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行田市長@黒い霧


 

行田市長@黒い霧

 



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デンマンさん。。。 どうして急に行田市長を取り上げるのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

あのねぇ~、それを説明するには、まず次のリストを見て欲しいのですよ。

 


(liv90314d.png)


『行田の黒い霧をはらう』

『行田の黒い霧と工藤市長』


 



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から14日までの2週間の「人気記事リスト」なのですよ。 赤枠で囲んだ 3番と7番に注目してください。



あらっ。。。 『行田の黒い霧をはらう』が 3位。。。 『行田の黒い霧と工藤市長』が7位にランクされているのですわねぇ~。。。

そうです。。。

でも、どちらもトップではありませんわァ~。。。

比較のために次のリストも見てほしいのですよ。。。。

 


(liv80630d.png)

 



これは去年の6月の30日間の「人気記事リスト」です。



この時は 『行田の黒い霧をはらう』が 14位。。。 『行田の黒い霧と工藤市長』が16位にランクされていたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 2つの記事とも今年の3月に入って急に人気順位を上げたのですよ。。。

それで、どういうわけだろうと思って行田市長を取り上げたのですか?

そういうことです。。。 ちなみに「行田市長」といれて検索した結果を見てください。。。

 


(gog90315a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『工藤正司・行田市長批判』


 



あらっ。。。 アメブロで立ち上げたデンマンさんのブログの『工藤正司・行田市長批判』のテーマのページがトップから5番目に出てくるのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。 当然のことだけれど、アメブロの僕のブログの人気記事リストを見ると次のような結果になっているのですよ。。。

 


(ame90313d.png)


『拡大する』

『黒い行田市長』

『現実主義者 馬鹿の見本』


 



あらっ。。。 『黒い行田市長』がトップで出てくるのですわねぇ~。。。 そして、このリストにも あの馬鹿が顔を出すのですわねぇ~。。。

 


(fool911.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 



この“馬鹿の見本”はマジで有名になってしまったのですよ。。。 だから、どこにでも顔を出します。。。




(smilerol.gif)

 

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

心から尊敬している卑弥子さんに

紹介されて、とってもうれしいです!

それに、40過ぎても 結婚できない

オイラのために デンマンさんが

オイラの事で記事をたくさん

書いてくれました。

 

このぶんだと、読者の中から、

オイラにプロポーズしたい女性が

現れると思います。

オイラはウハウハしながら

男性ホルモンを全開しているのです。

きゃははははは。。。

 

こうなったら、もう無条件に

スキップして喜びたいですゥ!


(smilejp.gif)

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

ああァ~、うれしいなあああァ~。。。


 



オイ!。。。 オイ!。。。 オイ! 。。。 何を血迷ってるんだよう! 今日はオマエの出番じゃないだろう!?

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺
(masuo01e.png)

でも。。。、でも。。。、卑弥子さんが紹介してくれたのです。。。 出てきてはいけませんでしたか?

卑弥子さんは、オマエを紹介したと言うより オマエがどのブログにも上位で「人気記事リスト」に顔を出しているので呆れているのだよう!。。。 そのうち、またオマエの事で記事を書くから、今日は黙って消えて欲しいのだよ!

分かりました。。。 失礼いたしました!

 


(yesman.gif)

 



あの馬鹿が素直に謝って帰ってゆきましたよ!



。。。で、どういうわけで行田市長が急に人気が出てきたのでござ~ますか?

次の検索結果の緑の枠で囲んだ6番目を見てください。

 


(gog90315a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『工藤正司・行田市長批判』


 



あらっ。。。 行田市長の工藤正司氏が平成31年4月で任期満了になるので、さらに4期目を狙って出馬するのですわねぇ~。。。



そういうことなのですよ。。。 だから、行田市民ばかりではなく、かつて行田市に住んでいたネット市民までがこの選挙に関心を示しているのです。。。

マジで。。。?

たとえば次のリストを見てください。。。

 


(liv90317a3.png)


『拡大する』

『行田の黒い霧をはらう』


 



GOOGLEで検索して『行田の黒い霧を払う』を読んだのは香川県高松市に住んでいる高田新次郎さんなのです。。。



またIPアドレスを調べて高田さんが読んだことを突き止めたのでござ~ますか?

そうです。。。

 


(ip17947b.png)

 



高田さん以外にも他県に住んで行田市長選挙が気になっている人が居るのですか?



います。。。 次のリストを見てください。。。

 


(liv90317a4.png)


『拡大する』

『行田の黒い霧をはらう』


 



同じくGOOGLEで検索して『行田の黒い霧を払う』を読んだのは福岡市に住んでいる福田一郎さんなのです。。。

 


(ip23264b.png)

 



。。。で、上の二人は、どのように検索して『行田の黒い霧をはらう』を読んだのですか?



次のように検索したのですよ。。。

 


(gog90317a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あらっ。。。 「行田 黒い霧」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、デンマンさんは、わざわざこの記事を書いて何が言いたいのですか?

上の検索結果の緑の枠で囲んだリンクをクリックして欲しいのですよ!

 


(twi90317a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

『行田の黒い霧と工藤市長』


 



。。。で、もし興味があったら、青枠で囲んだリンクもクリックして読んで欲しい。

 


(hat90317a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

『行田の黒い霧をはらう』




デンマンさんは工藤市長が4期目を目指すことに反対なのですか?



当たり前でしょう! アメリカの大統領だって2期目で終わりにするのですよ。。。 つまり、4期目を目指すということは、これまでの3期で十分な仕事をやってこなかった証拠なのです。。。 十分な仕事をやっていたら、全力投球で疲れきって4期目を目指すはずがない! 後輩たちに道を譲るべきなのです。。。

でも、工藤さんは市長として まともな事をやっているのでしょう?

いや。。。 僕は毎年 行田市に帰省しているけれど、シャッター街は以前のままだし 行田市政が10年前よりよくなっているとは思えない。。。 人気取りだけの政策を実行しているだけですよう。。。 若いやる気のあるビジョンを持った候補者が ぜひ出てきて欲しいですよ。。。

つまり、工藤さんは権力に未練があって、まだ甘い汁が吸いたくて市長の椅子に執着していると言うことですか?

そういうことですよ。。。



(foolw.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも、そう思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように わたしに命令なさるのですか?

分かりましたわ。。。

じゃあ、あなたのために可愛らしいクリップを貼り出します。

可愛い動物たちのアクビを見て 楽しんでください。。。


(yawnpup.jpg)



あなたもつられてアクビをしましたか?

では、おやすみなさい。。。

またねぇ~。。。


(byebye.gif)


メチャ面白い、

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行田物語 アカギレ

 

行田物語 アカギレ

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで“アカギレ”を取り上げるのですか?


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真由美ちゃんは手にアカギレができたことある?

ありませんわァ~。。。

じゃあ、見たことある?

いいえ。。。 アカギレがどういうものかは知ってますけれど、実物を見たとこはありません。。。


しもやけ あかぎれ

 

しもやけ(霜焼け、英: Chilblain)とは、身体の一部が冷えたために、膨れて硬くなったり、その部分が痒くなったり熱くなるような感覚を覚える現象である。
しもばれ(霜腫れ)、しもくち(霜朽ち)、凍瘡、ゆきやけ(雪焼け、日本海側各地の方言)とも言う。

霜焼けは、寒さのために血行が悪くなり生じる炎症であり、手足など血管が細い四肢末端に発症しやすい。
また、肌が外気に露出している頬や鼻先や耳たぶも霜焼けになりやすい部位である。

よく「ジンジン」と形容される感覚を起こしやすく、むず痒い、痛い、熱いなどと表現されることもある。
指に発症した場合は、患部が硬く膨れ上がる場合もある。
患部を暖めると疼痛や痒みが強く感じられる事が多い。
童謡『たきび』にも歌われている、冬の季節病である。

霜焼けの状態で肌が乾燥すると、皮膚の角質層の厚い部分に亀裂が生じ、内部が赤く見えたり出血したりする。
これをひび、また程度の甚だしいものを皸(あかぎれ)と呼ぶ。


(akagire3.jpg)

 

治療法

治療法には、40℃位のお湯と5℃位の冷水に患部を交互に付ける(必ず、水よりお湯につける時間は長くし、お湯から始めてお湯で終わるように)方法や、患部を温めながらマッサージする方法(ただし余り強い力でマッサージすると患部付近の毛細血管が破裂し、症状が一段と酷くなる場合がある)、トコフェロール(ビタミンE)を服用する方法などがある。

初期の軽いものなら、レタスなどのビタミンEを多く含む食品を食べることにより、1週間程で治ることもある。

ジルチアゼムやニフェジピンなどの血管拡張薬が使用される。

しもやけで肌が乾燥した状態(アカギレ)の症状には、保湿効果のあるワセリンなどの軟膏剤をラップフィルムに塗り患部に当てる湿潤療法などがある。

dl-カンフル、メントール、ベンジルアルコールやユーカリ油(Eucalyptus oil)が配合された塗り薬(例えばメンターム、メンソレータムなど)が、しもやけクリームとして使用される。




出典: 「しもやけ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




最近では、電化製品が増えて、炊事でも簡単にご飯が炊けるし、昔のように、冷たい水に手を浸して米を研いだり、冷たい水を使って雑巾(ぞうきん)がけをすることなんて無くなったから、アカギレができることなんてまずないだろうねぇ~。。。



雑巾(ぞうきん)がけってぇ、どういうことですか?

あのねぇ~、昔は小学校などでも生徒が掃除をしたのですよ。。。 バケツに水を汲んでその中に雑巾を浸して床を拭くのですよ。。。 冬などは冷たい水の中に手を突っ込むのだから、大変ですよ。。。

私が子供の頃はそういう経験はありませんでしたわァ。。。

だろうねぇ~。。。 最近は水道をひねれば温かいお湯がでるからねぇ~。。。 僕も、最近ではアカギレができてる人の手を見たことがないですよ。。。 でも、僕が子供の頃は珍しくはなかった。。。 たまたまバンクーバー市立図書館で借りている本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


農家の嫁の手

 


(akagire2.jpg)

 

1963(昭和38)年に撮影した21歳になる「農家の嫁」の手。

手に刻まれたひび割れは家庭内および田畑での作業の厳しさを物語る。

この写真は、20世紀初頭から1950年代末にいたるまで、農村社会と農業技術に大きな変化がなかったことを証言している。

農村社会で日々の作業のルーティーンが大きく変わるのは高度成長の成果が農村にまで行きわたり、農作業の機械化が進むようになる1960年代以降のことだった。

 


(akagire5.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




547ページ 『日本の200年』 新版 下
徳川時代から現代まで
著者: アンドルー・ゴードン
訳者: 森谷文昭
2013年4月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 みすず書房




真由美ちゃんが子供の頃は、日本が経済大国になって、テレビ、冷蔵庫、電気洗濯機はもうどの家にもあったでしょう! テーブルで椅子に座って家族と一緒にご飯を食べていたのですよ。。。 でしょう?



そうですわァ。。。


(diningrm2.jpg)



こんな感じでご飯をいただいていました。。。



僕が子供の頃は、まだ畳に座って“ちゃぶ台”でご飯を食べてたのですよ。。。


(table95.jpg)



マジで上のようにして畳に座ってご飯をいただいていたのですか?



そうです。。。 たとえば、あの話題になった昭和30年代の頃を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中にも“ちゃぶ台”がでてきますよ。。。


(always02.jpg)





この映画は1964年の話です。。。 つまり、昭和39年の頃の話です。。。 要するに、上の1963(昭和38)年に撮影した21歳になる「農家の嫁」の手というのは、この頃には、それほど珍しいことではなかった。。。


(akagire2.jpg)



でも、この写真はちょっと痛々しすぎるよねぇ~。。。



21歳でこんな手をしているなんて、考えられませんわァ~。。。

ネットで上の写真の出所を調べたら次のように書いてありましたよ。。。


『秩父三十年 南良和写真集』の5ページの井出孫六の文章より

撮影年月は1963(昭和38)年5月、撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町三田川であることがわかった。


(ogano01.jpg)

井出孫六の文章に「秩父盆地は、荒川によって東西に二分され、

西に広がる山間の村々は西谷(にしやつ)とよばれているが、

その西谷(にしやつ)の奥、三田川(みたがわ)の耕地に泊りがけでボランティアにおもむいたとき、

写真家南良和にとって忘れることのできない被写体に遭遇することになる。

いまからちょうど30年前の1963年5月、写真家南良和の遭遇したその被写体を、

読者は本書の図55、56において目にすることができるが、

「21歳の嫁の手」は、それから4年後の1967年、第4回太陽賞に浴するとともに、(後略)」という記述あり。




『レファレンス事例詳細』より




昭和38年5月に写真家の南良和さんが埼玉県秩父郡小鹿野町三田川の農家で撮ったのですよ。。。 この頃は電化製品はほとんどなかった。。。 もちろん温かいお湯が出る水道なんてない! 冬には冷たい水で米を研ぎ、大根なども冷たい水で荒い、食事が終わってからも、農家の嫁は休む暇もなく、食器を洗ったり、水仕事が絶えない。。。 それでアカギレが手にいっぱいできてしまうわけですよ。。。



デンマンさんも子供の頃にアカギレができたことがあるのですか?

いや。。。 しもやけができたことはあるけれど、アカギレができたことはありません。。。

それなのに、どういうわけで“行田物語 アカギレ”というタイトルにしたのですか?

僕の母親の手にアカギレがたくさんできたのですよ。。。 それを子供の頃、見たとき痛みが伝わってきましたよ。。。

でも、デンマンさん自身はアカギレができたことがないのに、どうして痛みが解るのですかァ~?

それは、解りますよ。。。 竹細工(たけざいく)をしていて小刀で指を切ったりしたことがあるから。。。


(akagire3.jpg)



こういう傷を僕も何度か指に受けたことがあるから、お袋のアカギレを見て痛いだろうなァ~、と痛みを共感しましたよ。。。 しかも、当時はその傷に七輪(しちりん)の練炭(れんたん)の火であぶって溶かした「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるのですよ。。。


(akagire4.jpg)


(7rin01.jpg)



熱いでしょうにィ~。。。



そうですよ。。。 このチョコレートのように固まったものを練炭の火であぶって溶かすのですからねぇ~。。。 とろっと溶けたモノは熱くないはずがない。。。 それをアカギレの傷の中にたらしてヒビを埋めるのです。。。 子供心に“拷問”のようだと思いましたよ。。。

。。。で、デンマンさんのお母さんは しばらく水仕事を休むのですか?

もちろん、休むわけにはゆきません。。。 それが嫁の仕事なんだから。。。 ヒビを埋めなけらば、冷たい水が傷にしみて痛みが増すけれど、「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるので、冷たい水に手を入れても 多少は痛みが軽減されるのでしょう。。。 毎日の炊事を休むわけにはゆかないので、そうやって痛みを少しでも軽減しながら、つらい水仕事を続けるのですよ。。。

たいへんですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 僕の母親は町に嫁(とつ)いだから、まだいいほうですよ。。。 農家の嫁さんは、町の嫁よりも水仕事が多いから、上の写真のようなアカギレができてしまうのですよ。。。 


(akagire2.jpg)



こうなってしまったら、「あかぎれ膏(こう)」で傷を埋めるのも面倒くさくなるから、もう処置なしでしょうねぇ~。。。 だから、上の写真は審査員の共感を呼んで、「21歳の嫁の手」は、それから4年後の1967年、第4回太陽賞を受賞したと僕は思うのですよ。



デンマンさんのお母さんの世代の女性は、誰もがアカギレで痛い思いをしたのですか?

あのねぇ~、女中さんを雇えるような裕福な家の主婦以外は、誰もがアカギレに悩まされたと思いますよ。。。 でも、その当時はアカギレは別に珍しいことじゃないし、嫁さんたちはたいていアカギレができていたから、みな我慢して水仕事にいそしんでいたのですよ。。。 それに当時の農家は、藁葺(わらぶ)き屋根の家でしたからねぇ。。。 何もかもが不便で旧式だった。。。


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真由美ちゃんのお母さんは僕の従妹だけれど、彼女が子供の頃住んでいた実家のある南河原村では、当時、まだ箱膳を前にして食事している家も多かったのですよ。。。



南河原村という村は行田市に統合されたのでしょう?

そうです。。。 2006年1月1日に行田市に編入されたのです。。。

 


(gyodamp3.png)

『拡大する』

 



デンマンさんも 旧南河原村にあった私の母の実家で箱善で ご飯を食べたことがあったのですか?



そうです。。。 僕は4歳か5歳だったけれど、母親が田植えの手伝いかなんかで僕を連れて実家に行ったのです。。。 その時 一緒に箱膳の銘々膳(めいめいぜん)で朝ごはんを食べたことをはっきりと覚えてますよ。。。


銘々膳からちゃぶ台へ

日本女子大学・北陸大学非常勤講師 東四柳祥子

 

「一家団欒」の象徴とされるちゃぶ台は近世までの銘々膳(めいめいぜん)による配膳形式とは異なり、空間を共有するもの同士が囲む四本脚の共同膳である。
日本における共同膳の歴史は、奈良・平安時代の貴族たちに享受されていた「大饗料理」になかのぼることができる。

その後、武家社会における師従関係の成立により、身分に基づき整列することで、銘々膳によって食事をする形式が定着を見せた。
そして江戸時代を迎え、鎖国化でも交流が許された中国から一つのテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を分かち合う「卓袱(しっぽく)料理」が出島に伝来する。
まさにこの形式こそが、ちゃぶ台のルーツともされ、やがては都市部での酒宴形式として人気を誇るようになる。

しかし、根強い儒教的観念に縛られた日常生活の中では、家長を中心に、銘々膳での食事形式が従来どおり踏襲され、しつけの場の重要な空間としての意味も持ち合わせていた。


(table93.jpg)

しかし、幕末の開国以後、流入した西洋文化の影響は、家族の食事風景を大きく変えることになる。
新たに導入された西洋料理は、中国料理同様、テーブルを囲むといった食事形式を呈しており、共同膳で食事をする習慣が上流階級の間から徐々に定着をみせた。 (略)

やがて昭和期になると、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などといった国民的な漫画のなかで、ちゃぶ台は家族をつなぐ大切な装置として描かれ、その空間で共有される話題や珍事が、微笑ましい家族関係の理想形を印象づける効果を発揮し始めるようになる。

しかし、昨今の食の課題には、個食や孤食、外食や中食(なかしょく)にたよるといった食の外部化・簡略化への依存などがあり、家族仲良くちゃぶ台を囲むという機会の形骸化も拭えない事実である。
いま私たちは、昭和期を通して形成された家族で共有する時間のあたたかさを、再認識する時代に来ているといえるのではなかろうか。
ちゃぶ台が、人間関係の構築・再生の場であった昭和の風景に学び、守るべき遺産であるという意識も高めていきたいものである。


(table90.jpg)

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




139ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『カウチポテト』にも掲載
(2013年1月9日)




あらっ。。。 銘々膳というのは、ずいぶん古くから、デンマンさんの子供時代まであったのですわねぇ~。。。 でも、私が覚えている母の実家は、藁屋根の家ではなくて、新しく立て替えた新しい瓦屋根の家でしたわァ~。。。 それに、テーブルを囲んで椅子に座ってご飯をいただいてました。。。



そうです。。。 そうです。。。 その頃は昭和40年代を迎えて日本は経済大国になり、竈(かまど)は電気炊飯器になり、川で洗濯していたのが、電気洗濯機で洗濯するようになり、何もかもが電化されて生活が楽になった頃ですよ。。。 つまり、アカギレは昔の話になったのですよ。。。 要するに、僕と真由美ちゃんでは 子供の頃を送った時代が違うんだよねぇ~。。。



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)



上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 



If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





(santa85b.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


(utsunomiya10.jpg)

『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


(biker302.jpg)

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


(mayumi76.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

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行田物語 饅頭

 

行田物語 饅頭

 


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デンマンさん。。。 きょうは“まんじゅう”の行田物語ですか?


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そうです。。。 いけませんか?

かまいませんけれど、“まんじゅう”は特に行田に限ったことではないでしょう?

もちろん、“まんじゅう”は行田に起源があると言うつもりはありません。。。 犬も歩けば“まんじゅう”に当たる、というくらいに、まんじゅうは日本のどこの町や村でも食べられますからねぇ~。。。 日本だけじゃなく、最近は世界のどこに行っても、似たようなモノを見かけますよ。。。


饅頭

 

饅頭(まんじゅう)は、小麦粉などを練って作った皮(生地:きじ)で小豆餡などの具を包み、蒸した菓子。

中国の饅頭(マントウ)が変化してできた和菓子の一種。


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漢字は「万十」「万頭」「曼頭」などと書くこともある。

 

起源説等

日本の饅頭の起源には2つの系統がある。

ひとつは1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した林浄因と共に入ってきたと言われている。
その際、禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭を用いる事を考えた。

しかし従来の饅頭は肉を使ってしまう(本来の仏教では肉食は禁じられていないが、日本では肉食を禁じた)ので、代わりに小豆を使った饅頭が考案されたと言われている。
その後、林は奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立てたことから、漢國神社内の林神社と呼ばれる饅頭の神社で、菓祖神として祀られている。

もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年(仁治2年)に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われる。
円爾は辻堂(つじのどう=現・博多駅前一丁目)に臨済宗・承天寺を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われる。
このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にある。

奈良に伝わった饅頭はふくらし粉を使う「薬饅頭」で、博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされる。

伝来当時は現在の饅頭につながる甘い饅頭と、主として野菜を餡とした菜饅頭の二種類が存在していた。
後者は現在の肉まんに近い物と考えられているが、仏教の影響もあって、近在以前の日本ではもっぱら野菜が餡として用いられた。

仏教寺院ではいわゆる点心(ここでは軽食や夜食)の一種類とみなされ、軽食として用いられていた。
しかし、米飯や麺類が主食として存在し、とくに麺類(うどん、そば、素麺など)が早くから軽食として存在した一般社会では、製法の煩雑さなどからほとんど定着せず、甘い饅頭や麺類のように菜饅頭を専門の業者が製造する事もなかった。
ただ、寺院における食事の記録には記載されている事が多く、江戸時代に入っても『豆腐百珍』に「菜饅頭」として製法が記載されている事から、寺院等では軽食として長い間食べられていたようである。

また、直接的な饅頭の由来ではないものの、江戸時代以降に南蛮菓子や中国菓子の製法として焼き菓子の製造技術が日本に伝播した。
この技術が饅頭にも応用され、焼き饅頭と呼ばれる日本独特のジャンルが生まれた。


(10man321.jpg)

日本に定着した後、餡や皮の製法にさまざまな工夫が凝らされ種々の饅頭が作られるようになった。

しかし、肉まんや餡まんなど、従来の饅頭(マントウ)を起源とした厚めでふわっとした皮の中華風の饅頭(包子、パオズ)は、甘いものであっても一般的に中華まんとして区別されている(特殊な事例として愛媛県の労研饅頭があり、これもマントウを起源とするが(同項参照)、こちらは和菓子の分類に入れられる事が多い)。
中にはカレーまん、ピザまん、バナナまんなど、中国には存在しない中華まんもある。
日本風の焼いて作る饅頭は台湾でも「日式饅頭」、「日本饅頭」と称して製造されている。




出典: 「饅頭」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




“まんじゅう”がとりわけ珍しいものじゃないのに、どういうわけで行田の“まんじゅう”を取り上げたのですか?



それに答えるには、ちょっと次のリストを見てください。


(liv70906a9.png)


『拡大する』

『足袋とまんじゅう』(PART 1)

『足袋とまんじゅう』(PART 2)




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で9月4日の午後7時5分から午後11時22分までの約4時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。



あらっ。。。 9月3日の午後7時8分にマイクロソフトの BING で検索して『足袋とまんじゅう』(PART 2)を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 実は、新宿に住んでいる万寿 春香(まんじゅ はるか)さんが読んだのです。。。

また、IPアドレスを調べて突き止めたのですか?

そうです。。。


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『拡大する』



。。。で、万寿 春香さんは、どのようにして検索したのですか?



次のようにして検索したのですよ。。。


(bin70906a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』




あらっ。。。 「足袋 まんじゅう」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで「足袋 まんじゅう」と入れて検索したのですか? “足袋”と“まんじゅう”は全く関係ないと思いますわァ。。。

あのねぇ~、確かに、一般の日本人にとって“足袋”と“まんじゅう”はほとんど関係ないように見えるでしょう。。。 でもねぇ~、“十万石のまんじゅう”を知っている人にとっては“足袋”と“まんじゅう”は関係があるのです。。。

それはどういうわけで。。。?

ちょっと次の小文を読んでみてください。。。




十万石ふくさや行田本店店舗 

国の登録文化財。

明治16年 呉服商山田清兵衛商店の店舗として棟上される

昭和27年 青柳合資会社の足袋蔵となる

昭和44年 十万石ふくさや行田本店店舗となる

黒漆喰塗りの重厚な店蔵は行田では珍しい江戸様式の店蔵で、十万石の店舗となった後、昭和53年に改修が行なわれ、外壁にナマコ壁が設けられた。




「青柳合資会社」は、僕が行田市立行田中学校3年生の時のクラスメートだった青柳君のおじいさんが立ち上げたのですよ。 昭和22年から昭和47年まで“足袋”の倉庫として使っていたのです。



青柳さんの家では足袋を作っていたのですか?

そうです。 でも、昭和30年代には足袋をはく人が居なくなったから、学生服とか作業衣を作ってましたよう。

もう青柳さんの家はないのですか?

今でも通りを挟んだ向かい側に青柳君の実家があります。 青柳君のお兄さんが家を継いでいるようです。

。。。で、万寿 春香(まんじゅ はるか)さんは、どういうわけで「足袋 まんじゅう」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

小百合さんは“まんじゅう”って漢字でどう書くか知ってますか?

ええ。。。知ってますわァ。 「饅頭」と書くのでしょう。。。

確かに辞書を引くと、そう書いてあります。 でもねぇ、“十万石のまんじゅう”は違う字を使っているのですよう。 もう一度写真を見てください。


(10man2.jpg)



あらっ。。。“饅” ではなく “幔” を使っているのですわね。

そうなのですよ。 僕も言われるまで分からなかった。

なぜ “幔” の字を使うのですか?

だから、万寿 春香(まんじゅ はるか)さんも、それが知りたくて「足袋 まんじゅう」と入れて検索したのですよ。。。

。。。で、どうして“饅” ではなく “幔” を使っているのですかァ~?

小百合さんは忘れてしまったのですねァ~。。。 これには興味深いエピソードがあるのです。 太平洋戦争後、砂糖の統制が解かれてまもない頃、「十万石ふくさや」の主人の先代が、何か行田の名物となるものを作ろうと考えたのですよう。

つまり、それが「十万石まんじゅう」となったわけですか?

そうです。。。 ところで、小百合さんは、次の絵が何だか分かりますか?


(munakat2.jpg)



棟方志功さんの版画でしょう...



あれっ。。。小百合さんは知っているのですねぇ~。。。?

だってぇ~。。。“十万石のまんじゅう”が気に入って、棟方志功さんは旨い旨いと言いながらたくさん食べたのでしょう? “十万石のまんじゅう”の写真に使われている絵も棟方志功さんの版画だと聞いていますわァ。

小百合さんは知っていたのですかァ~。。。 だったら、僕が話そうとするエピソードも知っているのですねぇ~?

いえ。。。漢字の事は忘れましたわァ~。。。

あのねぇ~、今では世界的な板画家として棟方志功さんの名前をたいていの日本人は知っているけれど、戦後まもない頃、つまり、昭和28年当時、棟方志功さんは、日本人の間でもあまり知られていなかった。


棟方 志功

(むなかた しこう)



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1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日
日本人の板画家。
青森県出身。
20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。
1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。

来歴

1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれる。豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。

少年時代にゴッホの絵画に出会い感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指した。青森市内の善知鳥神社でのスケッチを好んだ。

1924年(大正13年)、東京へ上京する。帝展や白日会展などに油絵を出品するが、落選が続いた。

1928年(昭和3年)、第9回帝展に『雑園』(油絵)を出品し、入選する。

1930年(昭和5年)から文化学院で美術教師を務める。

1932年(昭和7年)日本版画協会会員となる。

1934年(昭和9年)佐藤一英の“大和し美し”を読んで感動、制作のきっかけとなる。

1936年(昭和11年) 国画展に出品の「大和し美し」が出世作となり、これを機に柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する様になり、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすことになる。

1945年(昭和20年) 戦時疎開のため富山県西礪波郡福光町(現南砺市)に移住。1954年(昭和29年)まで在住した。志功はこの地の自然をこよなく愛した。

1946年(昭和21年) 富山県福光町栄町に住居を建て、自宅を「鯉雨画斎(りうがさい)」と名付け、また谷崎潤一郎の命名にて「愛染苑(あいぜんえん)」ともよぶ。

1956年(昭和31年)、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に『湧然する女者達々』などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞。

1969年(昭和44年)2月17日、青森市から名誉市民賞を授与され、翌年には文化勲章を受章する。従三位。

1975年(昭和50年)9月13日、東京にて永眠。青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた“静眠碑”と名付けられた墓がある。

 

作風・人物

棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。
大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。
第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』など仏を題材にした作品が特に有名である。

「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。
自分というものは、なんという無力なものか。
何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。
そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」 と言っている。

 

エピソード

ゴッホのファンになって以来、頻繁にゴッホの名を語る棟方に対し周囲の知人は「風邪でも引いたのか」とからかったという。

志功は「アイシテモ愛しきれない オドロイテモ驚ききれない ヨロコンデモ喜びきれない カナシンデモ悲しみきれない それが板画です」と言った。

版画の「はん」を版ではなく板と書いてハンと読ませる。それは板の性質をちゃんと使うためであり、版だとそれを半分にしていることになるからだそうである。

埼玉県行田市にある「十万石ふくさや」が販売する「十万石幔頭」のパッケージデザインを手がけている。




出典: 「棟方 志功」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




昭和31年に、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に『湧然する女者達々』などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞してから注目を集めるようになったのですよう。



「十万石ふくさや」の先代は、それ以前から棟方志功さんと知り合いだったのですか?

あのねぇ~、行田市に渥美大童さんという書道家が居たのです。 この渥美さんが棟方志功さんと友達だったらしい。 その紹介で「十万石ふくさや」の先代は棟方志功さんと知り合った。

それで。。。?

若き日の先代は、棟方志功さんの作品を見て感激した。

「これだ! これからの菓子屋には棟方志功さんの人間味あふれた暖かさ、そしてバイタリティが必要だ」

それで、ある日、「十万石まんじゅう」を小脇に抱えて棟方志功さんを訪ねた。 そして「是非、このまんじゅうを食べてみてください」と差出した。

棟方志功さんは、無類の甘党だったらしいですわねぇ~。。。

そうなのです。 甘い物にハマッていた。 「あんたが作ったのかい」と一口食べ、一気に5個も食べてしまったらしい。

。。。で、棟方志功さんは、食べてから何とおっしゃったのですか?

「う~~ん。。。うまい! 行田名物にしておくには旨すぎる」 こう言うと筆を取って絵を描いた。 その絵に、上の写真にも書いてある通り、“十万石幔頭”と書いた。 先代は、すかさず、「先生、幔は食偏の饅です」と指摘した。

棟方志功さんは、何とお答えしたのですか?

「このまんじゅうが全国に広く知れわたる事を願ってこの字にしたんだよう。うししししし。。。私は私でなければ描けない絵をかくから、あんたはあんたにしかつくれない美味しい菓子を作ってね」

マジで。。。?

そう言う事になっているようです。 それ以来、先代は、そのまま “幔頭” の字を使っているそうですよう。

。。。で、万寿 春香(まんじゅ はるか)さんは、このエピソードを読んで納得したのですか?

そうです。。。 それで、春香さんは、どれほど旨いものか!?…と ぜひ食べて見なければならないと、すぐに「十万石のまんじゅう」を買いに出かけたのですよ。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたもお腹が空いてきたでしょう?

「十万石のまんじゅう」もよろしいですけれど、

あたくしは、ちょっと食べあきましたわァ。。。


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…ですので、変わったところで バクーの民族料理をご紹介しますわァ~。。。


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どうですか?

あなたも アルゼバイジャンに出かけたら、ぜひバクーで民族料理を召し上がってくださいね。

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


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(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)

行田物語 ちゃぶ台

 

行田物語 ちゃぶ台

 


(table95.jpg)


(mayumi55.jpg)





デンマンさん。。。 どういうわけで“ちゃぶ台”を取り上げるのですか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


ちゃぶ台という食卓


(table96.jpg)

 

先生は、無口で人見知りをするKを一家と馴染ませるため、丸い折りたたみの食台を考案し、お茶の水の家具屋で作らせた。

明治30年代の初めのころである、

当時の家庭の食事は、一間(ひとま)に集合することは同じでも、各自の銘々膳で(蓋付きのものは箱膳と呼ばれた)、食べ終わったらお茶(お湯)で茶碗をすすいで箱に収めておくのである。

 

晩年の漱石は一人で夕食を取ることも多かったが、互いの顔を見ながら、食べるちゃぶ台では、当然、会話もはずむはずだった。

先生が発明したというのはもちろん仮構である。

 

小泉和子『家具と室内意匠の文化史』(法政大学出版局)によれば、その出現年代は確定できないが、明治30年代初めから徐々に庶民に普及したらしい。

折りたためるので場所をとらず、盛りつけにも手数を省けて清潔だからである。

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(natsume95.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




242-243 ページ 『夏目漱石』
著者: 十川信介
2016年11月18日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




真由美ちゃんが子供の頃、家族と一緒にご飯を食べるとき“ちゃぶ台”を使っていましたか?



テーブルでしたわァ~。。。


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私は末っ子だったので両親と姉と兄と5人でテーブルを囲んで ご飯をいただきましたわ。。。 もうそれぞれが離れ離れに暮らしているので、子供の頃が懐かしいですわァ~。。。



僕が子供の頃はほとんどの家で、まだ畳に座って“ちゃぶ台”でご飯を食べていましたよ。。。 


(table95.jpg)



おそらく行田市で昭和30年代にテーブルでご飯を食べていた家は、よほどの金持ちの家だったと思いますよ。。。



あの話題になった昭和30年代の頃を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃のお話ですか?

そうです。。。


(always02.jpg)





昭和30年代の日本の農家は、圧倒的に藁ぶき屋根の家が多かったのですよ。。。 


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(endo10.jpg)



真由美ちゃんのお母さんは僕の従妹だけれど、彼女が子供の頃住んでいた実家のある南河原村では、当時、まだ箱膳を前にして食事している家も多かったのですよ。。。



南河原村という村は行田市に統合されたのでしょう?

そうです。。。 2006年1月1日に行田市に編入されたのですよ。。。

 


(gyodamp3.png)

『拡大する』

 



デンマンさんも 旧南河原村にあった私の母の実家で箱善で ご飯を食べたことがあったのですか?



そうです。。。 僕は4歳か5歳だったけれど、母親が田植えの手伝いかなんかで僕を連れて実家に行ったのです。。。 その時 一緒に箱膳の銘々膳(めいめいぜん)で朝ごはんを食べたことをはっきりと覚えてますよ。。。


銘々膳からちゃぶ台へ

日本女子大学・北陸大学非常勤講師 東四柳祥子

 

「一家団欒」の象徴とされるちゃぶ台は近世までの銘々膳(めいめいぜん)による配膳形式とは異なり、空間を共有するもの同士が囲む四本脚の共同膳である。
日本における共同膳の歴史は、奈良・平安時代の貴族たちに享受されていた「大饗料理」になかのぼることができる。

その後、武家社会における師従関係の成立により、身分に基づき整列することで、銘々膳によって食事をする形式が定着を見せた。
そして江戸時代を迎え、鎖国化でも交流が許された中国から一つのテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を分かち合う「卓袱(しっぽく)料理」が出島に伝来する。
まさにこの形式こそが、ちゃぶ台のルーツともされ、やがては都市部での酒宴形式として人気を誇るようになる。

しかし、根強い儒教的観念に縛られた日常生活の中では、家長を中心に、銘々膳での食事形式が従来どおり踏襲され、しつけの場の重要な空間としての意味も持ち合わせていた。


(table93.jpg)

しかし、幕末の開国以後、流入した西洋文化の影響は、家族の食事風景を大きく変えることになる。
新たに導入された西洋料理は、中国料理同様、テーブルを囲むといった食事形式を呈しており、共同膳で食事をする習慣が上流階級の間から徐々に定着をみせた。 (略)

やがて昭和期になると、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などといった国民的な漫画のなかで、ちゃぶ台は家族をつなぐ大切な装置として描かれ、その空間で共有される話題や珍事が、微笑ましい家族関係の理想形を印象づける効果を発揮し始めるようになる。

しかし、昨今の食の課題には、個食や孤食、外食や中食(なかしょく)にたよるといった食の外部化・簡略化への依存などがあり、家族仲良くちゃぶ台を囲むという機会の形骸化も拭えない事実である。
いま私たちは、昭和期を通して形成された家族で共有する時間のあたたかさを、再認識する時代に来ているといえるのではなかろうか。
ちゃぶ台が、人間関係の構築・再生の場であった昭和の風景に学び、守るべき遺産であるという意識も高めていきたいものである。


(table90.jpg)

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




139ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『カウチポテト』にも掲載
(2013年1月9日)




あらっ。。。 銘々膳というのは、ずいぶん古くから、デンマンさんの子供時代まであったのですわねぇ~。。。 でも、私が覚えている母の実家は、藁屋根の家ではなくて、新しく立て替えた新しい瓦屋根の家でしたわァ~。。。 それに、テーブルを囲んで椅子に座ってご飯をいただいてました。。。



僕と真由美ちゃんとは子供時代を送った時代が違うんだよねぇ~。。。

そうらしいですわ。。。 “ちゃぶ台”とか“箱膳”と言われてもイメージが湧いてきません。。。 うふふふふふふ。。。

じゃあ、真由美ちゃんは信じられないだろうけれど、僕の母親の実家には、かつて馬がいたのですよ。。。

マジで。。。?

僕ははっきりと覚えてますよ。。。 4歳か5歳の頃だったけれど。。。




(foolw.gif)

Subj:小百合さん、おはよう!

秋晴れのバンクーバーは

爽やかで清々(すがすが)しい

ですよう!

きゃはははは。。。


Date: 24/08/2010 11:57:46 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:8月25日(水)午前3時57分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com



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雲一つない、どこまでも青い空が広がっていますよう。

“天高く馬肥ゆる秋”

昔の人は上のように言ったけれど、
どうして天が高くなると馬が肥えるのか?

馬を使って畑仕事をしたことのない僕には分からないけれど、
そう言えば、僕のお袋の実家が南河原村にあったのですよう。

今では行田市に合併されて無くなってしまった村だけれど、
僕がまだ小さな小さな頃
幼稚園に上がる前ですよう。
おそらく4つか5つだったのでしょうね。

その農家には馬小屋があって
その中で飼われていました。
お袋の話だと、その馬を借りていたそうです。

小さな子供の目には、とてつもなく大きな馬の姿は、まるで恐竜が目の前に現れたような驚きでした。
とても怖いと思った記憶がありますよ。


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それでも興味があるから僕は馬をしみじみと眺めている。
馬だってぇ、小さな子供が興味深そうに眺めているから、僕の様子をじっと見詰めていましたよう。

その大きな目が、とっても優しそうに感じたものです。
今から思えば、その馬は牝馬で母性本能の優しさが目に表れていたのではないだろうか?

その馬が生んだ子馬を見るような優しいまなざしで僕を見つめていたような、そんな感じをその優しい大きな目から感じたものでした。

母親の実家で馬を一番可愛がっていたのは祖父だったそうです。
お袋はどうだったの?と尋ねたら、
長女だったお袋は小学校にあがる頃から、農作業や家事の手伝いをさせられて、
馬の面倒を見るのは、ただただつらいことだったらしくて、
馬が居るから自分の仕事が増えると思って、可愛いどころではなかったそうですよう。


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やがて耕耘機(こううんき)が使われるようになって、
馬は、元の飼い主に返したそうです。

それから何年経った時の話なのか?
僕は忘れてしまったけれど、
ある日、祖父が自転車に乗って農道を走っていたら、
馬がいなないたと言うのですよう。

おやっと思って馬をよく見ると、祖父が可愛がっていた馬だったそうです。
懐かしくなって、馬に近寄って鼻をなでてやりながら、その時の飼い主に、その馬を使っていた頃のことを話してやったそうです。

馬も可愛がってくれた人のことを覚えているのですよね。
その馬は、元々優しい馬だったと僕には思えるのですよう。
今でも、その馬の優しくて大きな目が僕の記憶の片隅に残っているのです。


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バンクーバーの雲一つ無い空を見ていたら、なぜか急に、その馬の優しい目が思い出されてきました。
不思議なことです。

小百合さんも、子供の頃の懐かしい思い出を懐かしみながら軽井沢タリアセン夫人になりきって元気に楽しくルンルン気分で過ごしてね。

ん。。。? 何か面白い話が読みたいの?
じゃあねぇ、次の記事を読んでみてね。


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『愚かな愚か者』

(2010年8月24日)


笑って元気を出してね。  
じゃあ、またねぇ。


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『天高く馬肥ゆる秋』より
(2010年8月29日)




今でも、その馬の優しくて大きな目がデンマンさんの記憶の片隅に残っているのですかァ~?



そうです。。。


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なんだか無性に懐かしいですよ。。。



実は、私も馬に乗ったことがあるのですわァ~。。。

マジで。。。? まさか僕が子供の頃 実家で見た馬ではないでしょうねぇ~!?

もちろん、違いますわァ。。。 乗馬の試乗会が那須高原の近くの牧場であって、子供の頃に乗ったのですわァ。


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最初は怖かったけれど、とっても楽しかったですわァ~。。。



なるほどォ~。。。、そういうわけで真由美ちゃんは動物が好きなんだァ~。。。


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たぶん、そうかもしれませんわァ~。。。



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

去年(2016年)の9月に卒業式を終えて、
現在、バンクーバー市内の旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー








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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


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上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 



If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





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『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


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『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


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『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

『12歳少女の短命』

『行田の伯母さん』

『パン職人修行』

『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

『万の風になって』

『プロシュット』


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『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

『希望とロマン』

『錯視 錯覚』

『マンボ@バンクーバー』

『オリーブオイル』

『スコーンとプディング』

『5月のロブソン』

『病院食の間違い』

『プレミアム・ジャパン』

『自然の摂理を無視すると…』

『夢のデニッシュ・悪夢のマーガリン』


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『パリ風カフェ』

『どこか狂ってるわ』

『行田遠野物語』

『行田物語 ピアノ』

『行田物語 猫』

『行田物語 母の懐』

『行田物語 ケネディ暗殺』

『行田物語 病院食』

『行田物語 お股の花々』

『晩香坡物語 ジャズ』

『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』



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行田物語 古代蓮

 

行田物語 古代蓮

 


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デンマンさん。。。 今日は古代蓮の行田物語ですかァ~。。。


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そうです。。。 いけませんか?

別にかまいませんけれど、もう古代蓮のお話しは出尽くしたのではありませんかァ~?

確かに、千年以上の眠りから覚めて芽を出し きれいな蓮の花を咲かせた古代蓮の話は、今更 特に珍しい話題じゃないけれど、人によっては「古代蓮」と聞いて さまざまな思い出があるものですよ。。。

それで、今日はその懐かしい思い出話というわけですか?

そういうことです。。。 実は、ごく最近 多佳子・叔母から手紙を受け取ったのですよ。。。 ちょっと読んでみてください。



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デンマンさん 元気にしてますか?
この前と言ってもいつ頃かはっきりしませんが「帰省」を“キショウ”と読んでいました。
ちょっと信じられないような誤読かもしれません。

今でも一呼吸して脳に指令を出さないと間違えます。
いろいろな意味で30~40代頃が私の脳内物質が活発化していて、こんな間違いはなく“キセイ”と正確に読んでいました。

近頃、認知力が問われる中、最初にインプットされた“キショウ”が優先して また一呼吸する始末。
これって認知症の走りなのでしょうか。

この7月17日、朝日新聞、朝刊に行田市の記事がありました。


天声人語

 

いつからかハスは神秘的な音を立てて咲くものと思い込んでいた。

石川啄木に



 


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しづけき朝に

 

音立てて

 

白き蓮の

 

花さきぬ

 

 


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…という断定調の詩がある。

博物学者 南方熊楠(みなみかた くまぐす)も、ハスの開く音を聞きに出る習俗について論考を残した。

「本当に音がしますか、何時ごろ鳴りますか、という問い合わせをいただく。 でも私ら職員は一度も聞いたことがありません」。

埼玉県行田市にある公園「古代蓮の里」で働く山子(やまね)学さん(47)は話す。
実際に聞くのは「花が散って葉に落ちたときのドサッという音」。
風情の乏しい音らしい。

山子さんの実感によれば、ハスの名所とレンコンの産地はあまり重ならない。
花で名高い地のレンコンは食感がいまひとつ。
レンコン産地で花の群舞を見る機会も多くないという。

天が二物を与えなかったのは人だけではないようだ。

行田市では1973年、ゴミ焼却場の建設地で桃色の大輪が見つかった。
埼玉大の研究者らが調べ、推定1400~3千年前の地層に眠っていた種子が掘削で目を覚ましたと推定した。

主産業の足袋作りが下り坂にあった市は1995年、ハスを核にした公園を開く。
「ふるさと創生」をうたって全国の市町村に交付された1億円をいかした。
街はにぎわいを取り戻す。

ふるさと創生と聞くと金塊や純金のこけしが浮かぶ。
盗まれたり売られたり、哀れな結末も見た。
ばらまき政治の見本のごとく語られることが多いけれど、
将来を見すえて種をまいた自治体も少なからずあったようである。

2017-07-17


いまの この辺りは、デンマンさんの知る行田市ではないかもしれませんが、長い国外生活の中で多少なりとも望郷の思いがあるのではと推察し、あるいは逆にかき立ててしまうかも知れませんが 書き出してみました。

私の家は、ここ鴻巣から目と鼻の先、望郷なんて響きのよい思い入れはありませんが、それでもあの旧南河原村(現在行田市に編入)犬塚地区の夢を時々見ます。

デンマンさんの場合、いくらテクノ時代といっても、行田は万里の彼方。
感傷的にならずとも夢は見るのでは?

フロイトのような夢哲学は私には難しすぎますが、1年ほど前NHKラジオで草柳大蔵氏の著書の紹介がありました。
夢は無意識の中の意識であるというようなことを聴いたことがあります。
そのうち読んでみよう…がまだ実現していません。

この夏は世界中あちこちで異常気象らしいですが、カナダはいかがですか?
熊谷気象管区の表示によると、ここ2週間 35℃のラインを行ったりきたり。
よほどの気力がないと負けそうです。

それにしてもデンマンさんの母親の芳江さんは偉い!
犬塚の両親も今から振り返ってみれば、良くぞ長寿を全(まっと)うしたと思います。
私にはとても長寿の自信がありません。

ところで、冒頭に戻って「帰省」を改めて辞書で引いてみました。
「父母の安否をたずねて故郷に帰ること」
それならば帰郷という言葉もありますよね。

今、日本では政界がおもしろい。
山崎豊子さんが生存していたならば、すごいドキュメンタリードラマが編纂されていたかもしれません。

新聞の記事に触発されて まとまりのないことを書きましたが あしからず。

また視力が弱くなり書く文字に かすみがかかり乱字で申し訳ありません。
時間があったら、メールで返事を書いてください。
待ってます。

 

かしこ。

2017年7月24日


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九条多佳子




多佳子・叔母さんは デンマンさんにとっては“お姉さん”のような人なのですわねぇ~。。。



そうなのです。。。 僕の母親の一番下の妹で。。。 20歳も年が離れていたので、まるで母親と娘のように親しくしていました。。。 僕と叔母とは6歳しか年が離れていないのですよ。。。 僕が生まれて間もない頃、お袋が実家の田植えの手伝いに行ったら、7歳の叔母が小さな僕を見て どうしても僕をおぶるんだと言ったらしのですよ。。。

それで、デンマンさんを背中に おぶったのですか?

ちょっと危なげだったけれど、どうしてもと言って聞かないので、仕方なく お袋が おんぶさせたというのです。。。


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それ以来、デンマンさんは実のお姉さんのように親しく付き合っているのですか?



そういうことです。。。

私も、一度だけ多佳子・叔母さんを遠くから見たことがありましたけれど。。。

そういうことがありました。。。 小百合さんが運転する車で鴻巣市の叔母の家まで行ったのですよ。。。 でも、小百合さんは、どういうわけか 「ちょっと今日は遠慮しておきますわ」と言って、会わなかった。。。

デンマンさんが、急に行こうと言い出したので、私には心の準備ができてませんでしたから。。。

そういうものですか?

それで、叔母さんに返信のメールを出したのですか?

メールを書いて送信しました。。。 読んでみてください。。。 


健康だけは充分に気をつけながら

ルンルン気分で過ごしてます。。。:-)



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From: denman654@gmail.com
To: takako987@yahoo.co.jp
Date: Sat., Aug. 5, 2017 5:17 PM


 

8月3日にメールボックスを開けたら多佳子さんからの手紙が届いてました。
毎日、毎日メールボックスを開けているわけでないので、
消印を見ると7月24日なので
バンクーバーの郵便屋さんが配達したのは7月31日頃だったかもしれません。

異常気象のことが書いてありましたが、確かに最近、バンクーバーも異常気象の影響を受けてます。
8月4日の無料タウン情報紙を見たら、
1958年以来の最悪の山火事件数を記録したそうです。。。

自然発火もありますが、たいていタバコの火の不始末が多いのですよ。
でも、260箇所で山火事が起こっているのだから、
異常気象で 乾燥によるものが多いのでしょう。。。

BC州だけで 4,910平方キロメートル焼けたそうです。。。
70キロの正方形の山林が焼けたということだから、すごいですよ。。。


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その影響で、煙がバンクーバーの上空にやって来て、太陽がうっすらと赤紫色をしているのですよ。。。
日中の最高気温は26度から28度だけれど、ムッとするような熱気が感じられます。。。
それでも、日本の夏よりはまだマシです。。。

埼玉県北部の熊谷市あたりでは35度前後の気温ですか!?
学生服を着て夏休み前の7月中旬に熊高(県立熊谷高等学校)に通っていた当時の あの暑苦しさを思い出します。

鴻巣市でも熊谷市とほとんど変わらない気温でしょう!
熱射病などにならずに健康に暮らしてください。。。

5,6年前でしたか、パリの気温がべらぼうに上昇して、
熱射病により老人がバタバタ死んだニュースがありました。

高齢者になると、体温調節機能も衰えるのでしょうか?
多佳子さんには、そのようなことがないように祈ってます!

「天声人語」を読みました。
「古代蓮の里」へは軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと一緒に3度ほど訪ねたことがあります。

いつも訪れるのは10月から11月にかけてですから、
蓮の花は咲いてません。
時期が外れているので参観者も少なく、
地元野菜や工芸品の直売店も閑散としていました。

まだ展望台には登ったことがありません。
無料じゃないのですよ。。。
時期外れに行ったら、面白いところじゃありません!

それでも「古代蓮の里」のことでは、いくつかブログの記事を書いてます。






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『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』

ところで、4月29日にメールの最後に次のように書きました。


人生は、マジで儚いものだと つくづく思うこのごろです。。。
だからこそ、自分の思い、気持ちというものをしっかりと持って生きてゆく、と言う事しかないでしょう!

多佳子さんも悔いが残らないように 自分の心に忠実に暮らしてください。。。
お互いに、30年、40年も生きられる人生ではありません。

今年の秋は、そういう意味からも多佳子さんのために うれしい“プレゼント”を用意したいと思います。
体調が悪いと この“プレゼント”は楽しめないと思いますので
くれぐれも体調を整えながら 元気で過ごしてください。。。

葬式の疲れを できるだけ早く取りさってください。
では、今年の秋に またお目にかかるのを楽しみにしています。




『行田物語 母の懐』より
(2017年6月14日)


このプレゼントはモノではありません。
サービスです。。。

初めに考えたのは、フランスのレイモン・ルフェーブル楽団の東京公演で 生の映画音楽を多佳子さんと一緒に聴こうと計画しました。
しかし、レイモン・ルフェーブルは2008年6月27日に亡くなってるのですよ。
楽団が解散してなくて2017の秋に東京公演があるとしても、無理だということが分かりました。


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かつて多佳子さんにも話しましたけれど、小用が近くなっているのですよ。。。
1時間半で膀胱が一杯になるようです。。。
2時間は持ちません。
演奏途中で席を立つのはエチケット違反ですから、演奏会は無理ですよねぇ~。。。

では、他に何が。。。?
かつて加代ちゃんと「とらや」の娘と3人で港を遠望する丘の上に立っていた品川プリンスホテルでフランス料理のフルコースを食べたことがあります。。。

どういわけか、あの広いレストランに客が3人だけで、ウェーターとウェイトレスが入れ替わり立ち代り給仕をするので、
まるでイギリス王室のプリンスが、ガールフレンド二人を接待しているような気分になりました。 (微笑)
7万円でした。
今なら少なくとも2倍はするでしょう!
しかし、旨かったという印象はありません。。。

そういうわけで、多佳子さんの憧れのホテルのレストランでフランス料理のフルコースというのはどうでしょうか?
たとえば、帝国ホテルとか?


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あるいはスカイツリーのタワーのてっぺんのホテルで

夜景を見ながらフレンチ料理か?

あるいはイタリアン料理を食べるとか?


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はたまた、室内四重奏楽団が

イタリアの作曲家・アントニオ・ヴィヴァルディ

によって作曲された、ヴァイオリン協奏曲「四季」の演奏を

聴きながらフルコースを食べるとか。。。(モナリザの微笑)


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とにかく、多佳子さんが主客なので、僕が考え企画しても、多佳子さんにとって当てが外れてしまったら意味がないので、
今年の秋までに、多佳子さん自身が自分のために、最高の企画を考えてください。。。

では、よる年波にもめげずに、健康管理に万全を期して元気に過ごしてください。。。
秋には、お互いに元気で再会しましょう。

 

デンマンより


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あらっ。。。 私のことまで書き込んだのですわねぇ~。。。



いけませんか?

『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』には、どのようなことを書いたのですか?

読んでみてください。。。




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Subj:ハッピー、バレンタイン!


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日本時間: 2014年2月14日(金)午前9時9分
Date: Thurs. 13/02/2014 16:09
(バンクーバー時間)
Pacific Standard Time
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail.jp
CC: barclay1720@aol.com


デンマンさん、お元気ですか?
早いものですね。
去年の10月にお会いしたと思っていたら、もうバレンタインですね!

“ルート66の奇跡”でデンマンさんは死ぬほど驚いたようですが
ちょっとオーバーですよ。


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『ルート66の奇跡』

でも、デンマンさんのおかげで
日本では手に入らないアイリッシュ・クリーム・フレーバーの待望のコーヒーがいただけて
懐かしいバンクーバーを思い出しながら
香りと味を充分に楽しみましたわァ。


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デンマンさんが滞在した1ヶ月は
“光陰矢のごとし”
なんだか アッという間に過ぎてしまったような気がします。

「さきたま古墳公園」でのピクニックが昨日のように
思い出されます。

私が「ツナ缶のLemon味も忘れずに!」とメールに書いたので
デンマンさんが わざわざlemon-pepper味のツナ缶を
日本へ持ち帰ってくれました。
ありがとう!


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10月16日の水曜日は、とっても天気がよくて
まさに秋晴れの行楽日和でした。
デンマンさんが lemon-pepper 味のツナをのせた“カナペ”を作ったのには驚かされましたよ。


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私も ウキウキして白ワインなどを持ち出して
“とっても美味しいわァ! 素敵だわァ~!”なんちゃってぇ~。。。 
うふふふふふ。。。

。。。というわけで、お返しと言っては何ですけれど、
デンマンさんのためにバレンタインの小包を
船便で送りました。

ちょっと遅れるかもしれませんけど
近いうちにお手元に届くと思います。

\(*^_^*)/

では。。。




『失われたバレンタイン』より
(2014年3月23日)




でも、これは「古代蓮の里」ではなく「さきたま古墳公園」のことではありませんかァ!



このあとで すぐに「古代蓮の里」が出てきます。 



件名:おはよう!昨日はお袋を見舞った後で、

叔母と「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。

きゃはははは。。。♪┌(・。・)┘♪



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日付: Sun, 01 Nov 2009 12:32:49 +0900
差出人: "denman@coolmail.jp"
宛先: "sayuri@hotmail.com"
CC: "barclay1720@aol.com"


10月30日の金曜日は盛りだくさんの一日になりました。
僕の実家の近くにある「とんでん」で食べた“茶蕎麦”はメチャうまかった。
10年ほど前に親父がまだ生きていた頃、両親と一緒に食べた茶蕎麦の味でした。


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本当に懐かしかった。
小百合さんは伝統的な昔ながらの蕎麦を食べたけれど、今度は、ぜひ僕の好物の茶蕎麦を食べて行田の思い出を懐かしんでね。

蕎麦を食べてから「古代蓮の里公園」へ行って直売店で行田市で取れるいろいろな野菜やお土産物を見たけれど、改めて行田の豊かさを感じましたよう。

“ふるさとは遠くにありて思うもの”

うん、うん、うん。。。室生犀星の言葉だけれど、
こうして故郷にやって来ると改めて故郷の豊かさに気づきます。
小百合さんと一緒に古代蓮の神秘的な花を見ながら語り合えたら、さらに幸せな気分に浸ることができたかもしれません。
残念ながら古代蓮の花は咲いてなかった。
8月だけでなく、秋にも咲く古代蓮を作れないものか?


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もし、秋に古代蓮が咲いているなら、
今度は古代蓮を見ながら“Hよりも感じるハグ”をして
再会を喜び合いたいものです。

\(^ヮ^)/ ギャハハハハ。。。

「古代蓮の里公園」でのんびりと散策した後で「水城公園」へ行きました。
まさか小百合さんがまた“とうもろこし”を焼いてくれるとは思いませんでした。
簡易コンロを持ってきて、刷毛(はけ)でタレを塗りながら旨そうに焼けた“とうもろこし”は小百合さんの真心の味がしました。
マジで。。。!

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。


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公民館の前の池の端(はた)で、何も知らない人が見たらホームレスのカップルが貧しい夕食を取っているように見えたかもしれません。
ちょうで池に住む一匹のガチョウのために近所で暮らす30代の女性が餌をやりにやって来ていました。
パンの耳とレタスをガチョウにあげていたけれど、とうもろこしの焼ける旨い匂いがガチョウの食欲をそそるのか?小百合さんがコンロでとうもろこしを焼いている池の端(はた)に寄ってくるのでした。


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“チョウ助”も、とうもろこしが食べたいの?”

その女性はそんなことを冗談で笑いながら言っていたけれど、小百合さんが答えて言いました。

“このガチョウは、とうもろこしを食べませんよね(笑)”


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そうなんだよね。10月16日に小百合さんが初めて水城公園にやって来た時、Pure Whiteのとうもろこしを僕に焼いてくれたけれど、その前に、生のとうもろこしを COB からとって僕は“チョウ助”に食べさせようとしたのでした。
でも、食べなかった。
たぶん、量が少なかったのでガチョウには良く見えなかったのかも?

水城公園で黄色い“とうもろこし”を食べてから小百合さんと一緒にイオン(eaon)モールへ行きました。
“シナモンメルツが食べたいわ。”
小百合さんは、かなりこだわっているようでした。
僕は、別に食べたいとは思わなかったけれど。。。

でも、モールの中にあるマクドナルドの店でのんびりと語り合うことができました。
カナダで食べるシナモンメルツとは形や感じがちょっと違うんだよね。
ほんの少しだけシナモンメルツを小百合さんが食べさせてくれたけれど、
味はシナモンロールとあまり変わらなかった。



小百合さんによると、サワークリームに砂糖を混ぜてあるらしい。
そう言われて味わってみると、確かにサワークリームのすっぱさが舌に感じられたような。。。
でも、言われなければ分からないすっぱさでした。

マクドナルドでコーヒーを飲んだ後で小百合さんと一緒にお袋を見舞いに行田中央総合病院へ行きました。
小百合さんと再会してお袋も喜んでいましたよう。
小百合さん、ありがとう!
お袋は、小百合さんと再会して元気をもらったようでした。

昨日(10月31日)は、叔母と一緒にお袋を見舞いました。
その後で「つるや」で手打ち蕎麦を食べました。
小百合さんも手打ち蕎麦にこだわっているけれど、叔母も蕎麦にはかなりのこだわりを持っています。


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それで、10月30日に小百合さんと一緒に見つけた手打ち蕎麦の「つるや」に行ったのですよう。
蕎麦屋らしい昔ながらのインテリアに、日本に居る事を実感させられました。

「つるや」のあとで行田中央総合病院の近くのBelc の敷地内にある Mos Burger でコーヒーとコロッケを食べながら2時間ほど粘(ねば)って積もる話をしたのでした。

ところで、昨日、行田観光協会のフライマップには出ていないゼリーフライの店を見つけました。
お袋を見舞いに小百合さんと行田中央総合病院へ行ったけれど、まだ小百合さんの記憶にあると思います。
国道125号線からそれて病院の駐車場へ行く、その道の角。
つまり、駐車場の前の道に進入する角のすぐ近くの肉屋さんでゼリーフライを作っていますよ。
一枚60円です。
買って食べなかったけれど、多分、衣(ころも)にはパン粉が入っているかも?
今度、行田へ行く機会があったら食べてみたらいいよ。

大体書き終わったので、これから「ネットカフェ・ミルミル」で牡蠣フライカレーを食べ、その後でウィンナコーヒーを飲みながらブログの記事を書きます。
記事のタイトルは「心のぬくもりを感じさせる医療」
小百合さんと再会した幸せを噛み締めながら。。。


(daibuts85.jpg)

ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。

ありがとう。

じゃあね。

(V__/)
(+'.'+)
(")_(")







『タリアセン夫人と再会』より
(2011年10月13日)




でも、古代蓮のことについては、特に詳しく書いてないではありませんかァ~!



このあと卑弥子さんが出てきて詳しく「古代蓮」のことを話すのですよ。。。


行田は古代ハスの

ふるさとです



(himiko22.gif)

おほほほほ。。。。

今日は、もう、始めから

現れてしまいましたわぁ~、

あなたにお会いしたかったので

ござ~♪~ますわよゥ。

懐かしい京都もよいですけれど、

デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。


(lotus1.gif)

きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?どういうわけかってぇ。。。?

実は、八ツ橋を売るお店に、

かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。

おほほほほほ。。。

その男の子にあたくしが

恋をしたのでござ~♪~ますわ。

ええっ?その話しはすでに聞いたって。。。?

だから、あたくしがその男の子に

きれいなハスのお花を手渡したのですわよ。

ええっ?なぜかって。。。?

あたくしの愛の告白のつもりでしたのよ!

うふふふふふふ。。。。

そういうわけで今日は古代ハスの

お話をしようと思ったのでござ~♪~ますのよ。

どうか、しばらくの間付き合ってくださいませませ。。。

うししししし。。。。



(lovelet5.gif)

行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮なんですってよ。
この古代蓮が発見された行田市の小針と言う地区は、
なんとデンマンさんが生まれ育ったところから歩いて30分ぐらいの所にあるんですって。

今から約2000年前、この古代蓮の里一帯は、
たくさんの水生植物が茂る湿地帯だったそうです。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深くもぐり、
ふたたびあたたかい陽射しをあびる日まで長い長い眠りについたのですね。

1971年(昭和46年)、行田市では小針地区に新しい焼却場施設を建設するために造成工事を始めたのです。
掘削によってできた場所に水がたまって池となり、
地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたのです。

1973年(昭和48年)、池の水面に
多くの丸い葉が浮いているのが発見されたのです。
その後、葉の数もふえつづけ、ついに7月13日、
長い眠りから覚めた古代蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。

ハスの種子は殻が硬く発芽させにくいのですよね。
でも、そういうわけで、条件が良ければかなり長期間保存が効くのです。
だから、2000年前の地層から発見されたハスの種子が、
発芽することもあるのですわ。
ハスの種が、いかに長寿であるかが実に良く分かるエピソードですよね。

行田市ではその後、小針地区に“古代蓮の里”を立ち上げました。
“古代蓮”をシンボルとする公園です。
古代蓮の自生する付近に憩いの場として、
子どもからお年寄りまで楽しめる公園になっていますよ。
ホームページは次のリンクをクリックしてみてくださいね。

■ 『古代蓮の里 ホームページ』

では、ここで万葉集の中の蓮を詠んだ歌を紹介します。
ちょっと面白い歌ですよ。

 

原文: 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之

作者: 女性だけれど名前は不明です。

よみ: 勝間田(かつまた)の、池は我れ知る、蓮(はちす)なし、
  しか言ふ君が、鬚(ひげ)なきごとし
 


意味: 勝間田の池は、私も知っていますよ。
  でも、蓮(はす)はありませんわ。
  そのようにおっしゃるあなた様に
  ひげがないのと同じように。うふふふふ。。。

新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田の池に咲く蓮の花を見て感動したのですね。
その事をこの歌の作者である女性に語ったわけです。
それを聞いて、その女性が戯(たわむ)れに詠んだ歌なのですわ。


(lotus5.jpg)

外出先で美しいハス(=美人)でも目にしてきたのでしょう、
。。。と皇子の話を聞いた女性がからかったわけなのですよね。
蓮の字は「恋」に通じることから、
この歌には他にもいろいろ恋情にかかわる諸説があるようですわ。

蓮は、スイレン科、熱帯産、多年草の水生植物で、
花托(花の中心部:実がなる)が蜂の巣の形に似ていることから、
「はちす」と呼ばれていたのです。

仏教との関わりもあり、その巨大な花は極楽浄土に咲くとされ、
そのイメージは仏像の台座に使われています。

ところで、現在各地で栽培されているハスは、
仏教の本家インドの原産なんですよ。
縄文末期に日本に渡来していたことがわかっています。

あなたも、懐かしいふるさとの花を探しに
久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?


(wildrose.jpg)




『卑弥子さんと古代ハス』より
(2009年7月22日)




どうですか? ここまで読んできて小百合さんも「古代蓮の里」が懐かしくなったでしょう?



そうですわねぇ~。。。 卑弥子さんの学識豊かな説明を読んで 改めて“古代蓮”の素晴らしさを認識しましたわァ~。。。 デンマンさんも たまには秋ではなく 古代蓮が咲き誇っている頃に帰省してはいかがですか?

そうですねぇ~。。。 考えておきます。。。



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

小百合さんに褒められて あたくしも満足いたしましたわァ。。。

あなたもお暇と金銭的な余裕があったら、

「古代蓮の里」へ足を運んでくださいねぇ~。。。

そして千年以上の眠りから覚めた神秘的に美しい「古代蓮」をご覧になってくださいまし。。。


(lotus201.jpg)



いかがでしたかァ~。。。?

あなたも、なんだか急に出かけたくなったでしょう!?

ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。

なぜ。。。?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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