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頼朝の死の謎

 

頼朝の死の謎

 


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デンマンさん。。。 今日は源頼朝の死の謎に迫るのでござ~♪~ますかァ~?


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そうです。。。 いけませんか?

でも、どういうわけで急に 頼朝の死の謎 を持ち出したのでござ~♪~ますかかァ?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



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歴史の表層だけを見れば、頼朝と政子は典型的な成功者夫婦であり、誰よりも幸せだったと思われるだろう。
だがその内幕は、そんな生易しいものではなかった。
 
寿永2年(1183)、長女の大姫が6歳の時、頼朝は勃興してきた木曽義仲と手を組み、平家を倒そうとする。
この時、義仲は嫡男で11歳になる義高を人質兼大姫の婿として鎌倉に送ってきた。
だが翌年、この関係も破綻し、義仲は頼朝の弟の義経らによって討伐された。
 
この一報を受けた義高は鎌倉から逃れようとするが、追捕を受けて討ち死にを遂げてしまう。
これによりショックを受けた大姫は心を病み、寝ては起きての生活の末、20歳で死去することになる。
その2年後には次女の乙姫も病死し、政子は二人の女子に先立たれてしまった。
 
しかもこの頃から、頼朝の表立った政治活動が見られなくなる。
実は鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』は、頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無なのだ。
 
この欠落期間、それまで朝廷権力の吸収に余念がなかった頼朝と鎌倉幕府は、なぜか無為無策を続け、朝廷勢力の挽回を許してしまう。
 
それが承久の乱につながっていくのだが、その理由は分かっていない。
しかも建久10年(1199)の頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではないことが分かってくる。
 
では、馬に乗れるほど健康であるにもかかわらず、頼朝はなぜ無為無策に陥ったのか。
鎌倉幕府の文士(吏僚)たちは、いったい何をしていたのか。
これこそは歴史の謎と言っていいだろう。
 
 
 
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
 


 
103-104ページ 『日本史の新常識』
編者: 文藝春秋
2018年11月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




なるほどォ~。。。 「頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無」ということは、何か異変が起こっていたということですわねぇ~。。。



でもねぇ~。。。 「頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではない」のですよ。。。 つまり、馬に乗れるぐらいには元気だったというわけです。。。

それにもかかわらず、死ぬまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』には、何の記載もないということでござ~ますか?

そういうことですよ! 不思議と言えるでしょう! ミステリーですよ。。。

やっぱり、秘密が隠されているのでござ~ましょうか?

そうとしか考えられないでしょう!

。。。で、デンマンさんは、頼朝は馬から落ちたことが死因ではないと考えているのですか?

当然でしょう! 落馬が原因であれば、それまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』に将軍の頼朝についての記述が一切無いというのは可笑しいでしょう!?

つまり、歴史に残るような、後世に知られてはまずいことが、この2年余りの間に何かが起こったということでござ~ますか?

その通りですよ! だから、仕方が無いので『吾妻鏡』には、何の記載もないのですよ!

でも。。。、でも。。。、歴史家に限らず、『吾妻鏡』を読む人がいれば、その事について奇妙に思うでしょう?

そうですよ。。。 だから上の本でも、著者が奇妙に思って書いているわけですよ。。。

。。。で、デンマンさんは頼朝の死因は何だと思うのでござ~ますかァ?

もちろん、僕には僕なりの死因についての考えがあります。。。 でも、ここで言う前に、これまでにも諸説があるのですよ。。。 それを書き出します。。。


頼朝の死因

 

各史料では、相模川橋供養の帰路に病を患ったことまでは一致しているが、その原因は定まっていない。
『吾妻鏡』は「落馬」、『猪隈関白記』は「飲水の病」、『承久記』は「水神に領せられ」、『保暦間記』は「源義経や安徳天皇らの亡霊を見て気を失い病に倒れた」と記している。
これらを元に、頼朝の死因は現在でも多くの説が論じられており、確定するのはもはや不可能である。
死没の年月日については、それ以外の諸書が一致して伝えているため、疑問視する説は存在しない。

 

■落馬説

 


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建久9年(1198年)重臣の稲毛重成が亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に出席した帰りの道中に落馬したということが『吾妻鏡』に記された死因であり、最も良く知られた説である。
その死因が『吾妻鏡』に登場するのは、頼朝の死から13年も後のことであり、死去した当時の『吾妻鏡』には、橋供養から葬儀まで、頼朝の死に関する記載が全く無い。

これについては、源頼朝の最期が不名誉な内容であったため、徳川家康が「名将の恥になるようなことは載せるべきではない」として該当箇所を隠してしまったとする俗説があるが、『吾妻鏡』には徳川家以外に伝来する諸本もあり、事実ではない。
なお、死因と落馬の因果関係によって解釈は異なる。

落馬は結果であるなら脳卒中など脳血管障害が事故の前に起きており、落馬自体が原因なら頭部外傷性の脳内出血を引き起こしたと考えられる。
落馬から死去まで17日あることから、脳卒中後の誤嚥性・沈下性肺炎の可能性がある。

 

■尿崩症説

落馬で脳の中枢神経を損傷し、抗利尿ホルモンの分泌に異常を来たして尿崩症を起こしたという説。
この病気では尿の量が急増して水を大量に摂取する(=「飲水の病」)ようになり、血中のナトリウム濃度が低下するため、適切な治療法がない12世紀では死に至る可能性が高い。

 

■糖尿病説

『猪隈関白記』の「飲水の病」とは水を欲しがる病であり糖尿病を指すとする。
しかしそのような症状があったという記録はなく、可能性は低い。そもそも糖尿病は直接の死因となる病気ではなく、合併症が死因となる病気である。
仮に糖尿病による死だとしたら、当時の人間がそれが死因と認識して「飲水の病」と記録に残すとは考えにくい(藤原道長も「飲水の病」から糖尿病説があるが、これが原因で死去したとの記録は無い。また晩年視力が低下したとの記録があることから、これが糖尿病の合併症ではないかと推測されている)。

 

■亡霊説

『保暦間記』に記されている。
当時は亡霊や祟りが深く信じられている時代であり、信心深い頼朝には義経や安徳天皇の亡霊が見えたのであろうと言う。
医学でいう意識障害のような失調症があったと捉えることもできる。

ただし「亡霊を見た」という記述をそのまま鵜呑みにするだけでは学説とは言えず、現代医学でいう所での疾患名が特定されないことには意味は無い。
原因と結果は逆であり、何らかの病気で意識が混濁した頼朝が亡霊を見た可能性も否定できない。

 

■溺死説

史料は「飲水の病」「相模川橋供養」「水神の祟り」「海上に現れた安徳天皇」など水を連想させる語が多く、溺れたことが死に繋がったのではと見る。
また相模川河口付近は馬入川とも呼ばれており、頼朝の跨った馬が突然暴れて川に入り、落馬に至ったことに由来するとも伝わる。
溺死説の場合、「飲水の病」は川に落ち溺れ、水を飲み過ぎたことを意味すると見る。

 

■暗殺説

 


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頼朝は子の源頼家や実朝と同じく何者かに暗殺されており、その事実を隠すべく『吾妻鏡』への記載を避けたとする。
或いは北条氏に水銀を飲まされて死んだとも言う。
だがいずれも特に根拠はない。

 

■誤認殺傷説

愛人の所に夜這いに行く途中、不審者と間違われ斬り殺されたとする。
ただし証拠以前に、斬り殺した人間、遭いに行く予定の愛人が誰か特定できないことには、学説として成り立たない。




出典: 「源頼朝」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。 やっぱり、『吾妻鏡』を読んで奇妙に思った人がたくさん居たと見えて、いろいろな説があるのでござ~ますわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、デンマンさんは上の説のどれが事実だったと思うのでござ~ますか?

それに答えるには、まず『吾妻鏡』とは、いったい誰が書いたのか? それを調べるのが先決です!


吾妻鏡

 


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『吾妻鏡』または『東鑑』は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。

成立時期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。
後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。

編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。

 

北条得宗家

得宗(とくそう)は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系。
徳崇、徳宗とも(読みは同じ)。

幕府の初代執権の北条時政を初代に数え、2代義時からその嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9代を数える。

「得宗」とは2代義時に関係する言葉で、研究者によって義時の別称、戒名、追号など意見が異なる。
近年では「徳崇」の当て字・略字で、禅宗に帰依した5代時頼が、浄土宗系の宗派を信仰していた義時に贈った禅宗系の追号の可能性が指摘されている。

義時流、得宗家という呼び方もある。
史料においては北条氏嫡流の当主を「得宗」と指した例は少なく、行政用語であったとも考えられている。




出典: 「源頼朝」 & 「得宗」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、北条得宗家の者が書いたのですわねぇ~。。。



そういうことですよ。

。。。と言う事は、北条氏にとって都合が悪いことが起こったわけですか?

その通りです。。。

。。。つうことわあああァ~。。。 頼朝に愛人ができて、その愛人の夫が北条得宗家の者だったのでござ~ますわねぇ~。。。 それで、その愛人の夫が復讐のために、頼朝を暗殺したのですわねぇ~。。。 そうでしょう?

卑弥子さんは、なかなか察しがいいですねぇ~。。。 実は、その愛人の名が 北条卑弥子 なのですよ。。。

 


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マジでござ~ますかあああァ~? あたくしの北条系統の祖先なのですかあああァ~? つまり、■誤認殺傷説 ですかあああァ~?



いや、それは 真っ赤な嘘 です! この時、愛人は確定できなかったし、妻を寝取られた殺人犯も居なかった!

こういう真面目なお話のときに 真っ赤な嘘 をつかないでくださいなァ~!。。。 それでは。。。、それでは。。。、頼朝の死因は何でござ~ますかァ~?

■暗殺説 ですよ!

。。。で、その犯人は。。。?

北条時政の命令を受けた北条得宗家の者ですよ。。。 だからこそ、『吾妻鏡』には真相が書けずに、落馬が原因であるかのように書き入れたのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、その証拠でのあるのでござ~ますか?

実際に手を下した殺人犯の名前までは分かっていないけれど、■暗殺説 を裏付けるような証拠があるのです。。。

マジで。。。?

ここで僕が、書き出すと長くなるので、次のクリップを見てください。。。

 


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信じられませんわ!



じゃあ、もう一度じっくりと上のクリップを見てください。。。



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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたは、上の暗殺説を信じることができますかァ~?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)



 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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紀元前のメイフラワー号

 

紀元前のメイフラワー号

 


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デンマンさん! どういうわけで紀元前のメイフラワー号を持ち出してきたのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんは僕が持ち出したと思っているのですか?

だってぇ~、タイトルを書くのはデンマンさんでござ~♪~ますわァ~。。。

確かにタイトルを書くのは僕です。。。 でもねぇ~、上のタイトルを書くように促(うなが)したのは他の人なのですよ。。。

それはどなたでござ~ますか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で 3月5日の午後3時56分から 6日の午前3時44分までの約12時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



あらっ。。。 3月5日の午後6時5分に『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

 



実は、岐阜県 中津川市に住んでいる 津川美里 (つがわみさと) さんが読んだのです。。。

 


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デンマンさんは、またIPアドレスを調べて津川美里さんが読んだことを突き止めたのですか?



そうです。。。

 


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あらっ。。。 この上の写真の女性が津川美里さんでござ~ますかァ?



そうです。。。

いつものように、女性がアクセスする場合は、きれいな写真を貼り付けるのですわねぇ~!

いけませんかァ~?

そういうことをすると、あの悪名高い「現実主義者」と名乗る男が「デンマンは女尊男卑だァ!」と喚いてムカつくと思いますわァ~。。。

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 



いや。。。 あの馬鹿はきれいな女性を見れば男性ホルモンを全開してスキップして喜びますよ!

 



(smilerol.gif)

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

40過ぎても 結婚できない

オイラのために デンマンさんが

可哀想だと思って

ちれいな女の子の写真をベタベタ

貼り付けてくれるのです。

 

このぶんだと、上の記事を読んで

読者の中から、

オイラにプロポーズしたい女性が

きっと現れると思います。

オイラはウハウハしながら

男性ホルモンを全開します。

きゃははははは。。。

 

こうなったら、もう無条件に

スキップして喜びたいと思います!


(smilejp.gif)

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

ああァ~、うれしいなあああァ~。。。


 



あの馬鹿は、きっとこのように狂喜すると思うのですよ。。。



馬鹿バカしいので、本題に入りますわ。。。 津川美里さんは、どういうわけで『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を読んだのでござ~ますか?

あのねぇ~、津川美里さんは岐阜県中津川市にある中京学院大学で経営学を専攻しているのですよ。

 


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経営学を専攻している美里さんは歴史に ものすごく興味があったのですよ。。。 実は、第一志望は名古屋大学文学部で歴史学を専攻しようと思ったのです。。。 でもねぇ、残念ながら落ちてしまって、それで中京学院大学で経営学を勉強することになったのです。。。



でも、やっぱり歴史に興味があってネットサーフィンしていたら『日本へ、紀元前のメイフラワー号』に出くわしたというわけでござ~ますか?

そういうことです。。。

。。。で、美里さんは どうやって『日本へ、紀元前のメイフラワー号』を探し当てたのでござ~ますか?

次のように検索したのです。

 


(gog90306a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あらっ。。。 「日本 紀元前 メイフラワー号 barclay1720」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、いったい美里さんは何を調べようとしたのでござ~ますか?

次の箇所を探していたのですよ。。。



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日本伝承地:

① 佐賀県武雄市

② 佐賀県佐賀市

③ 佐賀県諸富市

④ 福岡県八女市

⑤ 福岡県筑紫野市

⑥ 鹿児島県串木野市

⑦ 鹿児島県坊津町

⑧ 宮崎県延岡市

⑨ 宮崎県宮崎市

⑩ 高知県佐川町

⑪ 山口県上関町祝島

⑫ 広島県宮島町

⑬ 京都府伊根町

⑭ 和歌山県新宮市

⑮ 三重県熊野市

⑯ 愛知県熱田神宮

⑰ 愛知県小坂井町

⑱ 静岡県清水市

⑲ 山梨県富士吉田市

⑳ 山梨県河口湖町

21 東京都八丈町

22 東京都青ヶ島村

23 秋田県男鹿市

24 青森県小泊村

韓国伝承地:

A 済州(チェジュ)島

B 南海(ナメ)島

中国伝承地:

1 秦皇島

2 千童城・丱兮城(黄驊県)

3 黄県 (登州湾)

4 成山頭

5 徐福島 (嶗山湾)

6 徐山 (膠州湾)

7 琅邪台 (琅邪湾)

8 贛楡 (海州湾)

9 東海

10 霊山 (舟山群島)

11 大蓬山 (慈渓・杭州湾)

12 会稽 (紹興・杭州湾)

13 蓬莱山 (象山県)




これだけ伝説の場所が残っているということは、徐福さんが日本へやって来たという可能性があるということですわね。



そうですよ。 「火のない所に煙は立たず」と昔の人も言いましたからね。。。

でも、日本中に伝説の地が散らばっているというのは、どういうわけでござ~ますか?

あのねぇ~、徐福さんの一行は5,000人を越えていたのですよ。。。 ということは一艘の船に 175人が乗るとして、およそ50艘の船でやって来たのですよ。 すると、この50艘の船を造るとしても一箇所では造れない。 だから、出航地も一箇所ではなかったと考えられる。 上の地図にはたった一つの航路だけを書き入れたのだけれど、本当は、もっとたくさんの航路を使ってやって来たわけですよ。

それで、中国でも伝承地がいくつかあるのでござ~ますわねぇ?

そういうことですよ。

でも、船が着いた所が日本中に散らばっているというのは、どういうわけでござ~ますか?


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あのねぇ~、遣唐使のことを考えてみても、当時の船旅は4艘で船出をすると その内の1艘か2艘は遭難したのですよ。 だから、一番近い九州を目指したとしても、黒潮に流されて、四国や、和歌山県のあたりや 東海地方、八丈島や青ヶ島に流されたりしてしまう。 また黒潮は日本海のほうにも分かれていて、それに乗ると京都府の伊根町や、遠く、秋田県や青森県の方まで流されてしまう。 


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上のおっさんの写真は、実は、青森県北津軽郡中泊町にある「徐福の里公園」に立っている徐福の像ですよ。



。。。んで、一体どう言う訳で徐福さんたちは日本へやって来たのでござ~ますか?

あのねぇ~、徐福と彼の船団が日本へやって来たのは紀元前210年から紀元前200年頃なのですよ。 秦の始皇帝が長寿の神薬(不老不死の薬)を欲しがったので、それで徐福が日本へ行けば手に入れることができると願い出て旅立ったのですよ。 それから80年経った頃の事として『史記』には次のような証言が載せられている。


海の上で大神に会いました。
神は「西の皇帝の使者か」というので、「そうです」と答えました。
「何を求めるのか」と訊くので、「延命長寿の薬です」と答えました。
神は「汝の秦王の礼物が少ないので手にいれることができないのだ」と答えました。
ついで東南の蓬莱山に私を連れて行きました。
霊芝(れいし)でつくられた宮殿を見ました。
使者は銅色(あかがね)で龍の形をしており、光が上がり天を照らしていました。
「何を献上すればいいですか」と尋ねますと、「育ちのいい少年少女といろいろの道具、技術を献上すれば神薬を得られるだろう」と言いました。
始皇帝は大いに喜びその通りにしました。
徐福は海の向こうの平野で水の豊かな地に着き、王となって帰りませんでした。

そこで秦の民は悲しみ、嘆きあい、乱を起こそうというものが十戸のうち六戸になった、という。




出典:『史記』 巻118・列伝58




徐福さんは、どうして秦の国に帰らなかったのでござ~ますか?



あのねぇ~、初めから帰る気がなかったのですよ。

どうして。。。? それでは、秦の始皇帝に嘘を言って船出をしたことになるではござ~ませんかァ!

あのねぇ~、上の引用文の中には徐福が帰らなかったので「秦の民は悲しみ、嘆きあい、乱を起こそうというものが十戸のうち六戸になった」と書いてあるけれど、因果関係は逆なのですよ。

どういうことでござ~ますか?

あのねぇ~、秦の始皇帝が不老不死の薬を欲しがっている。。。 つまり、始皇帝が我侭な政治を行うようになっていたのですよ。 だから、当時、秦の国は乱れ始めて、乱があちこちで起こり始めた。 それで、難民が出始めていたのですよ。

つまり、5、000人もの難民を従えて日本に逃亡するのでは とても不可能と見て 徐福さんは計略を思いついたのでござ~ますか?

そうですよ。 始皇帝の欲しがる不老不死の薬が 日本へ行けばゲットできると申し上げれば渡航の許しが出るに違いない、と考えたわけですよ。

それで、まんまと 5、000人以上を引き連れて日本へ逃亡したのでござ~ますか?

その通りですよ。 考えてみてください。 あの有名なメイフラワー号だって、清教徒がイギリスでの迫害に耐えかねてアメリカへ集団で逃亡したのですよ。

 


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つまり、徐福さんの一行も秦の滅亡を予感し、戦乱を逃れる逃避行だったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?



その通りですよ。 秦が滅んだ600年後 4艘の遣唐使船で出かければ2艘が沈むというのが常識だった。 そのような危険が当時の航海にはつき物だった。 徐福さんがやって来たのは遣唐使よりもずっと以前の時代ですよ。 それにもかかわらず、命の危険も省(かえり)みずに未知の航海に乗り出す理由には、「どうせ戦乱に巻き込まれて秦で殺されてしまうのであれば、一か八かの勝負にかけてみよう!」と思ったに違いない。

それで、徐福さんは5、000人以上の難民と共に船出したわけでござ~ますか?

その通りですよ! 紀元前のボートピープルです。



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呉という国は、上の地図に書き込んだように、その寿命は、せいぜい50年です。
日本の長い歴史の中では、ほんの一瞬というような短い間なのに、呉人たちは、日本の文化に大きな影響を残しているわけです。
そのことは前にも書いたように、漢字の読みの呉音というかたちで、日本語の中に消しがたい足跡を残しています。
しかも、呉人のことをすっかり忘れ去っても、『呉服』という言葉をいまだに使っているように、『呉』は日本語にすっかり定着しています。

これとちょうど同じように、その当時の呉人の血は、間違いなく我われの体の中に、流れているわけです。
50年と言えば、一人の人間の一生の長さです。
一人の呉人がやってきたぐらいでは、これほどの影響はないでしょう。
ということは、国が滅んだ後に、相当数の呉人が日本へやってきたはずです。
一体、幾人の呉人がやってくると、これほどの影響が日本に残るのか?
ちょっと考えてみてください。

聖徳太子が生まれるのは、この呉の国が滅んでから、約300年後です。
しかし、見逃してならないのは、この300年というのは、大陸はもちろん、朝鮮半島も、日本も含めて、激動の時代でした。
中国では、下の年表に示すように、西晋、東晋を経て南北朝時代に入ります。


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隋が中国を統一するまでに、なんと、11王朝が起こっては滅びます。
しかも平穏に王朝が交代するというようなことはありません。
必ず戦乱がつき物です。
すると、当然のことながら難民が出ます。
これは何も、古代にかぎったことではありません。
ベトナムからの難民騒ぎを覚えているでしょうか?


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サイゴン(現ホーチミン市)が無血陥落(1975年4月30日)してベトナム戦争は終わりました。
しかし、その後の迫害を恐れる者、よりよい生活や自由を求める者などが小船に乗って次々とべトナムをあとにします。
いわゆる「ボートピープル」と呼ばれる大量の難民の出現です。

漂流中を漁船や貨物船、タンカーなどに救助された難民が、1977年5月28日の37人を皮切りに、日本へもやってきました。
1989年以降はベトナム難民を装った中国人の偽装難民も出現し、同年9月には、鹿児島に回航した149人もの“難民”を収容する施設がなく、神戸に再回航するというような事態も発生しました。

現代においても、このような事態が出現するわけですから、古代において、しかも、もっと身近な、中国沿岸、あるいは朝鮮半島からの、たび重なる難民の数は、相当なものだったことが容易に想像されます。
280年に呉が滅んでから、663年に百済が滅びるまでの間は、おそらく、日本史上で最も渡来人が数多く日本へやってきた時期だったでしょう。




『日本人はどこから来たの?』より
(2013年10月1日)




つまり、歴史的には徐福がボートピープルの先陣を切ったのですよ。




『日本へ、紀元前のメイフラワー号』より
(2014年1月28日)




でも。。。、でも。。。。、津川美里さんは経営学を勉強しているのに、どうして徐福伝説に興味を持ったのでござ~ますかァ?



あのねぇ~、美里さんは、やっぱり歴史に興味があって、実は、徐福に関する歴史小説を書き始めたのですよ。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

そうです。。。 そういうわけで、徐福に関する記事を探し求めていたのです。。。 2年前にも美里さんは、上の記事を読んだことがあるのです。。。

。。。で、今回、歴史小説を書き始めたので、改めて読んでみたということでござ~ますかァ?

そういうことです。。。

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは、どうしてそんな事まで ご存知なのですか?

もちろん、美里さんが僕にメールを書いてよこしたからですよ。。。 それに、「卑弥子さんにもよろしく」と書いてありました。。。

マジで。。。?

あのねぇ~、昔の人は “信じる者は救われる!” と言ったのです。。。 だから、卑弥子さんも素直に信じて、ルンルン気分で幸せになってねぇ~。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。 あなたは、 どう思いますか?

デンマンさんの言う事を信じますかァ~。。。?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

あなたが、そのように言うのであれば、ちょっと面白い映像をお目にかけます。

次のクリップは嫌いなプレゼントをもらってムカついている子供たちの映像です。

面白いから、じっくりと見てくださいまし。。。

 


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どうでした?

ええっ。。。 「もう過ぎてしまったクリスマスのことなど どうでもいいから、何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


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いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


(maria05.jpg)

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


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『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


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『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』

『放屁女に罰金』

『アヤメとカキツバタ』

『日本の閨房術』

『大団円』

『ペルシャ人@Anzio』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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頼朝の死の謎


 

頼朝の死の謎

 


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デンマンさん。。。 今日は源頼朝の死の謎に迫るのでござ~♪~ますかァ~?


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そうです。。。 いけませんか?

でも、どういうわけで急に 頼朝の死の謎 を持ち出したのでござ~♪~ますかかァ?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



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歴史の表層だけを見れば、頼朝と政子は典型的な成功者夫婦であり、誰よりも幸せだったと思われるだろう。
だがその内幕は、そんな生易しいものではなかった。
 
寿永2年(1183)、長女の大姫が6歳の時、頼朝は勃興してきた木曽義仲と手を組み、平家を倒そうとする。
この時、義仲は嫡男で11歳になる義高を人質兼大姫の婿として鎌倉に送ってきた。
だが翌年、この関係も破綻し、義仲は頼朝の弟の義経らによって討伐された。
 
この一報を受けた義高は鎌倉から逃れようとするが、追捕を受けて討ち死にを遂げてしまう。
これによりショックを受けた大姫は心を病み、寝ては起きての生活の末、20歳で死去することになる。
その2年後には次女の乙姫も病死し、政子は二人の女子に先立たれてしまった。
 
しかもこの頃から、頼朝の表立った政治活動が見られなくなる。
実は鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』は、頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無なのだ。
 
この欠落期間、それまで朝廷権力の吸収に余念がなかった頼朝と鎌倉幕府は、なぜか無為無策を続け、朝廷勢力の挽回を許してしまう。
 
それが承久の乱につながっていくのだが、その理由は分かっていない。
しかも建久10年(1199)の頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではないことが分かってくる。
 
では、馬に乗れるほど健康であるにもかかわらず、頼朝はなぜ無為無策に陥ったのか。
鎌倉幕府の文士(吏僚)たちは、いったい何をしていたのか。
これこそは歴史の謎と言っていいだろう。
 
 
 
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
 


 
103-104ページ 『日本史の新常識』
編者: 文藝春秋
2018年11月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




なるほどォ~。。。 「頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無」ということは、何か異変が起こっていたということですわねぇ~。。。



でもねぇ~。。。 「頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではない」のですよ。。。 つまり、馬に乗れるぐらいには元気だったというわけです。。。

それにもかかわらず、死ぬまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』には、何の記載もないということでござ~ますか?

そういうことですよ! 不思議と言えるでしょう! ミステリーですよ。。。

やっぱり、秘密が隠されているのでござ~ましょうか?

そうとしか考えられないでしょう!

。。。で、デンマンさんは、頼朝は馬から落ちたことが死因ではないと考えているのですか?

当然でしょう! 落馬が原因であれば、それまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』に将軍の頼朝についての記述が一切無いというのは可笑しいでしょう!?

つまり、歴史に残るような、後世に知られてはまずいことが、この2年余りの間に何かが起こったということでござ~ますか?

その通りですよ! だから、仕方が無いので『吾妻鏡』には、何の記載もないのですよ!

でも。。。、でも。。。、歴史家に限らず、『吾妻鏡』を読む人がいれば、その事について奇妙に思うでしょう?

そうですよ。。。 だから上の本でも、著者が奇妙に思って書いているわけですよ。。。

。。。で、デンマンさんは頼朝の死因は何だと思うのでござ~ますかァ?

もちろん、僕には僕なりの死因についての考えがあります。。。 でも、ここで言う前に、これまでにも諸説があるのですよ。。。 それを書き出します。。。


頼朝の死因

 

各史料では、相模川橋供養の帰路に病を患ったことまでは一致しているが、その原因は定まっていない。
『吾妻鏡』は「落馬」、『猪隈関白記』は「飲水の病」、『承久記』は「水神に領せられ」、『保暦間記』は「源義経や安徳天皇らの亡霊を見て気を失い病に倒れた」と記している。
これらを元に、頼朝の死因は現在でも多くの説が論じられており、確定するのはもはや不可能である。
死没の年月日については、それ以外の諸書が一致して伝えているため、疑問視する説は存在しない。

 

■落馬説

 


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建久9年(1198年)重臣の稲毛重成が亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に出席した帰りの道中に落馬したということが『吾妻鏡』に記された死因であり、最も良く知られた説である。
その死因が『吾妻鏡』に登場するのは、頼朝の死から13年も後のことであり、死去した当時の『吾妻鏡』には、橋供養から葬儀まで、頼朝の死に関する記載が全く無い。

これについては、源頼朝の最期が不名誉な内容であったため、徳川家康が「名将の恥になるようなことは載せるべきではない」として該当箇所を隠してしまったとする俗説があるが、『吾妻鏡』には徳川家以外に伝来する諸本もあり、事実ではない。
なお、死因と落馬の因果関係によって解釈は異なる。

落馬は結果であるなら脳卒中など脳血管障害が事故の前に起きており、落馬自体が原因なら頭部外傷性の脳内出血を引き起こしたと考えられる。
落馬から死去まで17日あることから、脳卒中後の誤嚥性・沈下性肺炎の可能性がある。

 

■尿崩症説

落馬で脳の中枢神経を損傷し、抗利尿ホルモンの分泌に異常を来たして尿崩症を起こしたという説。
この病気では尿の量が急増して水を大量に摂取する(=「飲水の病」)ようになり、血中のナトリウム濃度が低下するため、適切な治療法がない12世紀では死に至る可能性が高い。

 

■糖尿病説

『猪隈関白記』の「飲水の病」とは水を欲しがる病であり糖尿病を指すとする。
しかしそのような症状があったという記録はなく、可能性は低い。そもそも糖尿病は直接の死因となる病気ではなく、合併症が死因となる病気である。
仮に糖尿病による死だとしたら、当時の人間がそれが死因と認識して「飲水の病」と記録に残すとは考えにくい(藤原道長も「飲水の病」から糖尿病説があるが、これが原因で死去したとの記録は無い。また晩年視力が低下したとの記録があることから、これが糖尿病の合併症ではないかと推測されている)。

 

■亡霊説

『保暦間記』に記されている。
当時は亡霊や祟りが深く信じられている時代であり、信心深い頼朝には義経や安徳天皇の亡霊が見えたのであろうと言う。
医学でいう意識障害のような失調症があったと捉えることもできる。

ただし「亡霊を見た」という記述をそのまま鵜呑みにするだけでは学説とは言えず、現代医学でいう所での疾患名が特定されないことには意味は無い。
原因と結果は逆であり、何らかの病気で意識が混濁した頼朝が亡霊を見た可能性も否定できない。

 

■溺死説

史料は「飲水の病」「相模川橋供養」「水神の祟り」「海上に現れた安徳天皇」など水を連想させる語が多く、溺れたことが死に繋がったのではと見る。
また相模川河口付近は馬入川とも呼ばれており、頼朝の跨った馬が突然暴れて川に入り、落馬に至ったことに由来するとも伝わる。
溺死説の場合、「飲水の病」は川に落ち溺れ、水を飲み過ぎたことを意味すると見る。

 

■暗殺説

 


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頼朝は子の源頼家や実朝と同じく何者かに暗殺されており、その事実を隠すべく『吾妻鏡』への記載を避けたとする。
或いは北条氏に水銀を飲まされて死んだとも言う。
だがいずれも特に根拠はない。

 

■誤認殺傷説

愛人の所に夜這いに行く途中、不審者と間違われ斬り殺されたとする。
ただし証拠以前に、斬り殺した人間、遭いに行く予定の愛人が誰か特定できないことには、学説として成り立たない。




出典: 「源頼朝」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。 やっぱり、『吾妻鏡』を読んで奇妙に思った人がたくさん居たと見えて、いろいろな説があるのでござ~ますわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、デンマンさんは上の説のどれが事実だったと思うのでござ~ますか?

それに答えるには、まず『吾妻鏡』とは、いったい誰が書いたのか? それを調べるのが先決です!


吾妻鏡

 


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『吾妻鏡』または『東鑑』は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。

成立時期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。
後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。

編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。

 

北条得宗家

得宗(とくそう)は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系。
徳崇、徳宗とも(読みは同じ)。

幕府の初代執権の北条時政を初代に数え、2代義時からその嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9代を数える。

「得宗」とは2代義時に関係する言葉で、研究者によって義時の別称、戒名、追号など意見が異なる。
近年では「徳崇」の当て字・略字で、禅宗に帰依した5代時頼が、浄土宗系の宗派を信仰していた義時に贈った禅宗系の追号の可能性が指摘されている。

義時流、得宗家という呼び方もある。
史料においては北条氏嫡流の当主を「得宗」と指した例は少なく、行政用語であったとも考えられている。




出典: 「源頼朝」 & 「得宗」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、北条得宗家の者が書いたのですわねぇ~。。。



そういうことですよ。

。。。と言う事は、北条氏にとって都合が悪いことが起こったわけですか?

その通りです。。。

。。。つうことわあああァ~。。。 頼朝に愛人ができて、その愛人の夫が北条得宗家の者だったのでござ~ますわねぇ~。。。 それで、その愛人の夫が復讐のために、頼朝を暗殺したのですわねぇ~。。。 そうでしょう?

卑弥子さんは、なかなか察しがいいですねぇ~。。。 実は、その愛人の名が 北条卑弥子 なのですよ。。。

 


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マジでござ~ますかあああァ~? あたくしの北条系統の祖先なのですかあああァ~? つまり、■誤認殺傷説 ですかあああァ~?



いや、それは 真っ赤な嘘 です! この時、愛人は確定できなかったし、妻を寝取られた殺人犯も居なかった!

こういう真面目なお話のときに 真っ赤な嘘 をつかないでくださいなァ~!。。。 それでは。。。、それでは。。。、頼朝の死因は何でござ~ますかァ~?

■暗殺説 ですよ!

。。。で、その犯人は。。。?

北条時政の命令を受けた北条得宗家の者ですよ。。。 だからこそ、『吾妻鏡』には真相が書けずに、落馬が原因であるかのように書き入れたのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、その証拠でのあるのでござ~ますか?

実際に手を下した殺人犯の名前までは分かっていないけれど、■暗殺説 を裏付けるような証拠があるのです。。。

マジで。。。?

ここで僕が、書き出すと長くなるので、次のクリップを見てください。。。

 


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信じられませんわ!



じゃあ、もう一度じっくりと上のクリップを見てください。。。



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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたは、上の暗殺説を信じることができますかァ~?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


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どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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■ 『きれいになったと感じさせる

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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『更級日記の作者も見た』

『平安のスバル』

『行田市長選挙@黒い霧』

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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更級日記の作者も見た


 

更級日記の作者も見た

 


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デンマンさん。。。 更級日記の作者も見た と書いてありますけれど、何を見たのでござ~♪~ますかァ~?


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だから、この記事のタイトルの すぐ下に写真が出ているでしょう!

これは何かの爆発ですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 宇宙の星の爆発です。。。

最近のことでござ~ますか?

天文学的には、ごく最近ですけれど、日本史では11世紀の出来事ですよ。。。

その爆発を更級日記の作者も見たのでござ~ますかァ~?

まず間違いなく見たはずです。。。

でも。。。、でも。。。、どうして急に11世紀の出来事を持ち出したのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



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    オリオン星雲

 

強烈な光で電離されている電離ガス雲の代表格はオリオン星雲で (略) 

ここでは、衝突で電離された電離ガス雲の代表例として、超新星残骸“かに星雲”を紹介しておこう。

 


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    かに星雲

 

おうし座の方向に見えるこの星雲は、ある意味由緒正しい。
藤原定家が著した『明月記』に記された超新星の今の姿なのだ。

爆発は明月記によれば1054年のことだった。
強烈な爆風でガスは分離して、美しく輝いている。

先ほど、電離の説明では簡単のために水素原子を例にとった。
しかし、電離されるのは水素原子だけではない。

炭素も、窒素も、酸素も、さまざまな原子が電離される。
それらはさまざまな波長で輝く。
そのため、かに星雲は色鮮やかな姿をしている。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




42ページ 『天の川が消える日』
著者: 谷口義明
2018年6月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 日本評論社




爆発は明月記によれば1054年のことだったと書いてござ~ますけれど、更級日記の作者はこの時生存していたのですか?



もちろんですよ。。。 次の小文を読んでみてください。


菅原孝標女

 


(sarashina2.jpg)

寛弘5年(1008年)-康平2年(1059年)以降?

 

菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)は、平安時代の貴族の女性。
本名は伝わっていない。

10歳頃から50歳頃までの人生を回想した『更級日記』の作者。
更級日記御物本奥書から、『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者ではないかとも言われる。

 

略歴

父は菅原道真の玄孫で上総国・常陸国の受領を務めた菅原孝標。
母は藤原倫寧の娘。
母の異母姉(伯母)は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母。
兄・定義、甥・在良は学者である。

彼女は寛弘5年(1008年)に出生。
寛仁4年(1020年)、上総国における父の上総介としての任期が終了したので一家で帰国(上京)し、3ヶ月ほどの旅程を経てようやく京へと入った。

帰国するころ彼女は13歳で、更級日記は上総国に居る頃から始まっている。
当時、物語に対する熱が冷めず、翌年に上京した伯母から『源氏物語』五十余巻などを貰い、昼夜を問わず読み耽った。

夢に僧が出てきて(女人成仏が説かれている)「法華経・第五巻を早く習え」と言うが、心にも掛けず物語を読みふけったことを、後年更級日記の中で、「まづ いとはかなく あさまし」と批評している。
万寿元年(1024年)には姉が二女を残して亡くなり、なお物語に耽読した。
しかし、この頃から「信心せよ」との啓示を夢に見るようになる。

祐子内親王に仕え、長久元年(1040年)頃、橘俊通と結婚。
寛徳2年(1045年)に一男(仲俊)と二女をもうけたが、俊通は康平元年(1058年)に死去し、子供達も独立して彼女は孤独になった。
このあたりで更級日記は終わっている。




出典: 「菅原孝標女」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどォ~。。。 つまり、宇宙での爆発が起きたのが1054年。。。 その時、更級日記の作者は存命だったのですわねぇ~。。。 でも、日記には爆発のことは書かれてないのでしょう?



あのねぇ~、旦那が亡くなったのが1058年ですよ。。。 つまり、1054年頃から旦那の健康状態が悪かったに違いない。。。 だから、日記に爆発のことを書く気持ちの余裕がない。。。 しかも、その当時、そのような天体の異常は不吉なことだと考えられていた。。。 作者はいやな予感を持ったに違いない。。。

つまり、旦那が亡くなった時には、その予感が当たってしまったと思ったのですわねぇ~。。。

おそらく、そういうことでしょう。。。 だから、日記には書きたくない。。。 旦那が病床に伏す頃から、作者の心もふさいできて、やがて孤独になって、日記を書かなくなってしまった。

それで、更級日記には爆発の記載がないのですか?

たぶん、そういうことだと思うのですよ。。。

でも、実際に、その爆発は、当時の人が誰もが見たのですか?

もちろんですよ。。。 そういう不吉なことには、誰もが関心を持っていた! しかも、作者は、殊の外(ことのほか) 好奇心が旺盛だった。 だから、日記も書いていたのですよ。。。 ちょっと次の小文も読んでみてください。。。


明月記

 


(meimoon2.jpg)

 

『明月記』(めいげつき)は、鎌倉時代の公家である藤原定家の日記。
治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたる克明な記録である。
別名:『照光記』、『定家卿記』。

後世、歌道・書道において重んじられた藤原定家の日記である。
『明月記』の名は後世の名称で定家が命名したものではなく、当人自身は「愚記」と読んでいた。
没後、定家の末裔内では「中納言入道殿日記」の称を用いたが、一般的には「定家卿記」の名称が用いられていたようである。

南北朝の頃から『明月記』の名称が用いられるようになったとされる。

 

天文学の記録として

日記には、定家自身が遭遇したものや過去の観測記録など、さまざまな天体現象についての記録も残されている。
当時、見慣れぬ天体現象(天変)は不吉の前兆であると考えられており、人々の関心事だったのである。
『明月記』の天文記録としては、かに星雲を生んだ超新星爆発(SN 1054)の記述があることが著名であるが、これは定家の出生以前の出来事であり、陰陽師が報告した過去の記録が日記に残されたものである。

近代日本の天文学者たちは、1930年代に天文古記録を体系的に調査した。
東京天文台の神田茂は、1931年より全国の文献調査に着手し、その成果は1934年から1935年にかけて『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』として出版された。
これと同時期に、神田とも親交のあったアマチュア天文家の射場保昭は、日本の天文古記録を英文で海外に紹介し、『明月記』も海外にも知られるようになった。

 

客星

「客星」とは「ふだん見慣れない星」を意味するもので、超新星や新星、彗星などが含まれる。

『明月記』において「客星」が最初に登場する記事は、寛喜二年十一月一日条(1230年12月6日。以下本節において、漢字による日付はいわゆる旧暦(宣明暦)による記載、算用数字による日付はユリウス暦による記載)である。
この時の「客星」の正体は彗星で、同四日条には定家による「この星朧々として光薄し。その勢い小にあらず」という観察が記されており、このほか日記中には不安を覚えた当時の人々の反応も記載されている。

この「客星」に触発された定家は、十一月二日に家に出入りしていた陰陽師の安倍泰俊(陰陽寮漏刻博士)に、過去の客星の出現例を問い合わせた。
過去の客星出現の際にどのような凶事が起きたのかを知ろうとしたのである。
八日に、泰俊は記録されていた過去の客星出現の記録8例のリストを報告書として定家に提出しており、定家は同日の日記の末尾に、この報告書を挟み込んだ。

この8例のうち、以下の3例が超新星の記録である。

 


(newstars.png)

 

SN 1054 は、以下のように記録されている。

 


【原文】

後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星

【原文読み下し】

後冷泉院・天喜二年四月中旬以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。


午前2時頃に、觜・参の星宿(おおむね現在のオリオン座にあたる)と同じ赤経にあたる、天関星(おうし座ζ星)付近に出現したとするもので、木星のように輝いていたというものである。

ただし、時期については曖昧であり、旧暦四月中旬(1054年5月20-29日)ではおうし座が太陽方向にあたって超新星が観測できないため、「五月中旬」(1054年6月19-28日)の誤りであろうと考えられる。

『明月記』の記録を含む日本の「客星」記録は、1934年に『ポピュラー・アストロノミー』に掲載された。
1942年、ニコラス・メイオール(英語版)やヤン・オールトらは、『明月記』の記録などをもととして、1054年の「客星」が超新星であり、かに星雲がその残骸であることを明らかにする論文を発表した。




出典: 「明月記」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほどォ~。。。 更級日記の作者は日記には書かなかったけれども、不吉な予感に気がめいっていたのですわねぇ~。。。



そうですよう。。。 その爆発も、たぶん、作者が日記を書かなくなった一因だと僕は思うのですよ。。。

そうかしら。。。?

卑弥子さんは、僕の言う事が信じられないのですか?

もちろん信じますわよう。。。 “信じる者は救われる!” と 昔の人も言いましたから。。。



(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 あなたはも、デンマンさんのおっしゃったことが信じられますか?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)



 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


(maria05.jpg)

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


(costa04b.jpg)

『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


(annasalleh.jpg)

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』

『放屁女に罰金』

『アヤメとカキツバタ』

『日本の閨房術』

『大団円』

『ペルシャ人@Anzio』

『紀元前のメイフラワー号』

『あたまにくる一言』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


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卑弥呼の墓


 

卑弥呼の墓

 


(himiko130.jpg)


(himiko131.jpg)


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あらっ。。。 今日は あたくしの遠い祖先のお話なのでござ~ますわねぇ~。。。


(kato3.gif)

あれっ。。。 あの有名な卑弥呼は卑弥子さんの遠い祖先なのですかァ~?

あたくしは日本人ですものォ~。。。 卑弥呼さんの血の1敵や2滴ぐらいは あたくしの血の中にも受け継がれていると思うのでござ~ますわァ~。。。 それにあたくしの名前も一字違いですもの。。。 おほほほほほほ。。。。

つまり、何の証拠もないのですねぇ~?

だから、あたくしの名前がその証拠ですわよゥ!

そんなの証拠にはなりませんよ!

卑弥呼が あたくしの遠い祖先であることを信じないのであれば、デンマンさんは なぜ卑弥呼の墓を持ち出してきたのでござ~ますか?

実は、11月28日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を見たのですよ。。。

 


(lib81130a.png)


『拡大する』

『実際のページ』



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デンマンのコメント

Nov 28, 2018

 

Directed by Roar Uthaug in 2018 based on the 2013 video game of the same name, this American and British film depicts the adventure of Lara Croft.

Lara finds a pre-recorded video message from her father detailing his research into Himiko (卑弥呼), the mythical Queen of Yamatai (邪馬台) who was said to command the power over life and death.

She embarks on a perilous journey to her father's last-known destination---the island of Yamatai.

Although I enjoyed this action-adventure flick, the island of Yamatai is ridiculously misplaced.

Himiko (卑弥呼) is a historical figure who lived during the period (c. 170–248 CE) as a shamaness-queen of Yamataikoku (邪馬台国)---part of ancient Japan.

However, the whole story is fake fiction since her tomb has NOT been found yet.




2018年にローアル・ユートハウグ監督によって制作された英米合作のこの映画は2013年に発売された同名のビデオゲームに基づいている。
ララ・クロフトを主人公とした冒険物語である。

ララは父親が残したビデオを発見する。
そのビデオには 生と死を自由に操ることができる魔力を持つとされる邪馬台国の女王、卑弥呼に関する研究が記録されていた。

父親が最後にたどり着いたという邪馬台島に向かってララは危険な旅に出発する。

僕はこの冒険映画を楽しんだのだけれど、邪馬台島というのは歴史的には全く根拠のない場所に位置している。

卑弥呼は歴史上の人物で紀元170頃に生まれ248年に亡くなったとされる。
彼女は古代日本の一部、邪馬台国のシャーマンであり女王であった。

でも、この冒険物語は、歴史とは無関係な全くのフィクションである。


 



要するに、映画は面白かったけれど、歴史とは関係ない馬鹿バカしい話だと言いたいのですわねぇ~?



そうです。。。 いけませんか?

それはデンマンさんの極めて個人的な意見でしょう!?

もちろん、そうです。。。

でも、この「トゥームレイダー」冒険映画はシリーズとしてたくさん作られ、人気のある映画なのですわァ。 たくさんのファンがいると聞いたことがありますわァ~。。。

そうらしいですよ。。。 卑弥子さんも観たのですか?

いえ。。。 あたくしはまだ観た事がござ~ませんわァ~。。。

だったら、上の映画とは違うけれど、日本語の字幕が出てくる、内容はほぼ同じ映画があります。。。 2時間半の大作だけれど、じっくり観てください。。。

 


(raider01.jpg)



トゥームレイダー: 邪馬台国編

 



あとでゆっくりと観させていただきますわァ~。。。



あのねぇ~、僕はけっこう歴史には関心があるのですよ。。。 卑弥呼が歴史上の人物だから、多少は歴史的なことが出てくるのかな? そう思った。。。 ところが、映画の中で 卑弥呼の墓 がなんと紀伊半島の沖の無人島に設定されていたのですよ。。。

それで馬鹿バカしくなって途中で映画を観るのを止めてしまったのでござ~ますかァ?

いや。。。 歴史的には馬鹿バカしいと思ったけれど、映画自体は面白かったので最後まで観ました。

だったら、なにも こうしてダラダラと映画の話をしなくてもいいではありませんか!

でもねぇ~、卑弥呼の墓 が紀伊半島の沖の無人島にあるなんてぇ、どう考えても馬鹿バカしいじゃありませんか! だから、僕は本当の卑弥呼の墓について書こうと思ったわけです。。。

それならば、すでに決まっているのですわァ~。

あれっ。。。 卑弥子さんは卑弥呼の墓がどこにあるか知っているのですか?

知ってますわよう。。。 テレビでやってましたわ。。。

 


(himiko131.jpg)




箸墓古墳

 

箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中にある古墳。形状は前方後円墳。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。
また周濠が国の史跡に指定されているほか、周濠の一部は「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。

 

被葬者

宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されているが、この古墳を卑弥呼の墓とする研究者もいる。

その根拠としては、

●この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致することとしている。定説では、魏・晋時代の一尺は24.3cm[10]、一里は1800尺=300歩であり、魏・晋時代の1里は約435メートル、1歩はほぼ145センチメートルとなり100余歩は約145メートル強となる(日本では、これを長里と呼ぶ説がある)。一方日本では、一里約76m(これを短里と呼ぶ)とする説も唱えられており[要出典]、魏志倭人伝で距離表示に短里が用いられているとすれば直径は約30mとなる。

●後円部にある段構造が前方部で消失することから、当初は円墳であり前方部が後世に付け加えられた可能性があること。この点は調査により当初から前方後円墳であったことがわかり否定されている。

●大規模な古墳の中では、全国でももっとも早い時期に築造されたものであること。しかしC14炭素年代測定法では土器の年代が100年度程度古く推定されることがわかっており、古墳の築造年代は3世紀後半以降と推定されるにいたっている。

このような議論があり、意見の一致を見ていない。

白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べるのに対し、石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。

奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を280~300年(±10~20年)と推定しており、卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く出ることがわかっており、この墓が卑弥呼の墓である可能性は低くなっている。
いずれにせよ、現在ではようやく発掘許可がなされたため実質的調査はまだ始まったばかりである。




出典: 「箸墓古墳」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



確かに、卑弥呼の墓は箸墓古墳だという人は多いけれど、まだ疑問の点が多くて意見の一致を見ていないのですよ。。。



デンマンさんは卑弥呼の墓がどこにあると考えているのでござ~ますか?

やはり、九州ですねぇ~

 


(himiko132.gif) 



 



でも、まだ九州の古墳が卑弥呼の墓だと確定したわけではないのですよねぇ~。。。



確定したわけではありません。。。 でもねぇ~、とにかく、卑弥呼の墓が紀伊半島の沖の無人島にないことだけは確かですよ。。。



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

ええっ。。。 「古墳の話はもういいから、何か他に面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、そのようにご命令なさるのでござ~ますか?

分かりましたわ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。


(xdress02.jpg)



いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


(maria05.jpg)

『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


(costa04b.jpg)

『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


(miya08.jpg)

『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

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『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』



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