不思議な日本語

 

不思議な日本語

 


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日本のユニークな表記体系

 


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私が勤める大学院に、かつてイタリアからの女子学生が留学に来ていた。

ベネチアの大学で日本語を学んだ彼女は、日本の大学院では「ヨーロッパ人から見た東洋の文字文化」というテーマで勉強していたのだが、その彼女があるとき、おもしろい指摘をしてくれた。

それは、たとえば「動物園にライオンがいる」という日本語を、「どうぶつえん」が漢字で書ける年代から上ならば、ほとんどの日本人がまちがいなしに「動物園」3文字を漢字で、「ライオン」4文字をカタカナで書き、それ以外の「に」「が」「いる」はひらがなで書く。

 


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それは百人でも1万人でも同じであり、日本人の人口を1億2千万人とすれば「動物園」を漢字で書ける人はきっと1億人はいるが、その1億もの人がほぼ全員同じような文字の使い分けをしているわけだ。

なぜ日本人は、漢字とひらがなとカタカナというまったくちがう種類の文字を、全国民がほとんど同じように使い分けることができるのか」とその留学生から聞かれて、私は答えに窮してしまった。

そのように学校で習うからかなぁ…とその場しのぎの苦しい返答をしても、「学校で教わることをすべての国民がそのまま覚えてくれたら、先生にとってそんなありがたい話はありませんよね」と彼女は納得しない。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




24-25ページ 『漢字と日本人の暮らし』
著者: 阿辻哲次
2010年3月1日 初版発行
発行所: 株式会社 大修館書店


 




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デンマンさん、 どういうわけでイタリアの留学生の記事にオイラを呼び出したのですかァ~?


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オマエは僕に呼び出されるのが嫌なのォ~。。。

いえ。。。 いつもならば嫌なんですけど、今日はきれいなイタリア人の女性が上の文章の中に出てきたのでうれしいです。。。 うへへへへへへ。。。

そのようにヨダレをたらして喜んでいる場合じゃないのだよォ~。。。

いけませんかァ~?

ヨダレをたらして喜ばせるために、僕はオマエを呼び出したわけじゃないのだよォ。

じゃあ、何のためにオイラを呼び出したのですか?

上の小文を読んで、オマエには何か思い当たることはないのォ~。。。

だから、きれいなイタリア人の女性が和服を着ているのがとってもいいと思いました。。。 目の保養になって、オイラは久しぶりに幸せな気分になりましたァ~。。。

あのさァ~、僕は別にオマエを幸せな気分にさせるために呼び出したわけじゃないのだよ。。。

じゃあ、何のために呼び出したのですかァ~?

日本語のことでオマエに考えて欲しいと思ったのだよ。。。 まず、「動物園にライオンがいる」という日本語をオマエはどう思う?

イタリアの女子留学生が不思議がるのはもっともだと思います。

つまり、オマエもソフィアさんのように「なぜ日本人は、漢字とひらがなとカタカナというまったくちがう種類の文字を、全国民がほとんど同じように使い分けることができるのか?」と不思議に思うわけぇ~?

そうです。。。 オイラも不思議に思います。。。

でもなァ~、日本人であれば、そんなことは常識的に当たり前のことだろう!。。。 ソフィアさんが不思議に思うならば理解できるけれど、オマエが不思議に思うことはないはずなんだよ!。。。 オマエは日本で生まれて日本で育ったのだよ。。。 そうだろう!?

そうです。。。 オイラは日本で生まれて33歳になるまで日本で生活していたのです。。。 そして、日本では小さな小さなソフトウェアの会社ですけれど、そこで課長にまでなったのですよ。。。

うん、うん、うん。。。 そうだよなァ~。。。 でも、「動物園にライオンがいる」という日本語がオマエにとっても なんとなく不思議に思えるわけぇ~?

そうです。。。 いけませんかァ~? オイラなら「動物園にlionがいる」と書きます。

だから、それが可笑しいのだよ! 日本で生まれて日本で育った日本人ならば、まず間違いなく、「動物園にライオンがいる」と書くのだよ!

でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な偏見だと思います。

あのさァ~、上の小文は僕が書いたものじゃないのだよ! 阿辻哲次さんという京都大学で教鞭をとっていた人間が書いたものなんだよ!

だから、上の考え方も阿辻さんの独断と偏見ですゥ!

たぶん、オマエが そう言うだろうと思って僕は呼び出したのだよ! でもなァ~、はっきりと言える事だけれど、現在日本に住んでいる日本人の95パーセントが阿辻さんのような考え方を持っていると思うのだよ。。。 そればかりじゃない! この記事を読んでいるネット市民も、間違いなく阿辻さんの考えに同意すると思うのだよ。

つまり、オイラのように「動物園にlionがいる」と書くのは日本人として恥ずかしいことなんですか?

いや。。。 恥ずかしいと言うよりも、日本で生まれて、日本で育った日本人としては非常識だと思うのだよ。

でも。。。、でも。。。、オイラは日本生まれで日本育ちの日本人ですが「動物園にlionがいる」と書きます。

そうだろうと思ったよ。。。 だから、オマエを呼び出したのだよ。。。

でも、オイラが「動物園にlionがいる」と書くと、デンマンさんはどうして予想がついたのですか?

簡単なことだよ! かつてオマエは次のように書いていたからだよ!


言葉-この世話がやける手段


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F. M. 様

ご無沙汰をしております。お元気でご活躍かと思われますが、その後、F. M. さんは如何お過ごしですか。引退は、まだ遠いことなのでしょうか。F. M. さんの近況を知らせて頂けませんか。
…(中略)…
以前に、F. M. さんから、私は読者に親切でないから、と書かれてきたのですが、他の人からも指摘されたことに外来語をカタカナで書かないこともあったのでしょう(私も一方では、ドストエフスキーについて書くときに限って、ロシア文字を書けないので、カタカナを使わざるを得ない、という不徹底さがあり、残念に思っていますが、しかし、日本で働いていたときでも、外来語がラテン文字である限りは、alphabetを混えて技術書を書いておりました。
別に誰からもひんしゅくをかいませんでしたが、皆が呆れて諦めていたのでしょう)。日本では、何故か、英語では、二重母音を長母音(例を挙げればきりがないのですが、informationをインフォメーション)などの理解できない慣例が多く、ドイツ語では母音が続かないときの子音は無声音であるはずなのに(例として、Burgmuelerをブルグミューラア、また、この例では最後のアは不要でしょう)、などの妙な慣習(更なる例として、Schweizerをシュワイツァー、ドイツ語でのwは英語やフランス語のvの発音)が観られますね。
漢字、平仮名、カタカナ、アラビア数字混じりの現代の日本文で、何ゆえalphabetだけが忌避されるのか疑問に思いませんか。
また、Los Angelesをロスなどといって粋がっている輩もおりますが、Losというスペイン語起源の単語は、英語で言うならばtheにすぎなく(但し、男性複数名詞用の定冠詞)、Los Angelesとは、もともとがThe Angelsの意味であるぐらいのことは、alphabetを使っていたならば、そして、最低限の想像力があるならば、推測できてしかるべきことではないでしょうか。
また、ロスアン…ではなく、ロサン…であるべきということにも敏感にならざるをえないですね。
当方での日本人を見ていても、そうした疑問を抱いております。
日頃、言葉そのものについて無神経であるから外国語の習得にも苦労するのですね。
そういえば、F. M. さんのsiteを読んでいたとき、W.A. Mozartの<<Requiem>>を「モツレク」などと言語不明瞭意味不明瞭に略すのを批判しておられましたが、日本では、それに限らず、品の無い造語が氾濫しているではないですか。
こうした若輩に迎合するから、新仮名使い当用漢字の夏目漱石や谷崎源氏などの、低きに合わせた日本文化に堕落しつつある、と思われませんか。
私は、親切ではありたいのですが、迎合はしたくないので私の著作を出版できなかったということで、それでは出版を諦めよう、という心境でした。
此処で、今、また、F. M. さんが、私たちの学生時代に、太田君の妥協は妥協のうちに入らないよ、と言っていたことを思い出しております。
もっと重要なことは、これは日本人には限らないのですが、しかし、とりわけ日本人は、自分が曖昧に考えていたことを誰かが適切に表現し、書いてくれたことに同感、共感、評価するに留まることが多いですね。
彼我の違いを悦ばない、余所者を受け付けない、誰々の論理は理解できる、ではなくて、誰々の気持ちは分るわぁ、といった類です。
それが故に、言葉に於いても彼我の差には敏感になれなく、それどころか自分の母国語ででさえ曖昧になり、更に、思考能力の低下をもたらしているのではないでしょうか。
また、そこでは、自分が賛成するかしないかはさておいての他者の論理の自立、論理の終始一貫性なんぞは等閑に附される傾向が無いでしょうか。
それは理屈だよ、理屈に過ぎない、などと言う人は、生涯なんらの自らの論理体系も形成せずに終るのではないでしょうか。
それでは、ドストエフスキーの小説の登場人物(例えば、<<カラマーゾフの兄弟>>のイワンなど)の思い、自分は、ぎりぎりのところ、こうとしか考えられないけれど、それでは自他が辛すぎる。
むしろ自分が間違っていたらならばよいのだが、のような煩悶、苦悩、願望の弁証法の片鱗も理解できないでしょう。
私は、傲慢な私に戻ったようです。
しかし、日本人の謙遜、謙譲のgestureというものは、多くの場合、何のこと無い、自己保身にすぎないのではないでしょうか(それは、当方の世間、世界では通じない甘えですので、二、三を除いては、こちらの日本人との付き合いは無くなってきました)。
私は、何もかも此方の方がよいとしているわけではありませんが、傲慢になったついでに書きますと、私は、私が書き続けた著作には、高い水準で、日本では、いや世界では始めての見解が此処彼処に読みとれられる、と自負しているのですが、反面、読み手から反応が少ないのは私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか、と小心な私は一方で首を傾げておりますが、如何でしょうか。
以上、私の近況でも少しだけ書こうと思って始めたのですが、大分長くなってしまいました。よい年末年始をお過ごしください。

 

太田将宏 (2009年12月20日)




『言葉 - この世話がやける手段』 108ページ




デンマンさんはオイラの著作集を手当たり次第に読んだのですか?



あのさァ~、オマエは“著作集”という言葉を“本”のつもりで使っているけれど、言っておくけれど、オマエはこれまでに一冊の本も出版したことがないのだよ!

でも。。。、でも。。。、オイラの著作集は事実上、出版された本と同程度の価値があるのです!

価値がないのだよ! だから、僕はオマエの原稿を読んで、出版すべき原稿ではないと思ったのだよ。。。

どうしてですか?

だから、阿辻さんの本の中から、日本語とは基本的に漢字とひらがなとカタカナで書くものだという小文を冒頭に掲載したのだよ!

要するに、英単語を文章の中に書いてはいけないのですか?

いけないとは言わないけれど、日本語の中に英単語を書くのは例外中の例外なのだよ! 注釈に書くとか、カタカナで書いたあとで括弧の中に入れて書くとか。。。 そのように例外的に英単語を書くべきで、オマエの上の文章のように英単語をダラダラと散りばめて書くべきではないのだよ!

そういう法律でもあるのですか?

僕は法律まで持ち出すつもりはないのだよ! 日本人の常識として日本語の文章を書くときには、基本的に漢字とひらがなとカタカナで書くべきだと思うのだよ。。。 おそらく、日本人の95パーセントが、そう思っていると思うのだよ!

でも。。。、でも。。。、英単語を散りばめて書く自由がオイラにもあると思います。。。

オマエの日記に英単語を散りばめて書くのは、オマエの自由だよ。。。 でもなァ~、ネット市民の皆様に読んでもらうような文章では、基本的に漢字とひらがなとカタカナで書くべきだよ!

誰が、そう決めたのですか?

あのさァ~、安倍晋三首相が決めたわけでもないし、法律で決まっているわけじゃない! でもなァ~、常識として、そのように書くものなんだよ!

「動物園にlionがいる」と書いては絶対にいけないのですか?

オマエが日記に、そう書くのなら別だけれど、ネット市民の皆様に読んでもらうためには、「動物園にライオンがいる」と書くのだよ!

どうしてもですか?

あのさァ~、オマエが英単語に拘(こだわ)っているから ボイジャーの社長・鎌田純子さんもオマエの原稿を本にすることを断ったのだよ! 僕だけじゃないのだよ! どの出版社に持っていっても、上のオマエの原稿は出版を拒否されるのだよ!

どうして駄目なのですか?

なぜなら、オマエの文章は読みづらい! 外国語の単語がやたらに散りばめられている! 英単語だけじゃない、オランダ語が出てきたり、デンマーク語が出てきたり、ラテン語が出てきたり、ドイツ語が出てきたり。。。 どう考えても、読む人の立場になって書いてない! それに長々と、ダラダラと一つの文が長いのだよ! しかも、改行が少ない! 本と違って、ネットではスペースがたくさんあるから、読み易いように改行するのだよ! 要するに、オマエの原稿が素晴らしいと思い込んでいるのはオマエだけなんだよ!

そうでしょうか?

上のオマエの文章を読んでも、それはすぐに理解できる。。。 それなのに、オマエは自分が書いた文章が世界で一番素敵な文章だと自惚(うぬぼれ)ている! つまり、オマエは、傲慢で独りよがりな性格なんだよ! オマエは I. A. に成りすまして次のようにも書いていた。


太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏
(grandma9.jpg)


デンマン注

スピーカーをONにして 上の写真をクリックしてください。

太田将宏が ばあさん(I.A.)に成りすまして笑います。
別窓が開きます。 

この男はオツムの回転が鈍いので
笑うまでに少し時間がかかります。

とにかく、虫唾(むしず)が走るようなうウザったい笑いです。
あなたも笑えますよ。 (爆笑)


Identity theft をなさった

デンマンこと加藤明様へ


コメント記入者: I. A.

2015-12-07 07:10:55

貴方、デンマンこと加藤明様の愚にもつかないくだまきと私たちの整然とした記述による貴方への説得の試みを較べるならば、読む人が読めば判然と分かる、というのが分からないのがmoron(この英語の言葉お判りですか? でなければ辞書を引いて下さい)の貴方なのですね。
また、太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのですが、貴方には何が残っているのですか。貴方には見ても読んでも恥ずかしくなるようなwebsitesしか無いではないですか。
私たち三人が書いているのを太田さんが書いているとの妄想、更に「証拠がある」などとの勘違い、貴方こそが「恍惚の人」(この意味お判りですか?)ではないでしょうか。
それどころか、貴方は、「ギャハハハハハハ」などと相手にされるだけで大喜びする老人、まさに精神に異常をきたしている老残ではないか、と疑われても仕方がないような人なのですね。
繰返しますが、太田さんは私たちのadviceを受けて貴方なんぞの相手などしていらっしゃりませんよ。
いつぞや名前なしのcommentで「このようにして、デンマンこと、加藤明は自慰にふけっているのではないでしょうか?」、と書いたのは、私、I. A. ですよ。それでも、恥ずかしげも無く、またまた[最後に、ぎゃはははははは。。。] ですって。
やはり異常ですね。こういう精神異常者は、(デンマンこと加藤明様にふさわしい下品な言葉ですが)やけくそになって馬鹿笑いをしている時でも、そのおなかの底の暗いところでは歯ぎしりをしている、と聞いたことがありましたが、デンマンこと加藤明様はいかが?

 

I. A.




『相変わらず馬鹿か?(PART 1)』のコメント欄より
(2014年9月14日)




オマエは止せばいいのにI. A. に成りすまして“太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのですが、貴方には何が残っているのですか”と書いている! 自惚れも、傲慢も、ここまでやるとたいしたものだよ! (爆笑)



オイラは、それほど自惚れが強く、傲慢でしょうか?

だってぇ、そうだろう!? オマエは自分で“太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのです”と書いているけれど、そもそもオマエの文章は出版するには、日本語らしい日本語で書かれてない!

“日本語らしい日本語で書かれてない”とは、どういうことですか?

すでに説明したのだよ! もう忘れてしまったのォ~? あのさァ~、『ウィキペディア(Wikipedia)』でも“日本語”というのは次のようなものだと書かれているのだよ。


日本語

日本語は、主に日本国内や日本人同士の間で使われている言語である。
日本は法令によって「公用語」を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令(裁判所法第74条、会社計算規則第57条、特許法施行規則第2条など)において日本語を用いることが定められるなど事実上の公用語となっており、学校教育の「国語」でも教えられる。

使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。
統計によって前後する可能性はあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。

表記

現代の日本語は、漢字・平仮名・片仮名を用いて、常用漢字・現代仮名遣いに基づいて表記されることが一般的である。

アラビア数字やローマ字(ラテン文字)なども必要に応じて併用される。




出典: 「日本語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、現代の日本語は、漢字・平仮名・片仮名を用いて、。。。表記されることが一般的なんだよ! 要するに、特別な場合を除いて出版される日本語の本の本文中には、アルファベットを書いてはならないのだよ!



でも、アルファベットが本文中にある本はたくさんありますよ。

それは外国語の学習参考書だよ! 日本人を対象に外国語以外の一般的な話題について書いてある本の中には注釈と参考資料のページ以外にアルファベットは出てこないのだよ! ところが、オマエが書く文章にはカタカナで書くのが普通の外国語でも次のようにアルファベットがそのまま書き込まれているのだよ!




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


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Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。



しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56-58ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




オマエの文章を引用する時には、このように注釈を加えないといけないのだよ! S.Kierkegaard と書いたら普通の日本人には、誰だか見当がつかないのだよ! 日本人に親しまれている“キルケゴール”というカタカナで書くべきなんだよ! 更に、オマエの文章は読みづらい!。。。 そもそもオマエの文章の内容は面白くないから、画像を加えたり、YouTubeのクリップを貼り付けたりして、読者が面白く読めるようにしなければならないのだよ!



やっぱり外国語はカタカナで書くべきなのですか?

当たり前だろう! 外国語の学習参考書以外は外来語は原則としてカタカナで書くのだよ!

でも、オイラは、日本で働いていたときでも、外来語がラテン文字である限りは、alphabetを混えて技術書を書いておりました。

でも、オマエ自身が書いていたじゃないか! “別に誰からもひんしゅくをかいませんでしたが、皆が呆れて諦めていたのでしょう”と。。。 その通りなんだよ! だから、オマエの原稿はこれまで出版されなかった。 どこへ持ってゆこうと門前払いを喰わされたのだよ!。。。 オマエ自身が書いてるじゃないか! 「私は、親切ではありたいのですが、迎合はしたくないので私の著作を出版できなかった」と。。。

そうです。。。 確かに、そうなのですけれど、デンマンさんと、ボイジャーの社長・鎌田純子さんは、オイラが書いた原稿の真価を理解してくれると思ったのですよ。。。

駄目な物はダメなんだよ! 日本語の原稿に外国語の言語を散りばめたら、絶対に出版されないのだよ! だから、僕もボイジャーの社長・鎌田純子さんも、オマエの原稿を読んだけれど、丁重に出版を断ったのだよ!。。。 そしたら、自惚れが強く、傲慢なオマエは、逆恨(さかうら)みをして ネットで僕とボイジャーに対して抗議文を公開した。


(denkogi.png)

『実際のページ』


(voyakogi.png)

『実際のページ』



こういう事をしてはいけないのですか?



いや。。。 かまわないよ。。。 オマエにも言論の自由と表現の自由があるからねぇ~。。。 でもさァ~、オマエは自分が多くの人に成りすまして一人芝居をしながら、僕だけじゃなく、ボイジャーの社長・鎌田純子さんにまで、迷惑をかけている“意地悪ジイさん・問題老人”である事を自分で晒しているんだよ。。。

オイラはマジで 自分で自分の愚かさをネットで晒しているのですか?

そうだよ。。。 だから、オマエの多くの友人や知人は、“逆恨みされる”ので、オマエに関わる事を拒んで、次第に離れていったのだよ。。。 オマエ自身も書いているじゃないか! 「当方の世間、世界(カナダ)では通じない甘えですので、二、三を除いては、こちらの日本人との付き合いは無くなってきました」と。。。

やっぱり、オイラは独断と偏見に凝り固まっているのでしょうか?

その通りだよ!。。。 オマエは自惚れが強く、傲慢だから、誰もオマエに助言しなかったのだよ!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは、そんなオイラにも、こうして優しく助言してくれるのですか?

その通りだよ!



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ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

やっぱり“仏のデンマンさん”です!

日本では、相手にされなかったオイラを

デンマンさんは優しく相手にしてくれて

貴重な助言までしてくださるのでした!

もうこうなったら、恥も外聞もなく

スキップして喜んでしまおう!


(smilejp.gif)

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

も一つおまけに

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン



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やれやれぇ~。。。

馬鹿とは付き合いきれません。

あなただってそう思うでしょう!?

でもねぇ~、見ていてください。

この愚か者が、

また手のひらを返したように

忘れた頃になって

他人に成りすまして

僕の記事にコメントを書きますよ。

でも、仕方ないから、この孤独な男を

真人間にするために

付き合うことにします。

他に誰も相手にしないのですから。。。



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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
あたしは、太田さんの娘さんにも、奥様にもお会いした事はありません。

でも、娘さんは、二人とも アメリカで女医さんになっているほどですもの。。。
娘さんにしても、奥様にしても、決して悪い人ではないと思いますわ。

それなのに、太田さんは 娘さんとも、奥様ともうまくやっていないという事は、
太田さんに、問題があると思うのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って 読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。


(hand.gif)


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(byebye.gif)
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いやな感じ

 

いやな感じ

 


(chiwawa5.gif)


こんにちは。ジューンです。
夏休みには、どこへお出かけになりましたか?

なかには軽井沢に別荘を買って、夏休みに引越しをした人が居るかも知れませんよね。


(karuswan.jpg)

スワンレークもいいところですよね。


(karuspa2.jpg)

そのスワンレークの水源ですわ。


(karuhap2.jpg)

そして、これが軽井沢の“幸福の谷”です。

軽井沢に引越ししても、常に素晴しい人と巡り会うとは限りません。
時には、ヤ~な隣人に巡り会うかもしれません。

ところで、この“いやな感じ”を英語でなんと言うのでしょうか?
すぐに feeling を使いたくなるでしょう?
でも、もっとくだけた英語の単語があるのです。

vibes を使います。

(名詞) 雰囲気、直感、予感


では、例文をお目にかけますね。



(angry13.gif)

I'm picking up some pretty negative vibes

from our new neighbors.

I don't think they like me.

引っ越し先の近所から、なんかいやな感じをうけるのよね。

歓迎されてないみたい。


どうですか?
俗語の意味を調べるって、ちょっと面白いですよね。

ところで、英語は国際語です。
あなたも英語をおさらいしてみませんか?

ええっ? 時間もないしお金もないの?
だったらね、時間がなくてもお金がなくても勉強できる方法を教えますよ。

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ええっ?
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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよ。

くどいようですけれど、

また現れましたわ。

やっぱり、ジューンさんぱっかりに

任せていると退屈するのよねぇ~。

それで。。。つい、つい、出て来て

しまうのでござ~♪~ますわよ。

ええっ、何で英語の記事に

顔を出すのかって?

あたくしも、英語を勉強して

ついに2007年のクリスマスに

バンクーバーへ行って来ました。

しばらく十二単から開放されて

自由な気分を味わっていたのですが、

また日本へ戻ってきて、

このダサい十二単を着ることになったのですわ。

あたくしは、もう着るのがイヤなのですけれど、

デンマンさんが、頼むから我慢して着て欲しいと

土下座して頼むので

仕方なく着ることにしたのでござ~♪~ますわ。


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おほほほほ。。。

ところで、あたくしは次のサイトで

マスコットギャルをやっているのよ。

■ 『面白い新しい古代日本史』

ええっ?もう何度となくきいたって。。。?

じゃあ、あなたのお友達に知らせてね。

うふふふふ。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね、バ~♪~イ。



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弘中先生と坊っちゃん


 

弘中先生と坊っちゃん

 


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(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 夏目漱石の“坊っちゃん”に弘中先生という人物が出てくるのでござ~♪~ますかァ~?


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出てきません。。。

それなのに、どういうわけで“弘中先生と坊っちゃん”というタイトルにしたのでござ~ますか?

それに答えるには、ちょっと次のリストを見て欲しいのですよ。。。


(liv70304a.png)

『拡大する』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月3日の日本時間で午後7時23分から3月3日の午前9時26分までの約14時間の「生ログ」の1部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。



あらっ。。。 3月3日の午後7時29分にYahoo! で検索してデンマンさんの「徒然ブログ」の『弘中先生と熊谷』を読んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。 『徒然ブログ』にやって来たネット市民は次のように「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したのですよ。。。


(yah70307a.png)


『拡大する』

『弘中先生と熊谷』

『現時点での検索結果』




「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したネット市民は、どういうわけで弘中先生と熊谷を結びつけたのでしょうか?



あのねぇ~、実は 僕は埼玉県の熊谷高校の出身なのですよ。。。

弘中先生というのは熊谷高校の先生なのですか?

そうです。。。 もう とっくの昔になくなりましたけれど。。。 ちょっと『ウィキペディア』で紹介されている僕の母校の「熊谷高校」のページを見てください。


熊谷高校


(kumako3.jpg)

1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。

校訓

「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。

校風

自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。

このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。

このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。

40キロハイク

毎年5月中旬から下旬ごろに行われる行事。
熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。
服装は基本的に自由であるが、大半の生徒は仮装をして参加する。
仮装の内容は社会風刺や下ネタなどがある。
完歩率は高く、例年90パーセント以上を維持している。

臨海学校

1年次の7月中旬に行われる行事。
新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。
県内では浦和高校と蕨高校と同校の3校のみでみられる行事である。
開始以来無事故。これまで毎年行われてきたが、2007年度は開始予定前日に発生した新潟県中越沖地震の影響で初めて中止となった。

熊高祭

毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称である。
前者については、先述の通り仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行うことが特徴である。
また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。
体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった特徴的な種目がみられる。

修学旅行

2年次の11月頃に行われる。
例年の行き先は関西地方や九州地方、北海道などであるが、行き先は1年次に決定される。
このほか、先述の通り宿泊地をグループ毎に各自選択することができることが大きな特徴である。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。
初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。

部活動

「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。
なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であり、これらを合計するとのべ94%である。
2つ以上の部活動を兼部することもできる。

硬式野球部が1951年、1982年などに3回夏の甲子園に出場しており、うち1951年の大会においては準優勝した。
このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、将棋部なども県大会や全国大会へ出場を果たしている。

主な出身者・関係者

政治・行政 (略)

経済 (略)

 (中略)

芸術・雑

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル

須田剋太: 日本画家

(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。 弘中先生というのは「坊っちゃん」の主人公のモデルになったのでござ~♪~ますか?



そうなのですよう。。。 実は僕も知らなかった。 高校時代には田山花袋が書いた『田舎教師』に僕は興味を持っていた。

なぜでござ~ますか?

『田舎教師』の主人公のモデルになったのが小林秀三という人物なのですよ。。。 校長室の前の廊下にガラスケースがあって、その中に埼玉県第二尋常中学校の第2回か3回目の卒業写真が飾られてあって、僕も何度かその記念写真に写っていた小林秀三の姿を見たことがあった。

弘中又一さんの事は高校時代にデンマンさんは聞いた覚えがないのでござ~♪~すか?

誰からも聞いた覚えが無いのですよう。。。 『田舎教師』よりも小説「坊っちゃん」の方が良く知れわたっていると思うのに、どう言う訳か僕は弘中又一先生の話を聞いたことがない。 今から思えば、実に意外だった。

小説「坊っちゃん」の方が良く知られているのに、なぜ弘中先生のお話が出なかったのでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ~、僕は思うのだけれど、小林秀三が田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言うことは、ほぼ間違いないのですよう。 つまり、文学に多少関心がある人の間では、誰も認めている事実なんですよう。

弘中先生が「坊っちゃん」のモデルだと言う事は夏目漱石ファンの誰もが認めているわけではないのでござ~♪~ますか?

僕も夏目漱石のファンだけれど、僕は知らなかった。 夏目漱石自身が「坊っちゃん」のモデルだと、僕は素朴に思い込んでいましたよう。

なぜでござ~♪~ますか?

ただ素直に、そう思い込んでいた。 「坊っちゃん」の主人公と夏目漱石が僕のオツムの中では重なり合っていた。

つまり、私小説だとデンマンさんは思っていたのでござ~♪~ますか?

志賀直哉が書くような私小説だとは思わなかったけれど、「坊っちゃん」の主人公は、明らかに夏目漱石の生い立ちや経歴に基づいて書かれていますよう。

たとえば。。。?

『ウィキペディア』の作品解説には次のように書いてあるのですよう。



(soseki008.jpg)

作者(夏目漱石)が、高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって
赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で
1895年4月から教鞭をとり、1896年4月に熊本の第五高等学校へ
赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。




つまり、漱石の松山時代の体験に基づいて書かれた小説なのですよう。 だから、私小説とは言わないまでも、漱石自身の体験がそこ、ここに書かれている。



例えば。。。?

漱石が子供の頃に一緒に居た女中のお清さん。 孫が書いた本にも次のように紹介されている。



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漱石の『坊っちゃん』には、父親に嫌われる主人公を無条件に愛する使用人の清という女性が描かれる。
清が「まっすぐで、よいご気性です」と坊っちゃんをほめると、坊っちゃんは「おれはお世辞は嫌いだ」といいかえす。
が、「それだから、よいご気性です」といわれて閉口するのである。

そこで愛されているのは、坊っちゃん本人であり、彼自身の気性である。
彼の生まれた家柄や、父親といった、彼自身に選べない属性ではない。
だからこそ坊っちゃんも清を愛し、恩を返そうと思う。これは「ひいき」ではない。

漱石自身は、坊っちゃんではない。
もっと複雑で多重人格的な人だが、清のようなまっすぐな愛情を尊ぶ性向は、明らかに漱石のものだったと思う。





148ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社




確かに、漱石自身は坊っちゃんではない。 でも、漱石自身も坊っちゃんの姿に自分自身のあるべき姿を見ていたはずですよう。



どうしてデンマンさんは、そのような事をおっしゃるのでござ~♪~ますか?

孫の房之介さんは、更に次のように書いていた。


本当の自分を持つ


(natsume.jpg)

「真に目覚める日本」とは、個人におきかえれば「本当の自分」を自覚することになる
いわば「坊っちゃん」のように、内面と外面が一致する偽善のない姿を意味するのだろう。
これを問うことが漱石の文学的主題にもなったが、一方で、つねに自分の内面に問い続ける、資質的で内面的な視線を強化することにもなった。
また漱石は、その主題を「個人主義の確立」という公共社会的な課題にして、本当に「中身」のある近代を視野に入れようとした。

 (中略)

ともあれ漱石は、日露戦争直前の、明治国家が世界における存亡を強く意識して極度に緊張した時期に留学したのである。
自己肥大どころか、自分は、日本は、貧弱な猿真似をしているに過ぎないのではないか、という意識を心に抱いて帰った。
そのことが、以後の日本の自己肥大化から距離をおいた文明論的な場所を漱石に与えたともいえる。

 (中略)

「国家は大切かもしれないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似はとうてい我々にできる話ではない。(略)
事実出来ないことをあたかも国家のためにするごとく装うのは偽りである。(略)
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
詐欺をやる。誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。」
(夏目漱石 『私の個人主義』 135-137ページ所収)

見事な指摘である。これを漱石は、日露戦争(1904-1905年)および第一次世界大戦(1914-1918年)の戦勝国となった日本で語っている。
国家と個人、国家と国家の関係において、この言葉は今でも説得力を持つ。

日本は、そののち「朝から晩まで国家国家」といわねばならない、「出来ない事」をできるといいはる国になり、「徳義」もないくせに「徳義」ヅラして(この点は欧米だって同じだが)、そして手ひどく(太平洋戦争で)負けた。
漱石の文明論的な視点は、そのあたりまで届いていた。




131-134ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社

『夏目漱石と成りすまし馬鹿 (2009年8月11日)』に掲載。




つまり、僕は『漱石の孫』の上の部分を読んで、夏目漱石は当時の自己肥大しつつある日本帝国という国に居て、本当の自分を持つために苦悩していた。その事を赤裸々に小説化したのが「坊っちゃん」だと思えたのですよう。



要するに、苦悩する自分の姿を坊ちゃんになぞらえて書いたとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよ。 漱石は1900(明治33)年の9月に横浜からイギリス留学に向けて出発した。完璧を望む漱石は文学者として苦悩しノイローゼになってしまった。でも、その経験があったからこそ、漱石は日本帝国を、そして自分自身を客観的に見ることができた。そして、よくよくイギリスと比較してみたら、日本帝国は夢中で自己肥大しようとしていた。

狂っているのは漱石ではなく、当時の日本帝国の方が病的に自己肥大しようとしていたとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。日本帝国は「朝から晩まで国家国家」と言うようになっていった。「出来ない事」をできると言いはるような国になりつつあった。そういう中で漱石は『坊っちゃん』を書き上げて1906(明治39)年に「ホトトギス」に発表した。

つまり、「真に目覚める日本」とはどう言う事か?を考えながら、漱石自身が「本当の自分を持つ」ために書き上げたのが『坊っちゃん』だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りです。 そう思っているところで、『ウィキペディア』の母校「熊谷高校」を覗いてみたら次のようなことが書いてあった。

弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の

主人公のモデルとなった

第二中学(現・熊谷高校)の教員


意外だったのでござ~♪~ますか?

実に意外だった。

どうして。。。?

夏目漱石は自分自身を俎板(まないた)の上に乗せて、これから自分をどのように料理しようか? そう考えながら書いたのが『坊っちゃん』だと思えたのですよう。

ところが、「坊っちゃん」の主人公のモデルが外に居たと『ウィキペディア』に書いてあったのでござ~♪~ますわね?!

そうです。 まるでバケツの冷水を頭からぶっ掛けられたような気分でしたよう。

マジで、それ程意外だったのでござ~♪~ますか?

もし、それが事実であるならば、弘中又一先生は、夏目漱石が真に理想としていたような人物ではなかったのか?。。。僕は、ふと、そう思ったのですよう。

。。。んで、調べ始めたのでござ~♪~ますか?

そうです。まず弘中先生の略歴を読んでください。


弘中又一 略歴


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21才頃の弘中先生

・明治6年(1873)12月10日、山口県都濃郡湯野村第287番屋敷(現、山口県徳山市大字湯野4152番地)で、父弘中伊亮、母タメの長男として生まれる。

・明治12年(1879)7月 現湯野小学校入学。 明治18年8月18日卒業。

・明治23年(1890)1月 同志社普通学校入学。明治27年6月29日卒業。
その間、明治26年12月 山口県の柳井小学校高等科英語の代用教員を務める。
又、12月28日に戸澤タカと結婚。明治28年5月22日長男(進)出生。

・明治28年(1895)5月27日 愛媛県尋常中学校へ単身赴任。
なお、夏目漱石が同校へ赴任したのは、同年4月10日である。

・明治29年(1896)4月1日4月1日 愛媛県尋常中学校東予分校へ転任。
この時、漱石も尋常中学校を去った。

・明治29年(1896)11月24日徳島県尋常中学校第二分校(現 富岡西高等学校)へ着任。

・明治33年(1900)4月4日 埼玉県第二中学校(現 埼玉県立熊谷高等学校)着任。

・大正8年(1919)5月8日同校離任。大正8年5月同志社中学校へ赴任。

・昭和7年(1932)3月31日同校退職。

・昭和13年(1938)8月6日永眠。墓は菩提寺湯野常照院にある。




『湯野温泉郷ガイド 弘中又一先生』より




漱石先生の生まれは1867年の2月だから、弘中先生の方が6才若いのですよう。



松山の中学校で一緒に居たのはわずかに1年程なのですわねぇ~。。。

そうなのです。 漱石先生は当時28才で、弘中先生が赴任した時は21才ですよう。

弘中先生は若かったのでござ~♪~ますわねぇ。

あのねぇ~、僕が弘中先生のことを調べ始めて驚かされたのは、旧制熊谷中学の卒業生の間で弘中先生の事は結構知られていたのですよう。

どうして分かったのでござ~♪~ますか?

1975年に熊谷高校は創立80周年を迎えたのですよう。 その記念行事として「熊谷高校八十周年誌」を出版したのです。

その八十周年誌に卒業生が寄せた弘中先生のエピソードがたくさん書いてあったのでござ~♪~ますか?

そうなのです。 そう言えば僕も買わされて、親父が懐かしそうに手にとって読んでいたのを今でも思い出しますよう。

でも、デンマンさんのお父様は小学校だけしか出ていなかったのでしょう?

卑弥子さんは、そのようなどうでもよい事はよく覚えているのですねぇ~。。。確かにそうなのですよう。でも、親父だって家が貧乏でなければ、当時の熊谷中学へ入りたかったのですよう。

。。。んで、お父様はどうしていたのですか?

昔の忍尋常小学校で給仕をしながら独学で教員検定試験を受けてパスしたそうです。 18才で小学校で教え始めたと言うのだから驚きます。 でも、中学校に行けなかったので、小学校の頃の同級生の名前を探しながら、懐かしそうに読んでいましたよう。

デンマンさんは、読まなかったのでござ~♪~ますか?

親父が独占してしまったので、僕は初めにざっと目を通したぐらいで、とりわけ面白いとも思わなかったから、それ以後読まなかったのです。

そうしたら、「熊谷高校八十周年誌」に弘中先生の面白いエピソードがたくさん書かれていたのでござ~♪~ますか?

そうです。 ネットで、同窓生のページを調べていて知ったのです。

。。。んで、どのようなエピソードがあったのでござ~♪~ますか?

教科は『坊っちゃん』の中に書かれているように、熊谷中学でも数学を教えていたのです。 博学で、英語の原書を授業で用いることもあったそうです。 しかも、「坊っちゃん」のような破天荒ぶりも見せたそうです。

どのような。。。?

弘中先生は“泥鰌(どじょう)”が好物だったらしいのです。 ある時、安いのでどじょうを買ったのだけれど、あいにく入れ物がないので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰ったというのですよう。

その他には。。。?

またある時は、荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていたというのですよう。 面白いでしょう?!

まだあるのでござ~♪~ますか?

修学旅行で京都に行ったとき、先生方は皆モーニングにネクタイを締めて引率していたが、弘中先生はネクタイを忘れたらしく、モーニングにネクタイ無しで引率していたというのです。

他には。。。?

中学の先生にしては周囲の視線を気にしないで、ひょうひょうとして、あまり身なりには構わなかったそうです。

あだ名はあったのでござ~♪~ますか?

「エグス」というのですよう。

卵の英訳でござ~♪~ますか?

違うのです。 出席簿の教師名欄に弘中の「弘」を書く代わりに数学記号「x」を書き、「エグス」と発音していたと言うのです。 それで「エグス」と呼ばれるようになったとか。。。 面白いのは、先生の名前をエグスだと思い込んでしまって、卒業しても本名を知らない生徒が居たとか。。。

マジで。。。?

「熊谷高校八十周年誌」に、そう書いてあるらしい。 住んでいたのは、学校から南東へ約1キロ、さいたま地裁熊谷支部の南側にある「明石医院」の隣の貸家だった。

今でもあるのでござ~♪~ますか?

その貸家は取り壊されて、今では駐車場になっているそうです。市街地の中心部にありながら、熊谷空襲でも焼けずに残った地区だったそうで、そのあたりは、今でも古い民家が立ち並ぶ狭い通りだそうです。

何か面白いお話でも伝わっているのですか?

あのねぇ、大家だった明石千代子さん(92)は、「弘中先生が酔って道ばたで寝ていた」と、お母さんから聞かされたそうです。

中学校の先生が酔って道端で寝ていたなんてマジでござ~♪~ますか?

覚えている女性の名前と年齢までがはっきりしているのだからマジですよう。 しかも驚いたことに、「漱石の『坊っちゃん』先生旧居跡」という看板が、ブロック塀に今でも掲げられているのですよう。 次のサイトへ行くと、その写真を見ることができます。

 


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『小説「坊ちゃん」の主人公が居た熊谷市』


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弘中先生は色白で背が高くて、学校近くへ写生に出かけると、青縞織(あおじまおり)の女子工員たちが一斉に工場の窓から首を出すほど「ハンサム」だったそうですよう。でも、『坊っちゃん』の主人公のモデルだ、と語ることはほとんどなかったらしい。



弘中先生が教えていた頃の校舎は今でも残っているのですか?

旧制熊谷中の校舎は改築されて、今では見ることができません。 でも、当時からあったくぬぎ林は今でも残っていますよう。 林の奥にある同窓会館「くぬぎ会館」で、弘中先生写っている集合写真を見ることができます。

それ程ハンサムなら、あたくしも一度弘中先生が写っているお写真をぜひ見たいものでござ~♪~ますわ。

あのねぇ~、僕が更に驚いたのは、田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三(1884―1904; 熊谷中2期生)も、弘中先生に教わった生徒の一人だと言うのです。

しかし、これだけ有名なのに、どうしてデンマンさんは弘中先生のお話を覚えていなかったのでござ~♪~ますか?

いま、振り返ってみても、僕自身が不思議でならない。。。 やっぱり、どのように思い出そうとしても記憶に無い。 どう言う訳か僕にとって『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈で、弘中先生の話は、多分聞いたと思うのだけれど、全く記憶に無いのです。

そのような事があるのでござ~♪~ましょうか?

あるのですよう。 何が強烈に印象に残るのかは、人によってさまざまですからね。

「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したネット市民は、デンマンさんのように熊谷高校の卒業生かもしれませんわねぇ~。。。

たぶん、そうでしょう。。。 卒業してから数十年経って 『坊っちゃん』のモデルが旧制熊谷中学で教えていたことを確認するためにネットで調べ始めたのですよ。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは『坊っちゃん』のモデルが弘中先生だと知っていましたか?

あたくしは知りませんでしたわ。

では、ここで あなたのために NHK新春ドラマ1994年に放映された『坊っちゃん』をお見せしますわね。


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ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわよう。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(hama10.jpg)

『ハマグリにハマる』

『ハマグリの誘惑』

『ハマグリの足跡を追って』

『芭蕉と遊女』

『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

『悲痛の紫式部』

『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

『ん?ネトウヨ』


(miya08.jpg)

『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』

『小柴垣草子』

『後白河上皇ダントツ』

『ブスと美人』

『エロい話が好き?』

『死んでも生きてる』

『失意の太田将宏』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『布袋さんに惹かれて』

『悪女 レオタード』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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舞踏会 明子

 

舞踏会 明子

 


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(nobelbanq3.jpg)


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旧ソビエト連邦時代のグルジア出身の

アルメニア人音楽家アラム・ハチャトゥリアンの作曲した

仮面舞踏会はミハイル・レールモントフの戯曲

『仮面舞踏会』を題材にした音楽作品で、

当初は劇音楽として作曲されたが、

後に作者本人によって管弦楽のための

組曲に編成された。

この組曲の最初の“ワルツ”に合わせて

ヒロインのナターシャ・ロストワが

初めての舞踏会でアンドレイ・ボルコンスキー公爵と

踊るのだけれど、このシーンが

デンマンの心を最も捉(とら)えたのでした。







ケイトーは明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのォ~?


(kato3.gif)

ん。。。? 僕が明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのですかァ~。。。

私が質問しているのよ。。。 真由美ちゃんとケイトーが踊っている写真が上の中にあるじゃない!

あのねぇ~、それらしい写真がないと面白くないので、真由美ちゃんと僕の写真を貼り付けたのですよ。。。

じゃあ、明子さんというのは、いったい誰なのよゥ?

ちょっと次のリストを見て欲しいのです。。。


(liv70123a3.png)

『拡大する』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の1月22日の日本時間で午後2時9分から午後2時39分までの30分間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。 1月22日の午後2時31分に Yahoo!で画像検索して『美しい日本語』を読みにやって来たのねぇ~。。。

そういうことです。。。

“美しい日本語”と舞踏会が どのように関係しているのォ~?

あのねぇ~、「リファラ」のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。


(yah70123c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』




あらっ。。。 「舞踏会 明子」と入れてYahoo!で画像検索したのねぇ~。。。



そうなのですよ。。。  78,500件ヒットするのだけれど、画像検索したネット市民は赤枠で囲んだ写真をクリックしたのです。。。 すると次のページが出てきます。


(yah70123d.png)


『拡大する』

『美しい日本語』




あらっ。。。 この写真の女性が“明子”さんなのォ~?



いや。。。 この女性は明治時代に実在した皇族の女性ですよ。。。 たまたま“舞踏会”という雰囲気にふさわしいと思って記事に載せたのだけれど、明子さんではありません。。。 検索したネット市民は、明らかに芥川龍之介が書いた「舞踏会」という作品に出てくる“明子”さんを探していたようです。。。


芥川龍之介 「舞踏会」


(rokumei02.jpg)

(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。

初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


(rokumei12b.jpg)

二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。

人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社




「舞踏会」は大正9年1月に発表された芥川が書いた短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。



。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 


(watt00.jpg)



300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。


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I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER






Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

そうですねぇ~。。。 日本人だったら次のような可愛らしい舞妓さんですよ。





あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?


(2004f.gif)



どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。。。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。



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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

Madame Butterfly



Miss Saigon





でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。



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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということです。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはオペラ『蝶々夫人』を観たことがありますか?

もし、興味があったらここに2時間のオペラを貼り出しますので、

時間があったら観てください。。。


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ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)

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(beach02.jpg)

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(byebye.gif)

ばァ~の面影


 

ばァ~の面影

 


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デンマンさん。。。 今日はデンマンさんのおばあちゃんの思い出ですか?


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いや。。。 僕の祖母の思い出は、まだ書く気分ではないのですよう。

どうして。。。?

あのねぇ~、実は、僕は“おばあちゃんっ子”だったのですよ。 ずいぶんと可愛がってもらったし、よく面倒を見てもらったものです。

だったら、デンマンさんのおばあちゃんの話をすればいいではありませんか!

でもねぇ~、僕の祖母とは、ある時期に とっても苦(にが)い思い出がある。 その“エグ味”のある思い出のために、僕はまだ素直な気持ちで書けないのですよ。 でもねぇ~、この話は、聞く人にとっては ある意味で実に面白い。 いつかは書かなければならないと僕は思っている。。。 祖母の鎮魂と、いたらなかった僕の“祖母(不)孝行”の償(つぐな)いのために。。。

デンマンさん! 思わせぶりなことを言ってないで おばあちゃんの面白い思い出を聞かせてくださいなァ~。

だから、それは もうしばらくしてから小百合さんに話しますよ。。。

では、いったい どういうわけで“ばァ~の面影”を取り上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。


(wp70201a.png)



これは Denman Blog の1月31日の「人気記事リスト」ですよ。。。 赤枠で囲んだタイトルに注目して欲しい。。。



あらっ。。。『ばァ~の思い出』を読んだネット市民が2名居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。 次の記事を読んだのですよ。。。


(wp40723e.png)


『拡大する』

『実際の記事』




。。。で、どういうわけで“ばァ~の面影”というタイトルにしたのですか?



やだなあああァ~。。。 ここまで話してきたら小百合さんの“ばァ~の面影”に決まっているでしょう!

あたしの“ばァ~”のことを語り合うのですか?

いけませんかァ~?

だってぇ~、わたしの“ばァ~”のことなど、この記事をお読みになっているネット市民の皆様には、全く興味がないと思いますわァ~。。。

あのねぇ~、人間である以上、誰にでもおばあさんが居るのですよ。。。 もう亡くなっているかもしれません。。。 でもねぇ~、思い出の中におばあさんはきっと面影として座っているはずです。。。 小百合さんも“ばァ~”はすでに亡くなっているけれど、思い出の中に座っているのですよ。。。 次のメールを読んでみてください。。。


仙台坂


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投稿日時: 2008/05/23 03:50 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午前11時50分
バンクーバー時間: 5月22日午後7時50分




ん~ デンマンさん達の年代は麻布をオタク系の
集まりって思うの?

そんな高いビルに囲まれている町でもなく
大使館が多くて、だから ナショナルのスーパーが
あるのだけども

仙台坂って どうして仙台なんだろうね?
知ってる? イタリア大使館あたりのすごい坂
仙台に住んでた デンマンさん知ってる?


(sendaipk.jpg)

私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?
本当のグルメは飲茶は行きませんよ

ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。
バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く
切ったのを ソテーして 食べてるんですよ。


(zenifry3.gif)

行田のゼリーフライが まずくて
食べられなかったとしても
きっと 時々 買いにいくでしょう。

ただ その時を 忘れないよう、思い出を買いにいくのです。
ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として 体に入れるでしょう。
食べるとか 味わうとか でなくて。

朝ごはんはおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。
たぶん 小学校の時も やっとでしたよ

ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか1枚たべて、絶対味噌汁は飲みません。
熱くて寝起きになんて飲めません。


(granma06.gif)

ばー は食べないと体がもたないよ。
ご飯を食べると ごくねつが出て体が 
ぽかぽか温まるんだよ。

…と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。

これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を食べる 体に取り込むのと
薬のように がまんして 朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。   

 


(sayuri15.gif)

小百合より




『麻布散歩』に掲載。
(2011年3月13日)




あらっ。。。 ずいぶんと古いメールではありませんか?



「絶対味噌汁は飲みません」という小百合さんの言葉が印象的でしたよ。 小さい頃の小百合さんは、ずいぶんと ばァ~をてこずらせたんだねぇ~。。。

そうですわねぇ~。。。 私も上のメールを読み返してみて、改めて祖母に大変な思いをさせたのだと思ってぇ、反省してますわァ。。。で、このことを言うために、わざわざ“梅干し番茶”を引用したのですか?

いや。。。 それだけじゃありませんよう。 小百合さんの“思い出を食べる”も僕の記憶にくっきりと残りましたよ。 当時次のように書いていましたからね。。。




こんにちは。デンマンですよう。

投稿日時: 2008/05/23 11:49 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午後7時49分
バンクーバー時間: 5月23日午前3時49分




私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?

本当のグルメは飲茶は行きませんよ

ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。



(duck205.jpg)

日本で食べる北京ダックは高いらしいよね?
バンクーバーなら一人分4ドルか5ドルですよう。
3人で食べて15ドルぐらいでしたよう。
ロブソンストリートの“漢(ハン)”が安くてうまかった。

小百合さんがバンクーバーにやって来たら、
一緒に食べに行こうね。
そう言えば、しばらく北京ダックを食べてなかった。


(ducks03.gif)

なんだか、急に北京ダックが食べたくなってきましたよう。
うしししし。。。


(drinker2.gif)



(burger02.jpg)



バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く

切ったのを ソテーして食べてるんですよ。



(din005.jpg)

うん、うん、うん。。。
ジューンさんが仔牛とフォアグラのローストをリクエストしたけれど、
これって、グルメの食べ物?
うしししし。。。


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『仔牛とロマン - ジューンさんの仔牛と

フォアグラ・エピソード』






(zenifry3.gif)



行田のゼリーフライが まずくて食べられなかったとしても きっと 時々 買いにいくでしょう。
ただ その時を忘れないよう、思い出を買いにいくのです。

ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として体に入れるでしょう。
食べるとか味わう とか でなくて。


“思い出を食べるグルメ”の小百合さんですからね。。。
分かります。。。分かりますよう。。。


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“思い出の大仏”を食べましょうね。




(eatmar.jpg)



(yawn12.gif)



朝ごはん はおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。

たぶん 小学校の時も やっとでしたよ
ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか 1枚 たべて、 絶対味噌汁は飲みません。
熱くて 寝起きになんて 飲めません。

ばー は食べないと 体がもたないよ。ご飯を食べると
ごくねつ が出て 体が ぽかぽか 温まるんだよ。
と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。


小百合さんは育てるのが難しい女の子だったのだろうねぇ~
小百合さんからは、おっとりとした優しいイメージを僕は感じることが多いのだけれど、かつて、小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言ったので、朝食がダメ、と言うのもその表れなのかな?
そう思っていますよう。

僕の知らない気の強い面を持ってるのでしょうね?

“そんなカワイイわけないでしょう!”

小百合さんがそう書いていたけれど、
小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言うほどだから、自分の意識の中では“気の強い女”としての自負があるのかもね?
可愛い女よりは、むしろ気の強い女だと、小百合さんはそんな風に思っているのかもしれないね。




これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を 食べる 体に取り込む のと
薬のように がまんして朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。   

 
うん、うん、うん。。。
小百合さんが味噌汁を飲まないのは意外でした。
やはり、そういうところが気が強いのと関係あるのかな?

ばーは小百合さんの面倒を見るのに苦労した訳なんだ。
うししししし。。。



でも、小百合さんにとっては優しいおばあちゃんだったんだろうね。
僕もおばあちゃん子だったから、ずいぶんとわがままをしましたよう。
でも、味噌汁は好きでしたね。

子供の頃、何を嫌いだったのだろうか?
すぐに思い出せないから。。。あまり嫌いなものはなかったようですよう。

今、嫌いなものですぐに思い出すのは韮(ニラ)ですよう。
下宿でニラを味噌汁の中に毎日入れたのですよう。
1センチか2センチぐらいに短く切ればいいと思うのに、
7センチか8センチに切ってあるのですよねぇ~。

ニラは意外に繊維質なんですよね。
熱を加えても、やわらかくならないのですよう。

僕はニラ自体が嫌いな訳じゃないのですよう。
みじん切りにして餃子などに入れるのなら、むしろ旨いと思って食べられます。
ところが、8センチぐらいに切ったニラを味噌汁の中に入れると、雑草を食べているような違和感があるのですよね。
あの触感(食感)がダメでした。


(nira12.jpg)

これは韮となめこの味噌汁です。
旨そうでしょう?
これならば、僕だって口を付ける気になりますよう。

でも、僕が飲まされた韮の味噌汁は、なめこなどは入っていませんでした。
韮が古くなって少し黄色みを帯びているのですよね。
だから、大根の古いのを食べているときのような、あの根っ子を食べている触感が舌にザラザラ感じるのですよう。
実にイヤ~な感じですゥ。

僕のお袋は味噌汁にはニラを入れなかった。
ネギ、大根、ジャガイモ、豆腐、。。。
味噌汁は、そういうものだと思い込んでしまったから、
ニラの入った味噌汁を飲むのは、小百合さんが書いたように
“薬のように がまんして朝食を胃に入れる”感じだったのですよう。

素人下宿で僕だけが下宿人ならば、おばさんにニラは入れないでくれ、と言えるけれど、僕が居た下宿は玄人下宿で多い時には30人ぐらい下宿人が居たのですよう。

だから、ニラを入れないでくれとは言えませんでした。
現在の僕ならば言うけれど、その当時は気の弱い優男(やさおとこ)だったのですよう。
うへへへへ。。。

それで、ニラがすっかりイヤになってしまったのですよう。
もちろん、イヤだとは言っても好き嫌いのない僕だから食べる気になれば食べられます。

でも、あの下宿時代の悪い思い出のために、
ニラを食べる時は、“薬のように がまんして胃に入れ”なければならないようになってしまったのです。

だから、未だに自分でニラを買ってきて料理する気になれないですよね。
嫌いになった食べ物は、このニラだけです。

僕の子供の頃は旨いものって、身の回りにあまりなかったのですよ。
子供の頃はゼリーフライをゼニ(銭)フライと呼んでいたものです。
お祭りの時に屋台を引っ張ってきて、その屋台で老人夫婦がゼニフライを揚げて売っていたのですよう。
一枚5円でしたよう。うへへへへ。。。

旨かったですねぇ~。
その老人夫婦の顔は今でもはっきりと思い出すことができますよう。
まるで昨日のように。。。

あの味も今、口の中によみがえってきたほどです。 yam,yam,yummy...
実は、ゼニフライは、その老人夫婦が作っていたもの以外は食べた事がないのですよう。

必ずお祭りの時と決まっていたので、
僕にとってゼニフライはお祭りの味なんですよう。
メチャ、懐かしいですよう。
かどやのゼリーフライは、おそらく屋台で揚げたゼニフライとは味が違うと思いますよう。

でも、小百合さんが手紙につけた「かどや」のゼリーフライのソース。



(sayuri2.gif)

前略

かなり急いでやって来たので

なんとなく急(せ)いてます。

まだ、小旅行の途中ですが、

小切手同封します。



アレぇ~~

ちょっと慌てたので

ついてしまいました。

上のシミ、何だか分かりますか?

ゼリーフライのソースです。

うふふふふ。。。

食べながら書いているのが

バレてしまいましたね。

代わりの便箋がないので

この便箋で送りますよう。

急ぎます。

駆け足。。。駆け足。。。

どこの郵便局から送ったか?

分かりますか?

分かりますよね?

うふふふふ。。。

早々

小百合より。

2008年5月1日




『メルヘンの夢とロマン』より
(2008年5月10日)

(kitty2.jpg+shimi5.gif)

だから、これから「かどや」のゼリーフライを食べる時、僕には間違いなくその思い出の味が加わるはずです。

ニラは下宿時代に嫌いにさせられたけれど、
それに代わって、現在、小百合さんがニラに代わる思い出の味、「かどや」のゼリーフライを僕に与えてくれたようなものですよう。
うしししし。。。



そう言う訳で、小百合さん、ありがとう!
小百合さん、ばんざ~♪~い!

じゃあね。

デンマンでした。


(byebye.gif)




『思い出を食べる』より
(2008年5月30日)




またまた、古い記事を持ち出してきましたわねぇ~。。。



そうです。。。そうです。。。 小百合さんの“ばァ~”のおかげで、僕も久しぶりに思い出を食べましたよ。



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

最近、あなたも思い出を食べましたかァ~。。。?

ええっ。。。 あたくしでござ~ますか?

もちろん、思い出を食べましてござ~ますわァ~。。。

あなたにも、おすそわけをいたしますわねぇ~。。。

実は、去年の秋 デンマンさんが行田に帰省した時に、ご一緒に那須高原へ出かけたのですわァ~。。。


(nasu102b.jpg)



紅葉のきれいな那須高原で、「自在荘」に泊まって温泉にも浸かってまいりましたわァ~。。。

うふふふふふ。。。


(jizai08b.jpg)

でも、ちょっとばかり はしゃぎすぎてしまったようでござ~ますう。


(aerobics5.gif)

『衝撃の角度』

デンマンさんに、また得意のアクロバットを見せてしまったのでござ~ますわよう。。。

うふふふふふふふ。。。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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こんにちは。ジューンです。

「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは

何だったのでしょうか?

通説によると、1963年の春、

アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、

異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった

日本の曲をオンエアーしたところ、

リスナーからリクエストが殺到したために

人気に火がついたと言われています。

果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?

アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして

最初に発売したレコード会社はキャピトルです。

同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが

ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。

ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。

では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして

発売したのでしょうか?

その発売を決定した人の名前が

デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。


(qchan90.gif)

デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。

「A&Rマン」と言われていた人で、

売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、

制作を担当する仕事をしていた人です。

ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて

「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、

さっそく自分でも聞いてみたそうです。


(qchan03.jpg)

九ちゃんが日本語で歌っているので

詞の内容は理解できなかったけれど、

これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。

つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、

九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に

ヒットすると思ったのだそうです。

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

『夢とロマンを持って前向きに生きる

小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



(ebay5.jpg)


(byebye.gif)
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