~、ちょっと次の小文も読んでみてください。


画家の遊び空間


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何が楽しいかというと、絵の中に埋もれた画家たちの私小説が読めるのである。
タッチの表現を封じられた時代の画家たちのタッチが見える。 (略)

絵を描く筆触(タッチ)は画家の存在証明である。
絵を鑑賞する裁判官はタッチなどではなくそのテーマによって判決を下そうとするが、画家には絵のタッチがアリバイである。

アリバイとは岩波国語辞典によると「犯罪が行われた時、その現場以外の所に居たという証明。現場不在証明」とある。
この「犯罪」を「テーマ」という言葉に置き換えると見えてくるのだ。

もちろんその絵はすべてその画家が描いた。
画家はその絵の中心にあるテーマを描き上げることに奉仕している。
絵の隅にはサインもあるし、証拠は挙がっているのだ。

とはいうものの、いっぽうそのころ、画家はその絵のテーマの外にもいて、絵の中の部屋の隅、机の下、窓の外、窓の外の森、森の向こうの山並み、青空、白い雲など、絵筆があちこち遊び回っていることも事実である。 (略)

このころの絵のテーマというのはだいたいにおいて人物である。
肖像的要素をもつものがほとんどである。
その場合人物の中心は顔である。
その顔の中心といえば2つの目と1つの口を結ぶ三角地帯で、そのまた中心をあえていえば鼻の先であろう。

つまり、一枚の肖像画があり、その中心は鼻の先にあるのだ。
そこがテーマの頂点であり、画家のタッチのもっとも禁じられている場所である。


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だから、鼻の先、2つの目、その間の眉間、唇、頬、といった顔面中心部は、絵の中でもっともツルツルに仕上げられている。
もちろん絵筆で描いているのでタッチがないわけではないが、そのタッチが綿密に押し詰められて、点がぎっしり並んで面になるという感じで、タッチの凹凸がそこでは完全に埋没してツルツルになっているのである。

そしてそのタッチ厳禁の場所を離れるに従って、タッチの並びは水面下でゆるやかになり、ちょうど魚の背鰭が水面からときどきのぞくみたいに、ほんのりとタッチが顔を出すようになる。
そしてさらに顔面を離れ、人物を離れ、部屋の床や壁や窓の外の風景などに行くと、タッチはピュン、ピュンと飛びはじめてくるのだ。 (略)

顔面中心の目と鼻の先の近辺だけは、とりあえずツルツルに描くことに留意している。
その中心部ではタッチを殺しながら、そこを離れた周辺部ではタッチが嬉しそうに飛び跳ねている。
画家はそこで遊んでいるのだ。

絵の中心部では重々しい受難のキリスト像が、あるいは威厳ある顔つきの実力者像が、タッチを押し殺して出来上がろうとしている。
いっぽうそのころ、そこを離れた窓の外の風景の森の葉っぱで、画家の筆先はテーマの重力を脱したかのように、すいすいと軽やかに跳ね回り、遊び回っている。


(sebastian2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




96-99ページ 『ルーヴル美術館の楽しみ方』
著者: 赤瀬川原平 熊瀬川紀
1997年2月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




上の文中に出てくる「聖セバスティアンの殉教」という絵はルネッサンス期の画家のソドマが1525年に描いたものですよ。。。 この上の絵を見れば、誰が見てもテーマは聖セバスティアンの殉教だということが分かる。。。 ジューンさんはキリスト教徒だから、もちろん、分かりますよねぇ~。。。?



キリスト教徒じゃなくても分かりますわよう。。。

でも、ジューンさんならば、絶対に間違った事を言わないと思ったから呼び出したのですよ。。。 (微笑)。。。 上の「聖セバスティアンの殉教」という絵は、真面目な絵です。。。 それでも、画家の遊び空間が上の絵にもある。。。 それが、背景の風景画ですよ。。。 この部分で、ソドマは息抜きして自由に書いている。。。 ところが、「ガブリエル・デストレとその妹」の絵は、見る人に“真面目なテーマ”を感じさせないところがある。。。 すべてが画家の遊び空間になっている!


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じっくりと見なくても、この絵には どことなくふざけたような印象を見る人に与えるのですよ。。。 ジューンさんも、そう思いませんか?



確かに、「聖セバスティアンの殉教」という絵と比べると、どことなくユーモアを感じさせる微笑(ほほえ)ましい絵だと思いますわァ。。。 うふふふふふ。。。

でも、いくら微笑ましい絵だと言っても、この絵をジューンさんが日曜日に行く教会の祭壇に飾るわけにはゆかないでしょう!?

そうですわねぇ~。。。 で、上の絵は、そもそも どのような意味が込められた絵なのですか?

調べてみたら次のようなことが書いてありましたよ。


《ガブリエル・デストレとその妹》

ミステリアスにして

セクシーな作品の意図は?


 

謎に包まれたこの絵は作者も不詳で、フォンテーヌブロー派の誰かとしか分かっていない。

貴婦人の入浴図はこの派の画家たちが好んだテーマで、浮気ごころのシンボルとしてしばしば用いられた。

画中には、奥の部屋の暖炉の上に、裸の男性の下半身が見える絵も掛かっている……


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ルーヴルの絵画で不可思議な印象をもたらすのは、2人の美しい女性が入浴しているあの絵だろう。
画面左の女性が右の女性の乳首をつまみ、右の女性が指輪を見せている、優美で官能の薫り高いフォンテーヌブロー派の作品だ。

その前に立つと、あなたは思わず見とれ、そして首を傾げるだろう。
この美女たちは誰で、いったい何をしているのかと。

伝承によると、右の女性は国王アンリ4世の寵姫ガブリエル・デストレ、左はその姉妹ビヤール公爵夫人。
一説には、2人の謎めいた仕草は、ガブリエルが国王の私生児を身ごもり、正式の結婚を望んでいることを示し、奥の部屋では侍女が生まれてくる赤子の産着を編んでいるのだという。
だが最終的な結論は出ていない。

ちなみに、国王を夢中にさせたガブリエルは王妃の座へという願いかなわず、悲惨な最期をとげる。
アンリ4世の4人目の子供を身ごもっているときに、26歳で突然死したのだ。

毒殺の疑いがあるのは、彼女を警戒する敵が多かったからだが、真相は闇の中。
子供のいない王妃マルゴとの離婚を認められたアンリ4世が、ガブリエルの死後に再婚した相手こそ、「物語と事件」(CREA Traveller 2013年夏号 P78~に掲載)で紹介したマリー・ド・メディシスで、
こちらは愛のない政略結婚であった。

(上の絵はデンマンライブラリーより)




『ミステリアスな名画の謎解きをルーヴルで』より




貴婦人の入浴図はこの派の画家たちが好んだテーマで、浮気ごころのシンボルとしてしばしば用いられたと書いてありますけれど、そうなのですか?



あのねぇ~、フォンテーヌブロー派の画家たちだけじゃなくて、中世でも貴婦人の入浴図は、浮気ごころのシンボルとして、たびたび描かれたのですよ。


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上の絵は1470年から1480年頃に描かれたものだけれど、中世の浴場の場面なのです。。。 見れば分かるように男女が一つの浴槽に浸かって、テーブルに向かって仲良く座って食事をしている。。。 そのあとで、すぐ上の絵に描いてあるように個室に入ってベッドでシコシコと睦み合うのですよ。



でも。。。、でも。。。、「ガブリエル・デストレとその妹」の絵では、姉妹が一つの浴槽に入ってますよねぇ~。。。 どういう意味があるのですか?

だから、それが謎ですよ。。。


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言い伝えによると、右の女性は国王アンリ4世の寵姫ガブリエル・デストレで、左の女性は妹のビヤール公爵夫人。。。 2人の謎めいた仕草は、ガブリエルが国王の私生児を身ごもり、正式の結婚を望んでいることを示している、と言うのですよ。。。 それを補強するかのように奥の部屋に侍女を描き込んでいる。。。 この侍女が生まれてくる赤ちゃんの産着を編んでいる、と説明しているのですよ。



そう言われてみると、確かに、それらしくも見えますよねぇ~。。。 デンマンさんも、そう信じているのですか?

あのねぇ~。。。 結局、真相など分かるはずがないのですよ。。。 僕に言わせてもらえば、「ガブリエル・デストレとその妹」の絵は、誰が描いたのかも判明してない。。。 つまり、もともと、ある画家が画家の遊び空間で描いたものなのですよ。。。 真相を突き止めるのは野暮というものです。。。

つまり、この事を言うために、わざわざ わたしを呼び出したのですか?

いや。。。 もしジューンさんが「ガブリエル・デストレとその妹」の絵のコピーをジューンさんの教会の祭壇に飾るのだとしたら、止めた方がいい、と言いたかったのですよ。

わたしが、そのような事するわけないでしょう!

そうでしょう。。。 そうでしょう。。。、するわけないですよねぇ~。。。 でもねぇ~、ジューンさんにも“遊び心”があるから、万が一ということだってあるでしょう!? その時には次の絵を教会の祭壇に飾ってくださいねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

もちろん、あたくしにも“遊び心”があるのでござ~ますわよう。

ええっ。。。? もし、あたくしが教会の祭壇に飾るのだったら、どのような絵を飾るのかってぇ~。。。?

あたくしならば次のお写真を飾るのですわよう。。。

あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわァ~。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

最近 「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。。。

うふふふふふふ。。。

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ~。。。

だから、このお写真を飾るのですわァ。。。 うふふふふふふ。。。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『やっぱり処女とおばさん』

『ウンコで走るバス』

『レダの卵』

『正月の熟女』

『新春画ネット散歩』

『愛と下着の美学』

『モナリザもビックリ』

『象が泣く』

『国際化に加速』

『美しき未亡人』

『ジューンさん、バイザイして』

『ジューンさん“いいね”が付いてるよ』

ジューンさんの熟女下着
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『床上手なのねぇ~』

『外国人SEXデンマン』

『外国人SEXデンマン再び』

『大きいことはいいことじゃない』

『デンバー直行便でジューンさんの下着』

『ジューンさんのヌードを探して』

『半分のお尻で…』

『プーフィードレス』


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『万夜一夜物語』

『ゆかじょうず』

『日本語じょうず』

『モナリザがニーハオ』

『おばさんの下着がいいの?』

『なぜ、ヤノマミ?』

『マタハラ』

『マタハラとrundll32』

ジューンさんの熟女下着
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『お尻のえくぼ』

『なぜカウチポテト?』

『あなたの混浴』

『夢の出会いを求めて』

『乙女と処女』

『戦場に行くことを教えた女教師』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『桜井の別れと母上様』

『ダイアモンドは女の親友』

『愛のコリーダを訳す』

『マルタ島のロマン再び』

『大前研一 奇妙な検索』

『ついに千夜一夜』

『いいね攻略と良妻賢母』

『批判が無いとヒトラーがのさばる』

『混浴入浴風景』



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『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』

『白木屋お熊とセックス』

『パンツを売る乙女』

『床上手な女@マルタ島』

『宮沢りえとおばさんパンツ』

『マチュピチュとインディー・ジョーンズ』

『映画を愛する薄命の女』

『ベニスの騒動』

『アンネとハンナ』

『名器たこつぼ』

『レダの卵を探して…』

『サモトラケのニケとミロのヴィーナス』

『薄命な女のパンツ』

『ロトの娘たち』

『もう一人のモナリザ』

『万夜一夜の謎』

『自由という誘惑』

『驚異の大洪水』


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ



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MH370ミステリー裏話


 

MH370ミステリー裏話

 


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ケイトー。。。 “MH370ミステリー”の“裏話”ってぇ どういうことなのォ~?


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ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』

『MH370 Mystery』

『MH370ミステリー』




これはアメブロの僕のブログの1月28日から2月3日までの1週間の「人気記事リスト」なのですよ。。。 個別の記事では『MH370 Mystery』がダントツで読まれたのですよ。



『MH370 Mystery』は英語だけで書かれた記事じゃないのォ~? ダイアンとケイトーでマレーシア航空のフライト370が行方不明になったミステリーについて語り合ったのよねぇ~。。。

そうです。。。 そうです。。。 シルヴィーと1月22日に語り合った同じテーマの記事は 個別の記事としては 6番目によく読まれたのですよ。

あらっ。。。 ずいぶんと開いているのねぇ~。。。!? どういうわけで英語だけで書かれた記事がダントツで読まれたのかしら?

ちょっと次のリストを見てください。


(hg60203.png)

『拡大する』



これはHit Graph という第3者が調べた記録なのですよ。。。 アメブロの僕のブログに1月28日から2月3日までの1週間に どの国の人たちがアクセスしたかを調べたものですよ。



つまり、この1週間に 340人がアクセスした内の .jp という日本のドメイン名(ホスト名)を持ったネット市民が 87人アクセスしたということなのォ~?

そういうことです。

。。。で、66%の 226人は、どういうことなのォ~?

IPアドレスからでは 国の判別ができなかったという意味です。

じゃあ、その中にも日本からアクセスした人も含まれているのォ~?

その可能性はまずありません。。。 次の県別アクセスを示したパイグラフと日本地図を見てください。


(hg60203b.png)

『拡大する』



これもHit Graph という第3者が調べた記録なのですよ。。。 アメブロの僕のブログに1月28日から2月3日までの1週間に どの県の人たちがアクセスしたかを調べたものです。



あらっ。。。 1週間の間に日本人は たったの18人しかアクセスしなかったのォ~?

いや。。。、実は もっと多くの日本人がアクセスしたはずなのですよ。

それなのに、どういうわけで 18人しかアクセスしていないと表示されてるのォ~?

あのねぇ~、この記録はホームページにアクセスした人だけを表示しているのですよ。。。 Hit Graph の検出プログラムを僕はホームページだけにセットアップしたのです。 だから、ホームページにアクセスした人だけしか記録に残らない。 つまり、個別のページに直接アクセスした人たちは記録されてないわけですよ。

。。。で、上の記録から何が解るわけなのォ~?

つまり、海外から英語が解る人たちが 英語で書かれた『MH370 Mystery』を読んだというわけですよ。

どの国のネット市民が読んだわけなのォ~?

次の国の人たちですよ。

 

海外からのアクセス

 


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『MH370 Mystery』@Denman Blog



つまり、Denman Blog に掲載された『MH370 Mystery』は 上の国のネット市民の皆さんに読まれたわけなのォ~?



そういうことです。。。

マジで。。。?

シルヴィーは信じられないのォ~?

つまり、アメブロでは 圧倒的に外国人が『MH370 Mystery』を読んだとケイトーは強調したいわけなのォ~?

いけませんか?

要するに、“裏話”というのは そのことなのォ~?

もちろん、それだけじゃありません。。。 だいたい、多くの人はマレーシア航空のフライトMH370がインド洋上の “謎のトライアングル”の不思議な空間に吸い込まれて姿を消してしまったなどとは考えられないと思うのですよ。


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確かに、そうよねぇ~。。。 だいたい海の真ん中に上のようなポッカリと開いた空洞ができて、その中に吸い込まれたなんて夢のような話じゃない!。。。 信じられないわァ~。。。



そうだと思うよ。。。 多くの人が そういう話には疑問を持つと思うのだよ!。。。 でもねぇ~、この世界には まだまだ説明のつかない多くの不思議な出来事があるのですよ。。。 だから、未だに“バーミューダ・トライアングル”は多くの人の関心を引き付けている。


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でも。。。、でも。。。、“バーミューダ・トライアングル”の謎も、なんとなく素直には信じられないところがあるじゃない。。。



じゃあ、たとえば UFO はどうよ?。。。 これまでに UFO の話はシルヴィーも何度となく聞いたことがあるでしょう!?


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確かに UFO の話は毎年のようにどこかで話題になってるわねぇ~。。。



。。。でしょう!?

でも、そのほとんどは UFOマニアがでっち上げた画像だとか? ビデオ映像だとか?。。。 そういう眉唾物(マユツバモノ)がほとんどじゃないのォ~。。。?

確かに、中にはセンセーションを巻き起こしたいというオツムがイカレた UFOマニアがでっち上げた報道もあるようだけれど、でもねぇ~。。。、例えば、“超古代文明”があったと言う人たちがいるのですよ。。。 冗談で言っているわけじゃなくて、この人たちは真面目な人たちなのですよ。


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このビデオに出てくる“超古代文明”は妄想めいているけれど、じっくりと見てゆくと、もしかしたら。。。? という思いに駆(か)られてくるのですよ。



でも。。。、やっぱり、なんだか眉唾物(マユツバモノ)に思えるわァ~。。。

あのねぇ~、例えば、僕が驚くのは、日本ではあまり知られていない“サクサイワマン”という遺跡があるのですよ。


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サクサイワマン城塞の遺跡というのはクスコの町を一望できる巨大な石の建造物なのです。


(peru002.jpg)



大きな巨石は重さが300トンもある。。。 現在の大型クレーンでも この巨石を持ち上げることができるモノは1台か2台ぐらいしかない。。。 それなのに、古代にどうやって上の巨石を運んで組み上げたのか? 当時のインカには鉄器もなければ、荷を引かせる馬や牛もいない。。。 車輪の付いた乗り物さえない。。。 それなのに石を切り出して、どうやって運んだのか?



現在でも、運ぶのが容易でない巨石をどうやって運んだのかしら?

シルヴィーだって不思議に思うでしょう!?

そうねぇ~。。。

要するに、この世界には、まだまだ不思議な事がたくさんあるのですよ。

だから、マレーシア航空のフライトMH370がインド洋で行方不明になった謎が 現在の人間の知恵では理解できないとケイトーは言うのォ~。。。?

いづれ、誰もが納得ゆくような説明をする人が現れるか? あるいは、行方不明になった機体が見つかるか?。。。 そのどちらかでしょうねぇ~。。。

つまり、世の中には、まだまだ人間の知恵が及ばないような不思議がたくさんあるという裏話なのねぇ~。。。

そういうことです。



(question.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは どう思いますか?

マレーシア航空のフライトMH370は、インド洋の“トライアングル”の中でミステリアスに消えてしまったと思いますか?
そのうちに、機体が発見されるかもしれませんよねぇ~。。。

ところで、シルヴィーさんが登場する記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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