行田物語 病院食

 

行田物語 病院食

 


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好きなものを食べさせてください

 


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「父が鰻を食べたがるのですが、大丈夫でしょうか」

申し訳ないですが、ご遠慮願います、鰻は危険です。

そういわれると予測していたが、あにはからんや、あっけらかんと、
「大丈夫ですよ」

「でも小骨が喉に引っかかったり肺に入っちゃったりしたら……?」

すると会長先生、ニッコリ笑って、
「好きなものは喉に引っかからないものなんです」

会長がさらに付け加えることには、
「イタリア人は、おいしいものが食べられなくなったら生きている意味がないと考えるそうです。私はその意見に大いに賛成でして、特別な疾患がないかぎり、『身体に悪い』と何もかも規制する前に、できるだけ『おいしい』と思っていただく努力をしたいと思っています

その考えをもってして入院患者と接してくれるこの病院に食い意地の張っている父を入れてよかったと、私はそのとき心の底から安堵した。

これからは、多少カロリーが高そうだとか老齢には脂がきつそうだとか、余計な素人判断は捨てることにしよう。

いざとなったら「我々がちゃんと診ています」とお医者様もおっしゃってくださった。

家族としては、父が「食べたい」と求めるものを食べさせればいい。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




41-42 ページ 『強父論』
著者: 阿川佐和子
2016年9月10日 第5刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋






デンマンさん。。。 また“病院食”を取り上げるのですか?


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あのねぇ~、実は、バンクーバー図書館で借りていた本を読んでいたら上の箇所に出くわしたのですよ。。。

それで、また“病院食”を取り上げる気になったのですか?

そうです。。。 やっぱり、多くの高齢者の家族が年寄りが病気になったら、なるべく おいしいものを食べさせてやりたいと思っていのですよ。。。 阿川佐和子さんも、お父さんで作家の阿川弘之さんが入院した時に、鰻を食べたがるので ぜひ食べさせてあげたいと思ったわけですよ。。。

でも、年寄りの病人に鰻というのは、常識的にも、ちょっとダメですよねぇ~。。。

確かに、佐和子さんも、鰻はちょっとダメなんじゃないだろうか?。。。と思ったわけですよ。。。 でも、意外に会長先生はOKだと言ったわけですよねぇ~。。。

私も、上の小文を読んで、意外な感じがしましたわァ~。。。

でしょう?。。。 でもねぇ~、現在、日本の医者や看護師の多くが、医学的な迷信に囚われていると思うのですよ。。。 たとえば、次のように。。。



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デンマンさん。。。お母さんは退院なさったのですか?


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一度退院したけれど、また入院ですよ。

今度もまた行田中央総合病院ですか?

いや。。。今度は行田総合病院です。

あらっ。。。同じ病院ではないのですか?

「中央」がぬけると全く違う病院になるのですよ。

どうして行田中央総合病院ではなく、行田総合病院にしたのですか?

あのねぇ、僕は行田中央総合病院のフィードバック・フォームに医療食について苦情と要望を書いたのですよ。


皆様のご意見をお聞かせください。


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皆様にご満足戴ける病院を目指してスタッフ一同努力しておりますが、様々な観点において皆様からお気付きの点・ご意見等がありましたら、ご遠慮なくお聞かせください。

記入日: 平成24年10月6日

207号室でお世話になっている患者(私の母)の長男、デンマンという者です。
スタッフの皆様の医療には感謝しております。

さて、母の食事表を見ますと、10月1日(月)には主食・副食ともハシをつけているようです。
しかし、日数が重なってゆき10月5日(金)、10月5日(土)を見ますと、主食・副食ともにゼロです。(食べていません。)
病院理念を見ますと「病気を診ずして病人を診よ」となっていますが、理念と現実があまりにもかけ離れているのを感じます。

貴医院のパンフレットを拝見しますと、食欲をそそられる素晴らしい(医療食の)写真が掲載されています。


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ところが実際の医療食を見ますと、見ただけでもまずそうで、食欲を無くすようなメニューになっています。

貴医院には専属の栄養士・調理師は居ないのでしょうか?
母の生きがいは「食」にあります。

医療食とはいえ、患者の好みに応じたメニューを提供して欲しいと強く感じます。
なぜなら、入院中の患者にとって食事が唯一の楽しみだと思うからです。

医療食が人生の最後の食事になる患者さんも居ることでしょう。
「病気を診ずして病人を診よ」という理念に基づいて病人の気持ちと病状を考慮した医療食を提供していただきたいと切にお願いします。

宜しくお願いします。
乱筆で失礼いたします。



デンマン

行田市行田 TEL: 0485 (54) 9999




『ネットと行田中央総合病院』より
(2012年10月14日)




このフォームが問題になったのですか?



そうなのですよ。 お袋の様態が悪化したので行田中央総合病院に入院させようとしたのだけれど、「医療食にきめの細かい配慮ができませんので、もっと大きな病院に入院させてはいかがですか!?」と丁重に断られてしまったのですよ。

それで、どうなさったのですか?

しかたがないから行田総合病院に連絡をとって引き受けてもらったのですよ。

。。。で、救急車で搬送したのですか?

そうです。 僕が救急車に乗って付き添っていったのです。 救急車に付き添いで乗るのは生まれて2度目の経験ですよ。

最初はどのような事故で救急車に乗ったのですか?

いや。。。事故ではなく最初の時もお袋の様態が急におかしくなったので僕が救急車を呼んで行田中央総合病院へ搬送するように頼んだのですよ。

つまり、行田中央総合病院には昔からお世話になっているのですわね?

その通りです。 でもねぇ、その時にも院長先生に苦情を言ったものだから、よほど口うるさい息子がいるというので敬遠されたのですよ。 たぶん。

。。。で、行田総合病院の対応はどうでしたの?

それがねぇ、意外にも迅速に対応したのですよ。 嬉しい驚きでしたよ。

デンマンさんが嬉しがるほどの迅速な対応だったのですか?

そうなのです。




『病院の悪い評判』より
(2012年11月4日)




つまり、病院食がまずそうなので、やがてお母さんが食べる気が無くなってしまったのですか?



僕が見ても食べたくなるようなものじゃなかった。。。 ある日、梨が食べたいと言ったので、僕は梨を持って行って、皮をむいてお皿の上に出して母親がうまそうに食べるのを眺めていた。。。 そしたら、看護婦さんがやって来て、あとで分かったのだけれど、僕があまりにも堂々と梨を食べさせているので、唖然としてそのまま何も言わずに病室から出て行ってしまったようです。。。 もちろん、その時、僕はたいして看護婦さんの行動に気をとられていなかった。

それで。。。?

翌日、見舞いに行ったら、ベッドの上に、縦横40センチぐらいのカードボードがぶら下がっていて、マジックでなにやら書いてある。。。

 


 

患者様に、病院食以外の
 

食べ物は
 

食べさせないでください。
 

宜しくお願いします。

 


 



デンマンさんに直接注意しないで、わざわざカードボードに書いたのですか?



僕はどうやらクレーマーとして病院のブラックリストに載っているらしい。。。 (苦笑) 僕に注意すると、10倍ぐらいの苦情が返ってくると思うのか、“触らぬ神にたたり無し”と思われていたようですよ。。。

つまり、病院で決められたもの以外は駄目だと言うことですねぇ~。。。

そういうことなのです。。。 お袋が梨が食べたいと言うのだから、梨ぐらいは別に病人に異常を与えるとは思えない。。。 ところが、これまでの病院の古いしきたりに従って、病院食を改善しようとしない。。。

でも、やっぱり、病院で決めたものが病人にはいいのではありませんか?

でもねぇ~、最近の医学では、必ずしも古くからのしきたりが、病人に良いとは考えない医者も出てきたのですよ。。。 たまたま、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。。。


病院食


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入院した経験をおもちの方はわかると思いますが、いまの病院食というのは、何かというとすぐに「お粥」を食べさせます。
とくに内臓を手術したあとの患者などには、「胃腸に負担をかけないように三分粥から始めましょう」と、いかにも体を思いやっているような言い方をします。
でも、これは大きな間違いです。

私は、胃の手術をした患者さんにも最初から普通食を提供します。
なぜお粥よりも普通食のほうがいいのか、それはエンザイムの働きを知っていればすぐにわかります。

普通食がよいのは「よくかむ」ことが必要だからです。
よくかむことは唾液の分泌を促します。
唾液の中には消化エンザイムが含まれており、かむことによってエンザイムと食物がよく混ざり合い、食物の分解がスムーズに進むので消化吸収がよくなるのです。

しかし、お粥だと最初からどろどろしているので、ろくにかまずに飲み込んでしまいます。
そのため、やわらかいはずのお粥は、エンザイムが充分に混ざっていないため消化が悪く、よくかんだ普通食のほうが消化がよいという皮肉な結果になるのです。

私は胃の手術をした3日後の昼食に、普通のお寿司を出したこともあります。
ただし、そのときは「ひとくちあたり70回はかんでください」ときちんと指導します。
よくかむということは、病人に限らず消化吸収をスムーズに行うためにとても大切なことです。
とくに胃腸の問題のない人も、普段から30~50回はかむように心がけることをお勧めします。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




68-69ページ 『病気にならない生き方』
著者: 新谷 弘美
2006年5月1日 第25刷発行
発行所: 株式会社 サンマーク出版




真由美ちゃんは、どう思いますか?



確かに“病院食”をイメージすると、“お粥”みたいな食べ物になるでしょうねぇ~。。。

でもねぇ~、真由美ちゃんは無意識のうちに「病院食がお粥だというのは間違いだ」と気づいていたようですよ。。。

あらっ。。。 どうして、デンマンさんはそのようなことを言うのですか?

ちょっと次のメールのやり取りを読んでみてください。



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真由美ちゃん、風邪を

移されないように気をつけてね。


今日は、よく僕を見つけることができましたね。
ちょっと驚きましたよ。


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バンクーバー中央図書館は 8階建ての建物で、
パソコンが置いてあるのが
2階、3階、4階、そして 6階。
全部で 350台ぐらいあるから。。。
パソコンをやっている人を探すのは大変ですよ。

真由美ちゃんが僕を見つける20分前に、
Atrium のテーブルで お昼を食べ終えたところでした。
僕がお昼を食べている時に、探していたら、もっと時間がかかっていたかもね。


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でも、Atrium を先に探したとしたら、もっと早く見つけていたかも。。。、

久しぶりに風邪を引いてしまったのですが、
それでも、熱は出ていないから、たいした風邪ではありません。

月曜日の夜は、鼻が詰まって、寝苦しくて、よく眠れませんでしたよ。
火曜日は図書館へ行くかどうか迷いました。

しかし、生活習慣は変えないのが僕の生活信条なので、
ちょっと しんどかったけれど、中央図書館に歩いてゆきました。

でも、ちょうど月曜日の夜が峠だったのか?
火曜日の夜からは、問題なく、眠れるようになりました。

今日は、鼻声だったけれど、月曜日の夜から比べれば、だいぶ楽になりました。
だいたい、風邪を引くのは、1年に1度あるかないか。。。

今回の風邪では、寝込むことはなかったけれど、ちょっとしつこいですよ。
でも、カナダの風邪で熱を出したことがないから、日本で風邪を引いた時の頭痛がないだけ、まだ楽です。

こうしてメールを書いたのは、真由美ちゃんと3時間近く話し込みましたからね。。。


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真由美ちゃんも絶対に、僕と話している間に唾(ツバ)の飛沫(ひまつ)を吸い込んでいますよ。
。。。ということは風邪のウィルスも吸い込んだということです。

真由美ちゃんは、若いし、健康そうだから、風邪のウィルスに抵抗力があると思うけれど、
今夜は早めに寝てください。
寝不足は禁物です。
抵抗力が落ちるから。。。


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明日の朝は、元気がでるような朝食を食べて、抵抗力が下がらないように気をつけてね。

僕の風邪は、鼻から来ました。
鼻がグズグズして来て、鼻水が出始め、
それから、喉に来て、セキが出て、

昨日からセキが収まり、鼻水も、それほど出なくなり。
現在では、快方に向かっていますよ。

でも、熱は出ないし、寝込むことはなかったから、
僕の風邪が移ったとしても、それほどひどいことにはならないでしょう!

とにかく、気をつけてね。
じゃあ、ぐっすり眠ってください。
おやすみ。。。


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Thu, Jan 29, 2015 at 11:12 PM


 



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真由美ちゃんが、いろいろと考えながら、

一生懸命に就職に向けて

頑張っている様子が

読み取れますよ。


真由美ちゃんも風邪を移されて寝ていると思ったのだけれど、やっぱり若いから、免疫力があるんだね。
安心しました。

今度の風邪は本当にタチが悪くて、今日は9時まで頑張ることができませんでした。
6時に自宅に帰って、寝ました。
10時10分に起きて、脱水症状にならないように、コーヒーをたくさん飲みましたよ。



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デンマンさんの風邪も少し良くなったようなので良かったです。

でもあまり無理せずデンマンさんも栄養のあるもの食べてくださいね!



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確かに少しづつ良くはなっているけれど、
6時頃になるとしんどいです。



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おとといは栃木県に住む母親から手紙が届き、
久しぶりに母親と会話をしたような気分になりました。

私も父親とはたまにメールのやり取りをしているのですが
心配をかけたくないので、
あまりこまめには父親にも連絡していませんでした。

母親がメールができないので、この手紙が わたしがバンクーバーにやって来てから初めてのコンタクトみたいな感じでした。
中を開けたら、2回分の手紙が入ってました。
違う日にちに 書かれたのでしょう。

その中には今年明けに埼玉県の実家に里帰りをしていたらしく
ケイジおじさんが私のことを随分の心配をしていて、
たくさん、いろんなことを聞かれたと書かれてありました(笑)

母親の手紙を読んで、
こみ上げる思いでいっぱいになりました。。。




真由美ちゃんは一人暮らしをしたことがないので、関係者は 真由美ちゃんのことを本当に心配していると思いますよ。
しかし、真由美ちゃんは10代ではないのだから、関係者が、それほど心配するのは可笑しなことですよね。

お母さんも久しぶりに 真由美ちゃんに 心の内を語ったのではありませんか?



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昨日は私の好きな静かなカフェで
ひっそりと母親に返事を書いていました。


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癒しの場所を確保することはいいことですよ。



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今日その手紙を出しに先ほど切手が売っている所まで行って送って来ました。
その足で図書館により今デンマンさんにメールを打っています。

今日手紙を出す場所も本当は切手が売っているお店を知っていたのですが
わざとそこに着くまでに通りすがる人に

"Is there a post office around here?"

"Where can I get stamps?"

"Keep going? all the way?"

"left hand side of the street?"

。。。とカタコトで聞いてみたり^^::




そうです。。。そうです。。。 何事も勉強です。

ボランティアのことは、今度,スープキッチンへ行った時にダイアンにじっくりと話を聞いてみたらいいですよ。
僕の風邪が完全に治ったら、スープキッチンへ行って見ましょう。
ダイアンも風邪を引いてしまったようで、そんなことがメールに書いてありました。



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デンマンさんからのメールを部屋で読んでから、
今はNorth Vancouverの図書館に来ています。


はい、はい、はい。。。 僕も、できるだけ、真由美ちゃんの手助けができれば、幸せな気分になれます。
だから、遠慮せずに、何でも、書いてください。
じゃあね。


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Date: 2015/2/4, Wed 11:25PM


 



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真由美ちゃんが作ってくれた弁当を食べて

元気が出ました。


真由美ちゃんが帰ってから、すぐにベッドにもぐって寝て、
さっき、午前1時に目が覚めたばかりです。

ジンジャーを千切りにして、ジンジャー・ティーをいれて
弁当を食べました。


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元気が出ました。



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今日は突然押しかけて、すみませんでした。




僕もビックリしましたよ。
まさか風邪見舞いに、真由美ちゃんがやって来るとは思いませんでした。



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ほんと、お弁当だけ渡して帰るつもりだったのに、
後々、デンマンさんの体調を考えたら長居してしまった事を申し訳なく思いました。
今日はゆっくり、休んでください。




でも、別に迷惑ではありませんでしたよ。

“メリハリ”のある生活をする。。。これが僕のモットーですから。。。
つまり、病気になっても、できるだけ日常通りに過ごすと言うのが、これまでの僕のやり方です。

だから、これまで、風邪のために休んだということはありませんでした。
やっぱり、“気が張っている”ということは病気回復効果もあるのだと思います。

真由美ちゃんが“風邪”を移されなかったのも、“風邪にかかっている場合じゃない!”という気持ちが多少は影響していると思いますよ。



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もし、何かわたしにできる事あったら何でも言って下さいね。
わたしもデンマンさんの力になれる事は なりたいと思っています。




でもねぇ~、“あなたまかせ”の生活になってしまったら、マイナスになってしまいます。
真由美ちゃんが 初めて カレンおばさん夫婦に会った日に、カレンおばさんが旦那のことを愚痴っていましたよ。
覚えてますか?



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“あんたは、そばに面倒を見てくれる人がいるから

頼ってしまうねん。 それで、風邪がなかなか治らへん”


だから、真由美ちゃんの気持ちは充分にうれしいのですが、
誰にも頼らない生活を確立しないと、いざという時に苦労するのは自分ですからね。
頼れる人が常にそばに居るとは限らないのだから。。。

僕は、そういうつもりで、これまで生きてきましたから。。。
だから、これまでにカナダでは一度も医者にかかったことがなかったのですよ。
すくなくとも、“一匹狼の気持ち”を持っていたからこそ、健康で居られたのだと思います。

でも、今回の風邪だけは、ちょっと油断していました。
簡単な風邪だと思って、往復1時間かかって図書館まで歩いたのが、どうも風邪が長引く原因だったようです。

そう言うわけで、今日は、すぐそこのJoe Fortes Library で記事を投稿するつもりです。
なるべく早めに寝ます。



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帰りに Joe's Market に寄って
ココナッツのパンを買いました。


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パンをかじりながら帰りました。
やはり、あのパンは美味しいです!^ ^
それでは おやすみなさい。




キャルガリー(Calgary)で作られた、あのcoconut bun (椰子包)は 僕の大好物ですよ。
真由美ちゃんも気に入ったようですね。 (笑い)


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あの、マーケットは、僕の知る限りでは、
バンクーバーのウェストエンドでは一番安い店です。

でも、品物も悪くはないです。 品揃えも、まあまあです。
醤油、味噌、豆腐も売ってます。

バナナの値段を見るのが、よい比較になります。
あのマーケットでは 1パウンドで 69セントです。

もっと安いのは、チャイナタウンだけでしょう!?

では、真由美ちゃんも、風邪を引かないように、くれぐれも気をつけて。。。
弁当、ありがとね。
おかげで、元気がでました。
じゃあね。


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Fri., Feb. 6, 2015 at 2:33 AM




『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』より
(2015年2月11日)




こうして久しぶりにメールを読み返すと、しみじみと真由美ちゃんが作ってくれた弁当を食べたときのことが思い出されますよ。。。



お粥ではなく、お弁当を作ったのは間違いではなかったのですねぇ~。。。

そうですよ。。。 やっぱり、“病院食”は真心のこもったお弁当が何よりなのです。。。



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』



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行田物語 ケネディ暗殺

 

行田物語 ケネディ暗殺

 


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デンマンさん。。。、“ケネディ暗殺”が行田と関係あるのですか?


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もちろんですよ。。。 関係がないことを僕が持ち出すと真由美ちゃんは思っているのですかァ~?

でも。。。、でも。。。、ケネディ大統領はアメリカの大統領ですわァ。。。 それに一度も行田市にやって来てないと思います。

確かに、ケネディ大統領は、生涯に一度も行田市にやって来てません…。

それなのに、ケネディ大統領と行田が何か関係あるのですかァ~?

関係あるから、行田物語でケネディ暗殺を取り上げるのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、私ばかりでなく、この記事のタイトルを見てやって来たネット市民の皆様も絶対に関係ないと思ってますわァ~。。。

あのねぇ~。。。 もし、絶対に関係ないと思っていたら、この記事を読みにやって来てませんよ。。。 何か関係あると思ったから興味が湧いて、読みにやって来たのです。

じゃあ、マジでデンマンさんのブログにやって来たネット市民の皆様の期待に沿うようなお話をするのですねぇ~。。。?

もちろんです。。。 期待に添えないような馬鹿らしい話をしたら、もう二度と僕のブログにやって来なくなりますからねぇ~。。。 (微笑)

分かりましたわァ。。。 私もなんだか、期待に胸が膨(ふく)らんできましたわァ。。。 でも、やっぱり、心の片隅でちょっと心配です。。。

あのねぇ~。。。、真由美ちゃんが何も心配することはないのですよ。。。 たとえ、僕の話にネット市民の皆様がガッカリしても、真由美ちゃんをとって喰おうとするような人は居ませんから。。。 (モナリザの微笑)

分かりました。。。 じゃあ、なるべく余計なことは言わないように、細木数子さんのようにズバリと核心を突くように話してくださいなァ~。。。

あのねぇ~、順序良く、なるべく根拠を交えながら解り易く話をしないと、誤解を招いて細木数子のようにテレビ局のお偉方に睨まれて、番組を降ろされてしまうのですよ。。。 だから、僕は誤解を招かないように、この話を聞いたネット市民の民様が、納得するような証拠を示しながら話してゆくつもりなのです。。。 それでいいですか?

分かりましたわァ。。。 では、前置きはそれぐらいにして本題に入ってくださいなァ。。。

じゃあ、まず次の“振袖火事”の記事を読んでみてください。



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“振袖火事”というのは“明暦の大火”のことです。 でもねぇ~、学校の歴史の時間でも、“明暦の大火”と言われると、なんだかピンとこないのです。 だけど、“振袖火事”と言われれば、すぐに“ああァ~、あの振袖をお寺で供養する時に燃やした。。。 その時、強い風が吹いて、それが火元になった大火事だ”と、ピンとくるのですよ。 それほど、このエピソードは一人歩きするほど庶民の間に広まった。



でも、それは幕府のお偉方が江戸の庶民に広めたデマだったと言うのですねぇ~。

そうですよ。 もともと、火元は振袖を供養したという本妙寺じゃない。 菊ちゃんの“ひいおばあちゃん”の、そのまた“ひいおばあちゃん”にあたる、忠秋さんに拾われて育ち、女中をしていた“お菊さん”が忠秋さんの部屋の行灯(あんどん)に火をともしに行った時に、大嫌いなネズミが目の前を横切ったので、ろうそくの火を落としてしまったのです。。。 それがあの大火事の火元だった。


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お菊さんが畳に落としたロウソクの火が マジで あの“振袖火事”と呼ばれた“明暦の大火”の火元になったのですか?



そうです。。。 当時、阿部忠秋さんは老中。。。、松平信綱さんは老中首座だった。。。 今で言えば、さしずめ江戸政府の首相と副首相のような立場にあった。

忠秋さんも、ホトホト困ってしまったでしょうね。

そうです。。。 だから、二人の間には次のような会話が交わされたのですよ。



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拙者が全責任を負って腹を切り、土地・家屋、所領は幕府に返上いたします。 なにとぞ他の者には罪が及ばないようにしていただきたい。 この件については、左様に御承知していただけると、幸いに存じます。


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いや。。。それはならぬ。

。。。とおっしゃいますと、拙者の家族と縁者、すべての者が処罰されるということでございますか?

いや。。。幕府の老中の屋敷が火元とあっては、阿部殿の家族全員が死罪になったとて済む問題ではござらぬ。

。。。とおっしゃいますと。。。?

阿部殿も御承知のとおり、火事の火元に対しては幕府は厳罰主義で臨んでおります。 それゆえ幕府の老中が火元とあっては、幕府の権威は失墜してしまいます。 先年の“島原の乱”で、幕府の権威はいささか揺るいでしまいました。 今度の江戸の大火事の火元が老中の屋敷とあっては、更に反乱を誘うようなものでござる。

では、一体どうすればよろしいのでしょうか?

拙者に名案があります。。。 確か、阿部殿の屋敷の隣は本妙寺でしたな。。。

左様で。。。

それでは火元は本妙寺といたそう。

しかし、本妙寺の住職が承知いたしますまい。

ご案じなさるな。。。 幕府の方からもいろいろと手を尽くして説得に当たろう。。。 ついては、阿部殿からも、毎年供養料として相当額の寄付をしていただきたい。

金銭で済むものでしたら、住職の納得する額を毎年供養料として差し出す所存です。。。 しかし、どのような原因で火が出たとするのでございますか?

それについても名案があります。 次のような話を拙者の家臣に命じて江戸中に広めるつもりでござる。


江戸の町の一人の少女(17歳)が、偶然見かけた美少年に一目惚れ。
寝ても覚めてもその美少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と同じ模様の振袖を作らせた。
その振袖を抱いては、彼のことを思う日々でしたが、恋の病からか、はかなく死んでしまった。

両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやった。
棺が持ち込まれた寺で働く男たちが その振袖をもらい受けた。

振袖は男たちによって売られ、別の17歳の娘の物になった。


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ところがこの娘も、しばらくの後に亡くなり、振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれた。
寺の男たちもびっくりしました。
しかし、そんなこともあるだろうと、またそれを売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡った。


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ところが、この娘もほどなく死んでしまい、振袖は またまた棺に掛けられて寺に運び込まれた。

ここに至って さすがに寺の男たちも気味悪がり、住職に相談。
死んだ娘たちの親も呼ばれて、この振袖を寺で供養することになった。
住職が読経しながら火中に振袖を投じる。

ところが、折しも強い風が吹き、振袖は火がついたまま空に舞い上がり、本堂の屋根に落ちた。
火は屋根に燃え移り、消し止める間もなく次々と延焼、翌日には、江戸城本丸天守閣まで類焼した。


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どうですかな、阿部殿。。。 庶民が飛びつくような話だとは思わぬか?



確かに。。。 さすがに“知恵伊豆”と呼ばれるだけあって、松平殿は戯作にも通じておるのですな。 (笑)

とにかく、これ以上幕府の権威を落としたくないのじゃ。。。 そう言う訳で、この一件は拙者に任してくだされ。




“知恵伊豆”の信綱さんは、何が何でも幕府の権威にこだわった。 それに対して忠秋さんは“お菊さん”を死罪にするには忍びなかったので、自分が腹を切って身代わりになろうとした。



そういうことですよ。。。 二人の性格が良く表れているとは思いませんか?

でも。。。、でも。。。、これが史実だとして、この“振袖火事”が“ケネディ暗殺”と どのように関係しているのですか?

だから、“振袖火事”にあたるものが“オズワルド単独犯行説”ですよ。。。 これを広めることによってアメリカ政府と、軍産複合体は“ケネディ暗殺事件”をうやむやに葬り去ろうとしたわけです。

。。。で、アメリカ政府の高官は、どのような会話をしたのですか?

次のような会話をしたのですよ。



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長官、ひどいことになりましたなァ~。。。 この事件をいったいどのように処理するつもりですか?


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あんたも、“タナボタ”でアメリカの大統領になれたわけだ。。。 これまでにもアメリカの大統領が暗殺されたと言うことはあったけれど、まさか第2次世界大戦のあとになってから、アメリカで大統領暗殺がおこなわれるとは、わしも思ってもみなかったよ。 とにかく、アメリカの権威が失墜するかどうかの瀬戸際だから、あんたも、心してかかる必要があるよ。

それで、真犯人は突き止めたのですか?

いや。。。 真犯人のことは、あんたも知らない方がいいだろう。。。

でも、大統領として、私も知る必要が。。。

いや。。。大統領だからこそ、あんたは知らない方がいい。。。 知っている人が増えれば増えるほど、アメリカの権威は失墜するのだから。。。

しかし、“オズワルド単独犯行説”で世間は収まりますか?

収まるか収まらないかは、今後の成り行きしだいさァ。。。 でも、オスワルドがソ連に居たということは、冷戦を絡(から)ませるいい口実になると思うよ。 ソ連の KGB の犯行を匂わせることができるからね。

しかし、長官、暗殺が起きた11月22日から27日までの6日間で行われたギャロップ(Gallup)の世論調査では52%がオズワルドの単独犯行ではなく、グループによる犯行だと。。。つまり、何らかの陰謀があったと主張する者も多いのですよ。

だから、今後、そういう考え方を改めさせるために、我々が努力しなければならないわけさァ。 “オズワルド単独犯行説”で押し通すのだよ。

どのようにして。。。?

実は、FBIの詳細な公式報告をアメリカ国民に公表することで事件の調査を終了するつもりだったのだよ。 ところが、11月25日に テキサス州の司法長官がケネディとオズワルドの死をめぐる事実関係を糾明する査問会議を行うことを発表した。 翌日には、合衆国上院が調査特別委員会を設置することを発表。 そして翌27日には 合衆国下院が独自に特別委員会の設置を発表した。

それだけ、大統領暗殺の衝撃が大きかったということですよ。

まあ、そういうことなのだが。。。 実にやりにくいよ。

しかし、長官、犯人とされたオスワルドが警察署内で殺されるという異常な展開。。。、そして動機も背後関係も一切謎のままですからね。。。、うやむやに済ませるわけにはゆかないでしょう。 だから、一応、長官の意見を入れて、私も11月29日に暗殺事件の調査を大統領直属の委員会を設置して早急に行い、国民の間に広がる疑惑や不安を払拭することに決めたのですよ。

そうすべきだよ。。。 そうすることによって上下両院の独自調査を延期させることができるからね。。。、テキサス州の調査も大統領直属の委員会に資料を提出させるべきだよ。。。

分かりました。。。で、委員長は誰に。。。

連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンがいいだろう。。。 彼ならば、何かと操(あやつ)り易いからねぇ~。。。




つまり、FBI長官のフーバーさんは真犯人グループを知っていたのですね。



そうですよ。。。 ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡んでいるのです。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。

でも、その証拠があるのですか?

もちろん、僕には、証拠となるものには手が届かない。。。 でもねぇ~、状況証拠なら、たくさんありますよ。 まず、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は、1964年に ワシントンDCにある国立公文書館に保管されてしまった。 しかも、それまでに公開されてない資料は75年間、つまり、2039年まで封印されることになった。

どうして。。。?

だから、アメリカの権威を保つためですよ。 もしも、ソ連のKBGが陰謀をめぐらせてケネディ大統領を暗殺したとしたら、75年間も資料を封印する必要など全くないのですよ。

今でも、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は封印されたままなのですか?

いや。。。 “75年間封印される”という理不尽さを 1991年にオリバー・ストーン監督が"JFK"という映画を作って、訴えた。 


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この映画で、“ケネディ大統領暗殺の陰謀”が、再びマスコミで騒がれるようになったのですよ。



。。。で、政府の高官はどうしたのですか?

映画が公開された翌年(1992年)に、“陰謀説”を掲げてマスコミで騒ぐ民衆をなだめるために「JFK記録に関する法律(the JFK Records Act)」というのを作って、できるだけ多くの資料を公開するようにしたのですよ。

ほとんどすべての資料を公開したのですか?

いや。。。 伏せておくべき資料はやっぱり公開されなかったのです。 2017年までに、公開されることになっているのですよ。 でもねぇ、“ケネディ大統領暗殺研究家”が喉から手を出したいほど欲しい資料 1,171点は CIA によって、今でも封印されているのです。

じゃあ、やっぱり、真の犯行グループがいるのですわね。

いずれはっきりするでしょう。。。

。。。で、デンマンさんは、その犯行グループのメンバーは誰だと思っているのですかァ~?

もちろん、すべてのメンバーについて僕が解るはずがありません。。。 でもねぇ~、その黒幕が誰かは容易に想像できますよ。

その黒幕ってぇ、いったい誰ですのォ~?

ちょっと次の記事を読んでください。


ケネディ政権


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ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。
国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。
「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。

だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。

 (中略)

すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。
ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。
大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。

……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。
この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。
戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。


そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。

 (中略)

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。

「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」

ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ

ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




107 - 111ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『シルヴィーとケネディ夫人』に掲載
(2011年6月15日)




主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった」と書いてあるけれど、この人物が黒幕ですよ。 「戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた」ということですからね。。。



この将軍は自国の大統領まで暗殺するような精神を持った人なのですか?

自分の考えに固執して、例え大統領だろうが、国のためにならないと思えば暗殺も辞さないというタイプですよ。 ウィキペディアにも次のように書いてあります。


カーチス・ルメイ

キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。
ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。

ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。
なお、北爆が開始された1965年に除隊した。

退役後

1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Party)の副大統領候補として出馬するが落選。
1990年10月1日没。

評価

ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。
特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。

右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。
また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。

しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。


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ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。

また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。



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君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。
そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。
正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。




ドイツ空襲の意見を聞かれて
『戦略・東京大空襲』
E・バートレット・カー著・大谷勲訳


(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典: 「カーチス・ルメイ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




どうですか、小百合さん。。。 



でも、黒幕がルメイ将軍だったというのは、あくまでもデンマンさんの推測ですよねぇ~。。。

これまでの状況証拠を見ても、黒幕はルメイ将軍以外には考えられないですよ。

CIAに封印されている 1,171点の資料が 2017年までに公開されれば、解ることですわねぇ~。。。?

いや。。。 解らないはずです。

どうして。。。?

あのねぇ~、前にも言ったように、ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡(から)んでいるのですよ。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。 だから、黒幕がルメイ将軍であるという証拠は、すでに抹殺されています。。。




『振袖火事とケネディ暗殺』より
(2015年1月29日)




なるほどォ~。。。 デンマンさんのおっしゃろうとすることはよく解りました。。。 でも、上の記事に中には行田が全く出てきてませんわァ!



真由美ちゃんが知らないだけで、実は、老中の阿部忠秋さんは行田とすごく関係がある人なのですよ。。。


阿部忠秋


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阿部 忠秋(あべ ただあき)は、江戸時代前期の下野壬生藩・武蔵忍藩主。
(デンマン注: 江戸時代の忍藩が、後に行田市になった。)
徳川家光・家綱の2代にわたって老中を務めた。
同じく老中の阿部重次は従兄にあたる。

 

人物

慶安の変後の処理では浪人の江戸追放策に反対して就業促進策を主導して社会の混乱を鎮めた。
その見識と手腕は明治時代の歴史家竹越与三郎より「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」(『二千五百年史』)と高く評価された。

鋭敏で才知に富んだ松平信綱に対し、忠秋は剛毅木訥な人柄であり、信綱とは互いに欠点を指摘、補助しあって幕府の盤石化に尽力し、まだ戦国の遺風が残る中、幕政を安定させることに貢献した。
関ヶ原の戦いを扱った歴史書・『関原日記』(全5巻)の編者でもある。

忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ、責任感が強く、また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。
子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみであった。

 

略歴

阿部忠吉(阿部正勝の次男)の次男。 母は大須賀康高の娘。
長兄の夭折により家督を相続する。
名ははじめ正秋、寛永3年(1626年)に徳川秀忠の偏諱を拝領し、忠秋と名乗った。

正室は稲葉道通の娘、継室は戸田康長の娘。
息子があったが夭折し、その後も子に恵まれず、従兄の阿部政澄(重次の兄)の子の正令(後に正能と字を改める)を養子として迎えた。

寛永元年(1624年)、父の遺領6000石を継ぐ。
同3年(1626年)加増され、1万石の大名となる。
同6年(1629年)、5000石加増。
同10年(1633年)、小姓組番頭から六人衆(後の若年寄)に転じ、さらに5月5日より老中格に任じられる。
同12年(1635年)、下野壬生藩2万5000石に転封され老中。

同16年(1639年)忍藩5万石。
正保4年(1647年)6万石。
寛文3年(1663年)8万石。
同6年(1666年)老中退任。
同11年(1671年)隠居。
延宝3年(1676年)に死去した。




出典: 「阿部忠秋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




でも。。。でも。。。、上のエピソードに出てきた“ネズミを怖がる女中のお菊さん”はマジでデンマンさんのお嫁さんになりたかった“菊ちゃん”のご先祖様なのですか?



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もちろんですよ。。。 あのねぇ~、『ウィキペディア』にも書いてある通り、阿部忠秋さんは捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げたのですよ。。。 お菊さんはそのうちの一人だった。



でも。。。、でも。。。、お菊さんは江戸の阿部忠秋さんのお屋敷で奉公していたはずですわァ。。。

あのねぇ~、“明暦の大火”の後で江戸に居るのはまずいだろうということになって、“お菊さん”を小さな時に面倒を見た“お寅さん”というおばちゃんがお勤めを終わった後に忍藩(後の行田市)で隠居していたのですよ。。。 そういうわけで、お菊さんは“お寅さん”の養女となって忍に下って行ったのです。。。

。。。で、その後ずっと忍藩に住み続け、“お菊さん”の子孫の一人が“菊ちゃん”だ、とデンマンさんは断定するのですか?

そうですよ。。。 昔の人は言った者ですよ。。。 “親の因果(いんが)が子に報(むく)い”。。。 真由美ちゃんも聞いたことがあるでしょう?

ありますわ。。。 それが菊ちゃんと、どういう関係があるのですか?

だから、“お菊さん”が“明暦の大火”を起こしてしまったのですよ。。。 老中の阿部忠秋さんと 老中首座の松平信綱さんが話をうまくまとめて、“お菊さん”は何の罰も受けなかったけれど、人の世はやっぱり、何事も無く幸せな事ばかりが続くわけではないのです。。。 昔の人は、気づいていたのです。。。 “お菊さんの因果が子孫に報い”、女性にのみ受け継がれるY染色体に、精神薄弱の因子がやどって、それが“菊ちゃん”に受け継がれたのですよ。。。


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『菊ちゃんとデンマンの心の絆』

(行田物語 猫)




それで、菊ちゃんは精神薄弱児として人生を終えたのですか?



そういうことです。。。 伝説として行田市民の中では、知る人ぞ知る公然の秘密として語り継がれてきたのです。。。

マジで。。。?

だから言ったでしょう。。。 ここまで話してくれば、真由美ちゃんも納得できると思うのですよ。。。 でしょう?

私は、なんとなく、デンマンさんのお話に釣り込まれてしまいましたけれど、このお話を聞いているネット市民の皆様は、私のように素直には信じないと思いますわァ。。。

あのねぇ~、僕の話を聞いて、ムカついた人はコメントを残してくれますよ。。。 だから、真由美ちゃんが心配するほどのことではありません。。。 (爆笑)



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』



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行田物語 母の懐

 

行田物語 母の懐

 


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用件:

喜代司の葬式に出席していただいて

ありがとうございました。



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From: takako1234@yahoo.co.jp
To: denman987@gmail.com
Date: Sat. April 29, 2017 5:48 PM


 



夕べは多佳子さんの元気な声を聞いて安心しました。
まさか多佳子さんが喜代司の葬式に参加できるほど体力があり、体調がすぐれているとは思いませんでした。
かなり無理をされたのではないですか?

私が多佳子さんの立場であるなら、まず出席しないでしょう!
はっきり言って“迷惑”と感じてしまうでしょう!

私と多佳子さんには共通点もありますが、
この点に関する限り、私は母方の遺伝子をまったく保有してないようです。
冠婚葬祭は、ほぼ拒絶しています。

母親の葬式に参加したことは例外中の例外でした。。。


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“アイツは義理も人情もないのかア!”

今回の欠席のことでは たぶん、そう思われていることでしょう!
もちろん、そう思われたとて、私は自分の考えている通りに生きるだけですが……。

しかし、私のような生き方で、日本で暮らしてゆくと、まず間違いなく波風が立って 暮らしにくいと思います。
カナダに永住したことは正解でした。

ところで、今、ブログの記事を投稿し終わってから、
バンクーバー中央図書館のパソコンに向かって
このメールを書いてます。

ちなみに、フラッシュ・メモリーの多佳子さんのフォルダーを開くと
最後に書いたメールが出てきました。

次の通りです。。。


件名:

11月5日の土曜日は映画音楽で

盛り上がって楽しかったですよ!



(meikyoku01.jpg)




From: takako1234@yahoo.co.jp
To: denman987@gmail.com
Date: Tues., November 8, 2016 1:56 PM


 



その後体調はいかがですか?

11月7日の月曜日には、喜代司が外出を許可されたので、
正造と3人でお袋の見舞いに行ってきました。

話をしようとしても、意味がなかなか理解できないのですが、
3人の子供たちが来たことははっきりと理解していました。

私が肩を揉んでやったら、「ありがとう」と理解できる口調で答えました。
意識は、はっきりしているようです。

11月16日にバンクーバーに戻りますが、
それ以降にお袋が亡くなったならば、
その時は、再度行田に戻ってくるつもりです。

葬式はなるべく簡素に済ませます。

ところで、『夢遊伝』を読ませてもらいました。

純文学的な良い作品だと思いました。

インスピレーションをもらったので、そのことで記事を書きました。

ぜひ読んでみてください。


(grave02.jpg)

『逝く者と残る者』

では、今日も一日 多佳子さんにとってルンルン気分で過ごせるように祈ってますね。
また会う日までお元気で……。



 



去年の11月8日に書いたのでした。。。
“光陰矢のごとし”と申しますが 本当に月日の経つのが早く感じられます。

2月4日に母親が亡くなって 4月24日に喜代司が突然に逝ったのです。

正造さんから連絡を受けて翌日に手紙を書いたのですが、
その手紙の草稿をここに書き出します。

 


2017年4月24日 月曜日

 

昨夜は突然の喜代司さんの死亡の知らせを受け、
全く予期していなかったので驚きました。

喜代司さんの体は以前と比べれば弱っているとは言うものの
少なくとも まだ2年か3年ほどは生きているだろうと予測していたので
死亡の知らせは青天の霹靂でした。

考えてみると、お袋の死が喜代司さんに生きることの儚(はかな)さと
希望を失わせたのでしょうね。


 


(gorinju01.png)


(soshiki02.png)

 

高校生の頃電車に飛び込み自殺をしようと試みたことがあったけれど、
「俺が死んだらかあちゃんが悲しむだろうなァ~……」
そう思って思いとどまった
ということをお袋から聞かされた覚えがあります。

そう言う訳で私も去年の11月に帰省した時に、
「お袋よりも先に死ぬことだけはしないように……」と喜代司さんに言おうと思ったのですが……。
つい、言う機会を逃してしまいました。

しかし、喜代司さん自身にも、お袋よりも先に亡くなって悲しませたくないという気持ちがあったのでしょう!
だから、お袋が2月4日に亡くなって2ヶ月であの世に逝った言う事が
なんだか、寂しく一人でお墓に入っているお袋の話し相手にでもなろうと思って
お袋のそばに逝ったのだと…… そんな風に思えてきました。


そのように思うと喜代司さんの死が不憫ではなく、
なんだか心温まるようにも思えます。

ところで、4月28日の午後5時にお通夜をやるそうですが、
夕べ、よくよく考えた挙句、日本へ戻ってお通夜に参加することはやめます。

親父さんの葬式にも出なかった。
私は、もともとお通夜とか葬式という行事に意味を見出していないのです。

それで、親父さんが入院中には20日間ほぼ毎日見舞いに行田中央総合病院に通いました。
親父さんとは あまり話をしませんでしたが、その20日間には、
20年分ぐらいの話をしたように思います。

「死んで花実が咲くものか」と昔の人は言いましたが、
死んでから、お通夜やお葬式をしても、意味がないと思うのは、そういうためです。

お袋が亡くなったときに、通夜と葬式に参加したのは例外中の例外でした。
30年以上お葬式に出たことがない!

喜代司さんとも、お袋が亡くなった時に帰省して
食事を一緒にしたり、会ってそれなりに語り合えたことはよい思い出ができたと思います。

そういうわけで、もう20年ほど前から遺書を書き換えていますが、
つねに、自分の葬式は要らない。。。
遺体はバンクーバーの大学の医学部に寄付。
そのようにか固く決めています。

正造さんに、すべてを任せきって、自分が何もしないということを
心苦しく、我侭だとは思いますが、
通夜と葬式だけが亡くなった者を“ともらう”、というものでもないでしょう!

心の内でお袋に対しても、喜代司さんに対しても、充分に“ともらう気持ち”を持っています。
通夜や葬式は私にとって、形式だけの 時間と金を無駄にする行為に見えて、時には滑稽にも思えてきます。

仏教が葬式仏教になって、お葬式に100万円以上がかかるというのは、滑稽としか言えず、
正式にすると400万円もかかるというのは馬鹿バカしく思えてなりません。

 


(soshiki01.jpg)

 

坊さんに、合計で60万円も包むのは、さらに滑稽としか思えません。
「坊主まるもうけ!」とは、昔の人はよく言ったものです!

そういうわけで、今回の喜代司さんのお通夜と葬式には出ませんので、
親戚の人たちには、当たり障りのないように正造さんからよろしくお伝えください。

喜代司さんの葬式は、バンクーバーで私なりに心の内で“ともらいたい”と思います。
墓参りなども、私は全く信じておりません。

今年の秋には、これまでどおり行田に帰省して また食事を一緒にしながら語り合いましょう。。。

 


(hakamairi2.png)

 

喜代司さんのお骨も、親父とお袋のお骨と並んで 仲良くお墓の中に入っていることでしょうから、
その時には、例外中の例外で、お墓参りをしてあげようと思います。
心の内のお墓参りのつもりです。

ちなみに、お袋のお通夜と葬式に泰夫さん(デンマン注:お袋の実弟、故人)の妻の安子さんが
あれほど体が弱っているのに、参加してくれたのには、本当に驚きでした。
当時、お礼に伺おうと思っていたのに、ついつい行きそびれてしまいました。

今年の秋、もし健在であれば、蓮華寺にお墓参りした後で
安子さんを お見舞いしたいと思います。

 


(rengeji01.jpg)

 

勝手ではありますが、そのようなわけで喜代司さんの通夜とお葬式には欠席します。

あしからず……。

 

追伸:

たまたま、2016年10月6日の手紙を読みなおしたら
(フラッシュ・メモリーに下書きが保存されている)

次のように書いてありました。



(jizai20.jpg)

「もし、喜代司さんが2,3日間自宅に

戻れるような機会があるなら、

私と喜代司さんの二人で 那須高原へ旅行して

由香里ちゃんが働いている「自在荘ホテル」で

泊まろうと予定しています。

喜代司さんにとっても、いい思い出になるでしょう。。。」


残念ながら旅行ができるほどの体調ではありませんでした。

このことがマジで心残りです。

多佳子さんに電話で連絡するようなことがあれば、よろしく お伝えください。


_____________________
デンマン




『行田遠野物語』より
(2017年5月27日)


 



実に勝手な言い訳ですが、
これが偽らざる私の本音です。

人生は、マジで儚いものだと つくづく思うこのごろです。
だからこそ、自分の思い、気持ちというものをしっかりと持って生きてゆく、と言う事しかないでしょう!

多佳子さんも悔いが残らないように 自分の心に忠実に暮らしてください。
お互いに、30年、40年も生きられる人生ではありません。

今年の秋は、そういう意味からも多佳子さんのために うれしい“プレゼント”を用意したいと思います。
体調が悪いと この“プレゼント”は楽しめないと思いますので
くれぐれも体調を整えながら 元気で過ごしてください。

葬式の疲れを できるだけ早く取りさってください。
では、今年の秋に またお目にかかるのを楽しみにしています。

喜代司の葬式に出席していただいた事を 改めて感謝いたします。
正造さんも 心強く感じたでしょう。
本当にありがとうございました。

では。。。

 


(byebye.gif)

 






デンマンさんは、いつものように多佳子・叔母さんに長いメールを出したのですわねぇ~。。。


(kato3.gif)

そうです。。。 いつも長い記事を書いてますからね。。。 メールだけ短いものを出すわけにもゆかないでしょう。。。 (微笑)

。。。で、叔母さんからは どのようなご返事が返ってきたのですか?

次のように書いてよこしましたよ。


デンマンさんへ


(aunt201b.jpg)

 

お元気でしょうか?
通夜・葬送の儀 無事に済みました。

ところで、アナログ<--->デジタル どちらも伝達手段として使うのでしょうが、私は真の意味を論理的に知りません。
時計に例えるならば、私はアナログ派。
なんでも物質的なものは体で確かめたいタイプ。

多分、後々 その先々も PCに恋することはありません。
実際、PCの前に座るとき、決してときめきはありません。 恐怖でドキドキします。

本日 4月30日 (日曜日) 午前11時にデンマンさんのメールを拝読しました。
デンマンさんに また「宝の持ちぐされ」と揶揄されるかも知れませんが、メールのやり取りは 2015年の秋、デンマンさんが帰省時 私の家にフラッシュ・メモリーを忘れたときに「自遊空間」に居るデンマンさんへ、その件でメールして以来久しく使っていません。

なので、自分のアカウント名やパスワードを入力する時にはドキドキはさらに上昇。
どうぞ笑ってください。
そもそも私のPC使用の目的は、作文用原稿の升目を埋めるだけで十分なのです。

人は人にどれほどの真実を伝えられるかという事を考えたとき、メールを作動させるときは絶対、必要以外は使用しないと決めていました。
理由は二つ。

①下手である。

②追い立てられているような強迫観念に付きまとわれる(神経疾患だと思う)。

今日はメールで返事をと考えていたのですが、なにやら入力する箇所がいくつかあって、またとんでもなくグチャグチャになる可能性が見えるので郵便に変更しました。

 


(gal132.jpg)

 

まず喜代司君のご冥福を祈ります。
私はデンマンさんと全く同じ事を考えていた事柄があります。

いろいろな説があるようですが、死没して77日経過すると死者は神の世界に入る。
これは夫の実家である東京の洗足の菩提寺の住職の説法だった記憶があります。
それまでは東雲(しののめ)の光に照らされた朝霧のように、家や家人の周りを廻り、安穏であるように導いている。

私は正造さんから訃報を受けて、すぐに芳江さん(デンマン注:僕のお袋であり、多佳子の一番上の姉)の命日から指を折ったら80日。
まさに霊から仏へと渡り行く時で、芳江さんが神様となり、デンマンさんと正造さんの苦労するであろうことを慮(おもんばか)り、また喜代司君の病苦から救い、母親の懐に呼び寄せたと感じ取りました。
この事を正造さんに話したら、デンマンさんも同じよなことを言っていたそうですね。

棺の中の喜代司君は佐吉・お父さんにそっくりでした。
考えるに加藤家の脳力(能力)の高さは父方のゲノム(genom)だと確信しました。
母方、つまり、犬塚の私の実家の脳力は並です。

精進落としの会食の際に、喜代司君の小学校の担任の先生(広田先生)と隣の席になりました。
彼の逸話、特に体育への比類ない努力と、その成果を力説していました。
どちらの家庭でもそうですが、長男・長女は特別で、喜代司君も長男のデンマンさんの影に隠れてしまっていて、私などは初耳でした。

私の健康を心配してくださりありがとう。
年齢の域だからと一言で片付けてしまえばそれまでですが、知らせがあった後、私は無理は禁物と葬儀のみに出席と正造さんに伝えました。
「ところでデンマンさんは?」
「来ないそうです」

いったん電話を置いたものの、正造さん一人で喜代司君を葬送するこの状況は考えられず、一番近い私は行くきりないと悲しさに胸の詰まるのを押さえて通夜と葬儀に伺うことを伝えました。
この時、思わず言ってしまいました。
デンマンさんて しょうがないわねぇ~……!

通夜は三男の修と臨席。
長男は仕事の都合で出られませんでした。
翌日の葬儀には厚子さんが車で送ってくれました。

美智子は母親のつねちゃんの代わりに出席しました。
喜代司さんの従弟の敏文君(通夜は夫婦で)と恵次君も見えました。

私はお葬式の最後のお別れで棺にお花を埋飾する際、喜代司君の知らなかった一生懸命さを想い不覚にも涙を落としました。

芳江さんの場合、日本人の平均寿命を越えた大往生。

 


(tengoku02.jpg)

 

悲しみよりはむしろ祝典の儀と勝手にとらえ、
私自身を重ねてみて、とても真似ることができない長寿にむしろ羨ましさを感じたくらいでした。

このことを正造さんに話したら、母子である正造さんと姉妹である私とでは立場上感受性の違いがあるのでしょう。
正造さんが一瞬顔を曇らせたので失言だったなと思った次第です。
でも、これは私の本当の気持ちでした。

行田の家に戻ったとき、正造さんにお願いしました。
「立派な仏壇があるのだから、宗教に関係なく3人の位牌を一緒に安置して貰いたい」
正造さんも同じ気持ちでした。

我が家の2階にある自称書斎から、前方の勝願寺の森を見ると、緑が日毎に色濃く変化しています。

 


(woods01.jpg)

 

若者たちは“この素晴らしき世界”と歌のような心地でしょうが、気温20度から25度に慣れない気だるさも手伝って、芽吹きの季節をうっとうしく感じます。

デンマンさんの言う儚さ。
私も同じく儚む方向に磁石の針が強く動いています。

今、短編・中編と2本平行しています。
いつも同じ事を言っていますが、私の死没までに家族に伝わるような編み方が完了すればと深く念じている毎日です。

正造さんが最後のお別れに棺に向かって言っていました。
秋になったらデンマンさんと納骨しますから……

合掌。

 


(gassho2.jpg)

 

それではデンマンさん、体に気をつけて……。

健康は自己責任でいきましょう。

お互いにね……。

追伸: 最後の方は疲れたので支離滅裂のようです。 意味不明な箇所もあるようですが宜しく読解のほどを……。

 

かしこ

 


(aunt201.jpg)

 

2017年4月30日 九条多佳子

 




多佳子・叔母さんらしい手紙ですわァ~。。。 で、どういうわけで私信を公開しようと思ったのですかァ?



あのねぇ~、多佳子・叔母は、「私はデンマンさんと全く同じ事を考えていた事柄があります」と書いているけれど、似てはいるけれど、見方が対極なんだよねぇ~。。。

どういうことですか?

喜代司さんは高校生の頃 電車に飛び込み自殺をしようと試みたことがあったけれど、「俺が死んだらかあちゃんが悲しむだろうなァ~……」そう思って思いとどまったのです。。。 つまり、せめてお袋より先に逝く事だけは控えなければならないという思いがあったのですよ。。。

それで、お母さんが亡くなったので、その後を追うようにして お母さんのところへ逝ったというのですかァ~?

その通りです。。。 喜代司さんの気持ちが感じ取れる。。。 でもねぇ~、多佳子・叔母の考えは、あくまでも“母親の視点”なのですよ。。。 つまり、僕の母親の命日から指を折ったら80日。 母親が「霊から仏へと渡り行く時で、母親の霊が神様となり、デンマンさんと正造さんの苦労するであろうことを慮(おもんばか)り、また喜代司君の病苦から救い、母親の懐に呼び寄せた」というのです。。。

デンマンさんは、叔母さんの言うことが信じられないのですか?

あのねぇ~、僕は霊だとか、神様に成るだとか、そういうことは信じてないのです。。。 実は、喜代司さんのお骨は、まだ仏壇にあって、お墓の中には入ってないのですよ。。。

でも、喜代司さんの霊魂も、お母さんの霊魂とお父さんの霊魂も 一緒にお墓の中で 仲良く団欒しているのではありませんかァ?

真由美ちゃんは、そう思っているのですか?

そう信じてますわァ~。

真由美ちゃんは、意外に優しい心根を持っているんだねぇ~。。。

あらっ。。。 デンマンさんは私がドライで、心の冷たい女だと思っていたのですかァ?

そうではありません。。。 霊魂を信じているのがちょっとばかり意外でした。。。 最近のミーちゃん、ハーちゃんは、霊魂など信じてないでしょう! どちらかと言えば、僕のように墓は要らない、遺体は解剖実習のために医学部に献体して、あとは無縁仏として埋葬するか、海に散骨してくれればいいと考えているんじゃないのォ~?

現在の日本人で、デンマンさんのように そこまで割り切ってドライな考え方を持っている人は 極めて少ないと思いますわァ~。。。 でも、そういう考え方を持っているデンマンさんでも、今年の秋には喜代司さんのお骨をお墓に収めるのですか?

そうです。。。 お葬式に出ませんでしたからねぇ。。。 秋には、いつものように帰省しますから、気持ちですよ。。。 いくら、霊魂や神を信じていないとしても、実の弟がお骨になって仏壇の中で待っているのですからねぇ~。。。 僕の気持ちを、納骨する形で表すしかないでしょう!? 何もしないというのは、あまりにも情けないことですからねぇ~。。。

じゃあ、今年の秋は、私は日本へ帰れないと思いますので、私の分までよろしくお願いしますゥ。。。

そういうところは、最近のミーちゃん、ハーちゃんらしいですねぇ~。。。 (微笑)



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)



上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』



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行田物語 ピアノ

 

行田物語 ピアノ

 


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『実際のページ』


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デンマンさん。。。 今日はピアノのことでデンマンさんが行田で暮らしていた頃の思い出を語るのですかァ~?


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そうです。。。 真由美ちゃんは、なんだかつまらなそうな顔をしてますねぇ~。。。

別に、つまらないと思っているわけではありませんわァ~。。。 ただ、行田とは全く関係ないような映画のポスターが出ているでしょう。。。 デンマンさんのお話がまた長くなりそうなのでちょっと心配しているのです。

あのねぇ~、真由美ちゃん。。。 長くなるといっても、1時間以上はかかりませんよう。。。 おそらく、どんなにゆっくりと読んでも30分以内には読み終えますよ。。。

分かりました。。。 それで、どういうわけでアメリカの映画を持ち出してきたのですか?

僕は上の映画をバンクーバー図書館でDVDを借りて 今年(2017年)の3月29日に観たのです。。。 残念ながら日本語の『ウィキペディア』には出てないのです。。。 意訳すると大体次のような物語なのですよ。。。


The Homesman


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メアリー・カディーは31歳で元はニューヨークで小学校の先生をしていた。
ニューヨークの生活に飽き足らず、より良い可能性を求めて中西部にやって来たのだった。

当時、まだ州に昇格する前のネブラスカ準州のループという農民が集まった部落に落ち着いて活発にコミュニティ活動に勤(いそ)しんでいた。
一生懸命に働いてかなりのお金をため、広大の土地を所有するようになった。
でも、まだ31歳で独身だった。


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メアリーは気丈な女で独立心が強かったが、ときには孤独と憂鬱に悩まされた。
隣に住むボブ・ギーフェンは、彼女にとって申し分のない夫になるように見えた。

ある晩、彼女はボブを夕食に招いた。
食後、ピアノはないけれど、テーブルに紙製の鍵盤を広げて、ピアノを語り弾くようなつもりで彼のために歌を歌った。


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ロマンチックな気分に浸ろうと思ったからだ。
そして、歌が終わると、彼女はボブに結婚しようと言い出した。

ところが、彼女の期待に反して、ボブは彼女の申し出を断った。
「悪いけれど、僕の理想からすればキミは、あまりにも平凡で、亭主を尻にひくような気がするんだ」
ボブは、そう言うと嫁探しに東部へ旅立って行った。

過酷な冬の後、メアリーと同じ部落に住む3人の女性は、直面した苦難のために精神不安の兆候を見せ始めていた。
アラベラ・サウアズはジフテリアにより3人の子供を失った。

貧しい収穫が家族を飢えの危険にさらすため、テオリン・メルクナプは自分の子供を殺してしまった。
デンマークの移民であるグロウ・スヴェンドゥセンは家庭内暴力で夫に苦しめられており彼女の実の母の死後、精神に異常をきたした。


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牧師のダウドは、3名の夫の一人に3名の精神異常の女性たちを東へ向かわせ、精神病患者をケアしているアイオワ州のヘブロンの教会に連れてゆくように説得しようとした。
3名の夫たちは結局、くじ引きで決めようということになったけれど、男性の1人は、くじを引くことを拒否した。

それで、メアリーが彼の代わりにくじを引くことを申し入れた。
皮肉なことに、彼女がくじに当たってしまった。

メアリーが旅の準備をしている時、メアリーはジョージ・ブリッグスがリンチされるところに出会った。
ジョージはボブ・ギーフェンの留守の間に彼の土地を盗んで逃げようとしているところを捕まったのだ。
ジョージはメアリーに助けを求める。


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護送を一人ですることに不安を感じていた彼女は、監視をする者が誰も居ないのを幸いに、縄を解いてジョージを助けてやる。
その代償として3名の女性を護衛するように伝える。

しかし、ジョージはその仕事がうまくゆくようには思えなかったので、いつでも仕事を放棄する自由が欲しいと言い張った。
しかたなく、ジョージを護衛に縛り付けるために、彼女は「300ドルの大金を郵便で送った、アイオワ州のへブロンの教会に無事3人の精神異常の女たちを護送したら300ドルがジョージの手に入るように段取りがついている」ことを告げた。
ただしこのことはメリーとの間の秘密だと念を押した。


(homesman3.jpg)


(homesman7.jpg)

ある時、怪しいインディアンのグループに遭遇する。
下手をすると殺されるかもしれなかったが、ジョージの経験で、一頭の馬を彼らに賄賂として贈ることで命は助かった。

その後、アラベラが荒くれ者に誘拐されてしまう。
ジョージが追跡して、二人は格闘するのだが、危ういところで、アラベラが正気に戻ったように荒くれ者を銃で撃ち殺してしまう。

やがて、メアリーたちはインディアンによって荒らされた11歳の少女の墓に出くわす。
メアリーは墓を元通りにするように主張するが、ジョージは、そんな面倒なことには関わりたくないので先へ行ってしまう。

やがてメアリー1人で墓を元通りに直すと、彼女はジョージと女たちの後を追う。
ところが、道に迷ってしまい、ジョージたちにい追いつくつもりが、元の墓に戻ってしまう。

翌日、最終的に、ジョージたちに追いつくけれど、砂漠を放浪して散々な目に遭ったことで気持ちがめいり、ジョージに結婚しようと言い出す。
ジョージも、これまでの男のように、「俺は野良仕事をするのはいやだ。 300ドルが欲しいだけさ!」と口実を並べてメアリーの申し出を拒絶する。

その夜遅く、メアリーは裸になるとジョージに迫る。
迷ったがジョージはメアリーと体を一つにする。

ところが、翌朝、ジョージが目覚めると、首をつったメアリーが木からぶら下がっているのを発見するのだった。
ジョージは精神異常者の3人の女たちを「オマエ等のせいで、こういうことになったのだ!」と罵倒し、彼女の遺体を埋める。
その時になって、ジョージは彼女が300ドルを彼女の荷物の中に保っていたことを発見する。

それで、その金を持って、3人の女たちを置いて逃げ出してしまう。
ところが、女たちはそれを察してか、ジョージの後を追う。

アラベラは、川の中に入って溺れかけてしまう。
仕方なく、ジョージはアラベラを救い、アイオワ州に3人を連れてゆくことを決心する。


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その旅の途中で、アロイシウス・ダッフィーが所有するホテルに着くと、食べ物と宿泊を求める。
ホテルは明らかに空(あ)いているのだけれど、ホテルのオーナーは16人の投資家のグループがまもなく来る事になっていると言って、「オマエ達が泊まる部屋はない。 それに精神異常者は御免だ!」と言って断る。
大喧嘩が始まりそうになるけれど、仕方なく、ジョージはそのホテルを後にする。

だが、夜になってから馬に乗ってジョージはホテルにやってくる。
彼は若い料理人を逃がし、ホテルに火をつけて、オーナーの足を拳銃で打ち抜く。

そして、自分たちが食べる分の子豚の丸焼きを持ってホテルを出る。
ホテルの内部に居たオーナーと仲間の従業員たちは焼け死んでしまう。


(homesman4.jpg)


(homesman2.jpg)

やがてジョージはヘブロンに到着し、精神異常者の女性たちを教会の牧師の妻であるアルサ・カーターに託す。
ジョージは彼女にメアリーの死を知らせるが、真の原因は明かさなかった。
メアリーの結婚の申し出を拒否したことに後ろめたさを感じていたジョージは木製の大きな位牌に彼女の名を刻んで、それを墓にするつもりでいる。

ジョージは滞在中のホテルの働き者の裸足の若いメイドのタビタ・ハッチンソンに靴をプレゼントし、そして言った。“西部に行く若い男と結婚するくらいなら町に住んで俺と結婚したほうがましだよ。”
それに対して彼女は、“たぶん”と答えた。

その後、西部へ向かう川フェリーに乗り込んで、2人のミュージシャンと一緒に荒れ狂った歌を歌い始める。
“やめろ!”と言われると、西部にに行こうとしている桟橋の人々に向かって“オマエ等は悪魔の呪われた土地に行こうとしているのだぜ”と罵(ののし)った。

そして、また歌い始めた。
フェリーが出発すると、船頭の一人がメアリーの位牌を川の中に蹴り飛ばしてしまう。

【デンマン訳】

 


(homesman1.jpg)

   予告編



 全編 (2時間14分)






出典: 「The Homesman」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なんだか、すごいお話ですわねぇ~。。。



そうなのです。。。 映画を観た後で、憂鬱な気分がしばらく続きますよ。。。 うつ病の気(け)がある人は観ない方がいいかもしれない。。。

それで、このお話のどこが行田物語と関わってくるのですかァ~?

あのねぇ~、メアリーさんは、決して悪い女じゃない。。。 ボブがどうして結婚の申し出を断ったのか僕には理解できません。。。 彼女は働き者だから、彼女の夫は、怠け者だとしても裕福な生活が送れるかもしれないのですよ。。。 


(mary126.jpg)



映画の中のメアリーさんは決してブスではありません。。。



実際は、ブスだったとデンマンさんは考えているのですか?

いや。。。 そういうわけではありません。。。 あのねぇ~、メアリーさんが あんまりロマンチックな気分にしようと盛り上げてしまったので、ボブはひいてしまったのかもしれません。。。 ディナーの後で、本物のピアノはないけれど、テーブルに紙製の鍵盤を広げて、ピアノを語り弾くようなつもりでメアリーさんはボブのために歌を歌うのですよ。。。 


(piano01.jpg)



ここの所が僕に行田物語を思い出させたのです。。。



あらっ。。。 デンマンさんにも似たような経験があって、女性の家に夕食を呼ばれ、そこの娘さんが愛のセレナーデなんかをピアノで弾いて その後でデンマンさんにプロポーズしたのですかァ?


(piano76.jpg)





もし、この曲の後で、このピアニストが僕にプロポーズしたら、僕はたぶん結婚を承諾したと思いますよ。。。 (微笑)



つまり、そういうことはなかったのですかァ~?

もちろん、ありませんよ。。。 もし、そういうことがあったら、僕はカナダまでやって来ていなかったと思います。。。 日本で暮らしながら一流の松下電器産業(株)で三流の社員で一生を終えていたと思うのですよ。。。

じゃあ、メアリーさんのピアノ弾き語りで、デンマンさんは何を思い出したのですか?

あのねぇ~、僕がはまだお袋の背中に負ぶわれていた頃の話です。。。  たぶん2歳になるか?ならないか? とにかく、僕はお袋の背中に負ぶわれていたのですよ。。。


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まだ2歳にはなってないころでしょうねぇ~。。。 それで、どうしたのですかァ?



うちの親父は小学校の音楽の先生になったのです。。。 なぜなら、音楽で試験を受ける先生が極めて少なかったらしい。。。 僕の親父は小学校だけしか出ていないので、検定試験を独学で受けたのですよ。。。 音楽で試験を受けると合格し易かった、というような話を聞いた覚えがあるのです。。。

私は残念ながら、デンマンさんお父さんに お会いしたことがないのですわ。。。 写真だけでしか知りません。。。 一度でいいからお父さんが弾くピアノを聴きたかったものですわァ~。。。

ホームビデオがとってあるから、いつか真由美ちゃんに聴かせますよ。。。 僕の思い出話に戻るけど、お袋がお昼時になると弁当を作って僕を背中に負ぶって当時の行田中央小学校へ歩いてゆくのですよ。。。


忍町尋常高等小学校


(kousha01.jpg)

(このような校舎でした。 実物ではありません)

 

市庁舎、産業文化会館、体育館の北が、忍城東方の守りの内行田沼を埋め立てた地で、忍町尋常高等小学校が大正11年1月に竣工した。
だから昭和54年現在71歳の人が第1回卒業生で、20数歳の人が最後の入学生ということになるから、この忍町尋常高等小学校の大校舎を知っている人は市民に多いと思う。 (略)

教員数32名、児童数1,888名という小学校で、昭和12年星川村が合併を機に小学校が東西南北となり忍町南小学校になり、16年には忍町国民学校、22年また忍町南小学校となり、24年市制により行田市立南小学校、29年に南小学校が分離して行田市立中央小学校と名前も6回替り、現在に至っている。

玄関の前に軍艦の大砲があった。
郷土出身の小山与四郎大佐の口添えで、須加小学校と忍町小学校の2校が払い下げを受けたことを、知っている人は少なくない。

また昭和4年4月7日、今の体育館のところにロシア軍艦の11メートルの主砲で立派な表忠碑が立っていた事も、昔の語り草となってしまった。
児童数も昭和20年度には3,020人、新制中学で高等科がなくなっても、28年度は教員数67人、児童2,878人というマンモス小学校となった事も、当時の人には思い出深い事であろう。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




113-115ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社




オヤジは、この忍町尋常高等小学校を卒業すると、家が貧しいから旧制中学校に行けなくて、給仕になって独学で勉強しながら先生になる検定試験を受けたのです。。。



デンマンさんのお父さんは ピアノも独学で勉強したのですか?

たぶん、音楽の先生に教わったのでしょう。。。 詳しいことは聞いてないのです。。。 でも、音楽の先生に教わったとしても、初めだけで、後は独学だったのですよ。。。 だから、お袋が僕をオブって弁当を持って学校に行くと たいてい講堂に直行するのです。。。 すると、講堂の舞台の前にあるピアノで練習しているのです。。。

デンマンさんはお母さんお背中で、そんなお父さんの練習する姿を何度か見たのですか?


(piano88.png)



そうなのです。。。 で、夕方になって家に帰ってくるとメアリーさんじゃないけれど、座敷で畳の上に紙製の鍵盤を広げて、おさらいするように手を動かしながらピアノを弾くのです。。。 


(piano89.jpg)



もちろん、音は出ないし、歌も歌わなかったけれど。。。、あんなことをして練習になるのかと不思議な気持ちで見ていたことを 今でもはっきりと覚えてますよ。。。



その当時ピアノのある家というのは珍しかったのですか?

僕の知る限り、昭和の30年代に町内でピアノがある家は一軒もなかったですよ。。。 恐らく、行田市全体でもピアノがある家は 5軒もなかったでしょう!? よほどの金持ちで音楽愛好家でない限り、テレビは買っても ピアノなんかを買う時代ではなかったですからねぇ~。。。

畳の上に紙製の鍵盤を広げて、練習するなんて聞いたことも見たこともありませんわァ~。。。

そうでしょう。。。 僕だって、上の映画を観るまでは、一度も見たことがない。。。 ところで、この話には、まだ続きがあるのですよ。。。

どのような。。。?

僕は、まだ言葉がしゃべれなかった。。。 お袋から聞いた話です。。。 僕自身は忘れていたのだけれど、お袋が亡くなる2年か3年前に、僕に話してくれたのですよ。。。 2歳になる前でしょうねぇ~。。。 僕は割合 言葉を話すのは早かったらしい。。。 生後10ヶ月には、言葉を話し始めたと言うのです。。。 たまたま、雑誌か何かにピアノの絵がついているのを目にすると、僕が小さな手でピアノを弾く真似をするというのですよ。。。

つまり、まだ言葉がしべれるか、しゃべれないかの頃に、お父さんがピアノを弾いたことを覚えていて、ピアノの絵を見ると、手を動かして弾く真似をしたと言うのですか?

そうなのです。。。 するとお袋が「そうだよねぇ~。。。 そうやってお父ちゃんがピアノを弾いていたんだよねぇ~。。。」と、僕に話しかけるのだそうです。。。 すると、僕は調子に乗ってピアノを弾く真似を続けるというのです。。。

なんだか、ほほえましいですわねぇ~。。。 (モナリザの微笑)

ところで、この話には、まだ続きがあるのですよ。。。

まだ他にもあるのですかァ~。。。 どのような。。。?

すでに記事に書いたので、真由美ちゃんも読んでみてください。。。


ん? クラシックで片思い?


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そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。


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中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。



僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。

曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。

しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。

とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。


(piano2.jpg)

そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。

当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。


(breakup0.gif)

これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。

その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。

小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?

もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。
うへへへへ。。。。

ついさっき調べたら次のような事が分かりました。



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1856年作曲

乙女の祈り (La prière d'une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド


なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。

小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。

クラシックの“威力”なのでしょうか???

実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。
全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。

『ん? クラシック興味ある?』

Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。

(デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)



(gal06c.jpg)

初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)

乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=

 

by 藤守美愛 2006/06/14 03:45





『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)




あらっ。。。 ピアノの思い出で こんなことがあったのですかァ~?



そうなのですよ。。。

ちょっと信じられないような。。。 でも、私も いいお話だと思いますわァ。。。 つまり、小さな頃 デンマンさんのお父さんが講堂のグランドピアノで練習していたことが 無意識のうちに 上の思い出の種をまいたのでしょうねぇ~。。。

僕は、その頃 全くオヤジのピアノのことは忘れていたけれど、独学でピアノを習ったというのは 無意識のうちにオヤジと同じやり方をしたのでしょうねぇ~?

デンマンさんは、お父さんにピアノを教えて欲しいとは言わなかったのですかァ~?

言わなかったし、オヤジも僕にピアノを習えとも言わなかった。。。 教えようともしませんでしたよ。。。

なんだか、不思議な親子ですわねぇ~。。。


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上の映画を見て、メアリーがピアノを弾く真似をしながら歌うのを見て、とにかく、この思い出がよみがえってきたのですよ。。。



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんの母親は 僕の従妹です。。。

つまり、僕の母親は真由美ちゃんにとって大伯母にあたります。


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僕の母親が亡くなる2年ほど前に真由美ちゃんと一緒に撮った写真です。

ところで、真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

忙しい時間を割いて、真由美ちゃんも僕の母親の葬式には参列してくれました。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)



上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『サンタ マユミちゃん』

『お汁粉@海外』

『お汁粉@カナダ』

『支払いでトラブル』

『風邪で甘えてる場合じゃねぇ~!』

『バレンタインのお菓子』

『結婚、仕事、人生』

『命の力だね』

『英語と真由美ちゃん』

『海外に目を向ける』

『カーネギーホールじゃないよ』

『やる気があれば道は開ける』

『ニャンニャンと人生』


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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(juneswim.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』

『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』



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黒い行田市長

 

黒い行田市長

 


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デンマンさん。。。 “黒い行田市長”なんてぇタイトルを掲(かか)げたら誹謗・中傷で訴えられかも知れませんわよォ~。。。


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もし、そのくらいでムカついて僕を訴えるようなら、行田市長は人間的に見てうすっぺらな人物ですよ。。。

“黒い行田市長”とタイトルを書いて記事を書くデンマンさんこそ、薄っぺらな人間だと思われてしまいますわァ~。。。

あのねぇ~、僕は別に行田市の工藤正司市長が“黒い市長”だとは思ってないのですよ。。。

それなのに、どういうわけで“黒い行田市長”とタイトルを書いたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。


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『拡大する』

『行田の黒い霧と工藤市長』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で1月30日の午後9時39分から31日の午前3時42分までの約6時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。



あらっ。。。 1月30日の午後9時54分にアメブロのテーマのページからやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。


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『拡大する』

『行田市長@夢の対談』




工藤正司・行田市長批判のテーマのページのトップに出てきた『行田市長@夢の対談』を読み、その記事の中に出てきた「徒然ブログ」の『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだわけですよ。。。



それで“行田の黒い霧と工藤市長”を簡潔に短くしようと思って“黒い行田市長”というタイトルにしたのですか?

そうです。。。 いけませんか?

でも。。。、行田市長の工藤さんが“黒い行田市長”というタイトルを見たら、いい気持ちはしないと思いますわ。。。

しないでしょうねぇ~。。。

デンマンさんもそう思うのだったら、“明るい行田市長”というタイトルにすればよかったじゃありませんか!

でもねぇ~、新宿に住んでいる浅岡夢雄君がアメブロのテーマのページから わざわざライブドアの「徒然ブログ」までやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだのですよ。。。 だから、“行田の黒い霧と工藤市長”を短くして“黒い行田市長”というタイトルにしたわけですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どのようにして新宿に住んでいる浅岡夢雄君が読んだと突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。


(ip172145b.png)

『拡大する』



何度も言うようですけれど、IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前まではゲットできないようになっているのですわァ~。



僕も、その程度のことならば常識として知っていますよ。。。 実は、浅岡君は、工藤正司・行田市長のことが書いてある記事をたくさん読んだのですよ。。。 それで、どうも横田市長の自殺と関係あるのではないか? そう思って僕にメールを書いて寄こしたのです。。。

それでIPアドレスを確認したのですか?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、どうして1月30日の記録を持ち出したのですか? もっと新しい記録があるでしょう?

もちろんですよ。。。 次のリストも見てください。


(liv70530a.png)


『拡大する』

『行田の黒い霧と工藤市長』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月29日の午前5時4分から午後3時46分までの約10時間半の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。 5月29日の朝ご飯を食べる前の午前6時59分にビッグロブの検索エンジンの検索結果からやって来て『行田の黒い霧と工藤市長』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 埼玉県の草加市に住んでいる黒田 霧男(くろだ きりお)君が読んだのです。。。

デンマンさんは、またIPアドレスを調べたのですか?

そうです。。。 いけませんか?


(ip2285b.png)

『拡大する』



上の赤枠の中には“さいたま市”と書いてありますね。。。



でもねぇ~、ホスト名を見てください。。。 souka.saitama と書いてあるのですよ。。。 つまり、黒田君は草加市からアクセスしているのです。。。

。。。で、黒田君も、工藤正司・行田市長のことが書いてある記事をたくさん読んだのですか?

その通りです。。。 それで、やっぱり横田市長の自殺と工藤市長が関係していたのではないか? そう思って僕にメールを書いて寄こしたのですよ。。。

マジで。。。?

小百合さんは僕の言葉を信用しないのですか?

分かりました。。。 議論すると、この記事が長くなりますから、一応デンマンさんの言うことを素直に受け取りますわァ。。。 要するに、浅岡夢雄君と黒田霧男君が『行田の黒い霧と工藤市長』を読んで デンマンさんにメールを書いたので、今日の記事に工藤市長を取り上げたわけですか?

その通りですよ。。。 記事を読んで、僕にわざわざメールを書いてくれたのですからね。。。 無視するわけにはゆかないでしょう。。。 

でも、横田市長はもう亡くなってしまったのですから、いつまでも重箱の隅を突っつくようにして工藤市長を取り上げるのは建設的な議論とは言えないのではありませんかァ~?

もちろん、僕は横田市長の自殺に拘(こだわ)っているわけではありません。。。 でもねぇ~、僕以外のネット市民が、けっこう拘っているようなのです。。。 だから、『行田の黒い霧と工藤市長』が読まれているわけですよ。。。

でも、横田市長が自殺した後の2007(平成19)年4月22日の市長選挙で工藤正司さんが市長に初当選して、その後2011(平成23)年の選挙でも、2015(平成27)年の選挙でも無投票で当選しているのでしょう?!

あれっ。。。 小百合さんは、そんな事までよく知ってますねぇ~。。。

デンマンさんの記事を読みましたから。。。

僕は、そんな事まで書いていたかなあああァ~。。。?

とにかく、無投票で3選を果たしたということは、それだけ行田市民の支持を受けているという証拠ではありませんかァ~?

でもねぇ~、初当選した時の工藤さんの投票獲得率は36.6%なのですよ。。。 有権者にして 16,608人が工藤さんに投票しただけです。。。 2011年現在で 行田市の有権者集は  70,094人なのです。。。 つまり、 有権者 70,094人の内、工藤さんを支持したのは 16,608人だけです。。。 要するに、有権者の たったの 24%なのです。。。 工藤さんを支持していない行田市の有権者が 76%も居るということです。

でも、無投票で3選を果たしたということは工藤さんを支持している人が多いということですわ。。。 もし、悪政を布(し)いていたら、当然 行田市民が立ち上がって、より良い人物を次の市長に担ぎ上げて選挙運動をすると思いますわァ。。。

僕は、行田市民が半ばが諦めていると思うのですよ。。。

どういうことですか?

あのねぇ~、行田市の中心地、本町通りは、かつての賑わいから比べると、シャッター通りになりつつある。。。 少なくとも、僕が行田に帰省すると、寂れてゆく印象を受けるのですよ。。。 でもねぇ~、行田市だけじゃなくて、地方の町の多くが、かつて賑わっていた商店街がシャッター通りになることが珍しくないから、行田市民も特に不満を感じなくなったのですよ。。。 さらに、日本全国的に言えることだけれど、政治に関心のある人が少なくなっている!。。。 それに、夢を持ってルンルン気分で生きようと思う人も少なくなっている。。。 僕は、行田市の市民に夢を持ってもらおうと次のような記事を書いたことがある。。。


人口急減社会への警鐘


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日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。

このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている。

(1-2ページ)

日本全国で若年女性人口が減少していることが、将来にわたる人口減少の原因となっている。

そのようななか、全体の流れと反対に若年女性が増える、もしくは減少がゆるやかな市区町村がある。 (略)

これを見ると、次の6つのモデルに分類することができる。

(125-126ページ)

 

地域が活きる6モデル

産業誘致型

工場や大規模商業施設などを誘致することにより、財政基盤の安定化を図り、住環境整備を進め、人口流入を実現させているモデルを産業誘致型と呼ぶ。

ベッドタウン型

大都市や中核都市の近郊に位置することを活かして、住環境整備を重点的に進め、定住人口を増加させているのがベッドタウン型である。

学園都市型

大学や高等専門学校、公設・私設研究機関を集積させることにより、若年人口の継続的な流入を実現し、ローカル経済を持続させているモデルが学園都市型である。

コンパクトシティ型

将来の人口減少を見据えて、従来の街の機能を中心地に集約することで、ローカル経済圏としての効率化を目指しているモデルをコンパクトシティ型と呼ぶ。

公共財主導型

国家プロジェクト規模の大規模施設の立地を契機として、地域のあり方を作り変え、財政基盤を安定させることで、人口減少を防ぐモデルが公共財主導型である。

産業開発型

地域の特徴ある資源を活かした産業振興を実現し、雇用の拡大や住民の定着を実現しているモデルが産業開発型である。

(126-133ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『地方消滅』
著者・編者: 増田寛也
2014年10月15日 第8刷発行
発行所: 中央公論新社


 




つまり、上の本の著者と、その研究者仲間の調査に従うと、工藤さんの行田市政では、行田市の未来はないという結論なのですよ。



それで未来のある行田市にするために、デンマンさんはどのようなビジョンを持って臨まれるのですか?

ちょっと次のバンクーバー市立図書館のカタログページを見てください。


(lib60411a.png)

『拡大する』

『実際のカタログページ』



僕は2016年の1月6日に、たまたまバンクーバー市立図書館で“Extreme Engineering”というDVDを借りてドキュメンタリーを見たのですよ。。。 感動してコメントも書き込みました。。。 赤枠が僕が書いたコメントです。。。 ドキュメンタリーの中で“スカイシティー1000”が紹介されていたのです。


スカイシティー1000


(skycity1.gif)

スカイシティー1000とは、竹中工務店によって1989年に構想されたハイパービルディング。

居住施設や商業施設、娯楽施設、公園などを建物内に集約し、建物内だけで生活できるような空中都市の実現をめざす。

高さ1,000m、床面積 800haで、36,000人が居住し、100,000人が就業できる。

計画内容

高さ56mの正六角形型の凹型の段層(空中台地)を14段に重ね、下の段層を大きく、上の段層を小さくすることで全体として側面が緩やかなカーブを描くようにし、また各段層の間に隙間を設けることで、強風の影響を受けにくくする。

段層の凹んだ部分には広場を作り、それを取り囲むようなスペースを居住用などに使う。

このスペースには何箇所か隙間(スーパーカラム)を設け、火事が起きた際に被害を受ける部分を最小限にする。

高速のエレベーターやモノレールを走らせ、建物内の移動手段とする。


(skycity2.jpg)






出典: 「スカイシティー1000」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、行田市の中心のシャッター商店街を “行田スカイシティー2040”に甦(よみがえ)らせるのですよ。



デンマンさん。。。 そのような夢みたいな事を言わないでください。。。 市政は デンマンさんが思っているように簡単にゆくわけではないのですよ。

あのねぇ~、工藤さん。。。、 あなたには、そのようなビジョンも、国際的な視野も、本心から行田市の未来に向かって再生を図ろうという意欲も、残念ながらないのですよ。。。 それが上のリストの -57.8% (人口減少) に表れているのです。。。 つまり、行田市を背負ってたつ若者が行田から離れている!。。。 未来に向けてのビジョンを持たない工藤さんのような人が行田市長として長くとどまっているから、こういうことになるのですよ。

つまり、デンマンさんが行田市長になった暁(あかつき)には マジで“行田スカイシティー2040”が行田市に聳(そび)えるのですか?

そういうことです。

でもねぇ~、デンマンさん、それは“言うは易し行うは難し!”ですよ。。。

工藤さんにできないのならば、潔(いさぎよ)く市長を辞めて、僕にその席を譲ったらどうですか?




『行田市長@夢の対談』より
(2016年4月13日)




でもねぇ~、若いミーちゃん、ハーちゃんばかりでなく、40代のおっさんまでが、政治には興味がなくて 10代のアイドルに夢中になっているというニュースがバンクーバーのタウン情報誌にまで載るようになってしまった。



マジで。。。?

ちょっと次の記事を読んでみて下さい。。。

 


(doxaidol01.png)

『40代のおっさんが10代アイドルにハマル』

 



つまり、どういう事かと言うと、国政に対しても、県政に対しても、市政に対しても住民が無気力になっているのですよ。。。



でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見だと思いますわァ~。。。

僕は、そう思いませんねぇ~。。。 これまでに僕が言った事をよくよく考えてみれば、そうとしか考えられないじゃありませんかァ~!



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたは どう思いますかァ~?

行田市の住民が、市政に対して関心がなくなり、それで工藤市長が無投票で3選を果たしたと思いますかァ~?

ええっ。。 あなたも市政だとか、県政だとか、国政だとかには興味がないのでござ~ますかァ?

それってぇ、良くないと思いますわよゥ。。。

市民の一人一人が良識を持って市政、県政、国政を見守るべきですわァ。。。

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいから、何か面白い事を話せとおっしゃるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわ。。。 あたくしが余計な事を言ったので

あなたは、いやな気分になったのでしょうから、

気分直しに、あなたの気分爽快になるように次の曲を聴いてくださいまし。。。


(whitecliff.jpg)



いかがでしたかァ~。。。?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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